2021年12月17日 09:30
小さい頃にクラスでリーダーシップを発揮した経験は、まったくないですね。先生からの受けはよかったので、学級委員はよくやっていましたが、友達が集まってくるタイプではなかったです。みんなが校庭で遊んでいる中、自分だけ星新一の小説を読んでいるような、自分の時間を大切にする子どもでした。
おそらく父は「実家の洋品店を継げよ」という意味合いで言っていたのだと思いますが、勘違いして、自分で事業を立ち上げてしまいました(笑)。今思うと、父親からは英才教育を受けていたなと思いますね。中学一年生の頃、洋品店の店舗を建て替える必要がありました。夜に父親が「お前だったら、店舗をどうやり直す?」と聞いてきて、いろいろ議論をしているうちに、空が明るくなってもう明け方や、みたいな。別の日には東京の銀座まで出向いて、建物のデザインなどを調査したこともありましたね。
彼にも夢や希望、やりたいことはあったのに、その人生は突然終わってしまった。自分の人生も、いつ終わるかわからない。夢や希望があるなら、いますぐ実行したほうがいいと思ったんです。その時の自分にとってのやりたいことは、自分で商売をすることでした。大学時代の同級生と集まって、教科書の中古販売を始めたのが、最初の起業経験です。
子どもの頃から「自分で事業を回す」ことを、実家の洋品店を通して見ていますし、学生時代に自分で起業した経験もありました。ところが、社会に出てみると、自分でやれることがとても制限され、決められたことしかできない。自分が権限を持って何かをやるには、最低でも8年はかかりそうだと。待てないな、と思いました。あとは、単純に週3・4回は遅刻するほど、朝が苦手だったというのもありますけどね(笑)。
やったことは単純で、店舗の前を通る人を調査して、それにあったブランドを仕入れただけ。当時店舗が取り扱っていたのは、メンズはちょっと高めのカジュアル、レディースは安いマンションメーカーの服でした。どんな人が通っているか把握するために、店舗前の通行人を属性別にカウントして集計してみたら「サラリーマンばっかりやん」と。当時、店舗の前は人通りは多いが東通りに飲みに行く人たちの通路でしたから、当たり前ですよね。一方当時の洋品店の品揃えといえば、ちょっとやんちゃでカジュアルな服。「そりゃ売れへんわ」と思って、ビジネスマンをターゲットにしたブランドに変えたのが成功しただけなんです。
洋品店が波に乗ってきた時に、「よかったなぁ、こんなええ店用意してもらえて」と、取引先に言われたんです。でも、黒字にしたのは私なんですよ。やっぱりゼロからやらないと認めてもらえないと思って、自分で事業を始めました。最初の2年はお金がないので、洋品店と並行してやっていましたね。メーリングリストは、メンバーで新規事業のネタを考えながら酒を飲んでいた時に浮かびました。NTTにいた時、メーリングリストは社内インフラとして利用できたんです。でも、NTTを出るとそういうサービスがない。そこで、メーリングリストサービスを無料で作って、広告で収益を得るというビジネスモデルを思いついたんです。
NTTを辞めて実家に帰ってからは、昼まで寝て、夕方からビール開けて、夜は友達と飲みにいく。こんな生活をしていました。さすがに両親から「親に申し訳ないと思わんのか」と叱られて。「そうやな」と思って「親父の店で働かせてくれへんか」と言っただけなんです。親父としては息子に継いで欲しいと思っているわけですから、満更ではないですよね。
社長なので、社員に自分の考えを語らなければいけないし、想いを語らなければいけない。それで人を集めて話し始めたんですが、何をしゃべったか全く覚えていないんですよ(笑)。極め付けは、自分でも気付かぬうちにホワイトボードに漢字で「和」と書いていたんです。もちろん自分にもその意味がわからない。「あ、だめだ」と思いましたね。
とにかく、講演会なり、DVDなりで、伝えるのが上手い人の話を聞きまくりました。例えば松下幸之助さんの講演とか。「なんでこの人はこんなに話がうまいんだろう」というのを分析して、身振り手振り・声のトーン・話の間などを一生懸命勉強しましたね。
僕は新しいことを経験するのが大好きなので、世界中どこでも楽しめました。でも、2年くらいやっていると、自分のためだけに使うお金なんて、高が知れている、浅はかなものだと思うようになったんです。それが旅の終わりを決定づけました。誰かのために何かをすることによって「ありがとう」と言われ、心理的満足感を得る。これが大切だと感じたんです。例えば電車で席を譲ると、自分は座れなくなったはずなのに、なぜか嬉しいですよね。そういう感覚が、自分のためだけにお金を使っていると得られないんです。
「普通」って、多分小学校の道徳の授業なんですよね。道徳の授業はみんな受けていて、心の中にあるからこそ、みんなが「そうだよね」と思える。会社も同じで、あなたの良心に照らし合わせて、その結果やったことがそのまま正しいと言ってもらえる、そんな会社を作りたいと思っています。良心に照らし合わせているので、お客さんや従業員から責められるようなことは絶対なくなる。もちろん、社内でも僕が言っているような「綺麗ごと」だけでは回らないこともいっぱいありますが、社内のメンバーは「綺麗ごと」が大切だとわかってくれています。昔なら「そんな綺麗ごとだけでは回らないよ」と言われるでしょうが、今なら「その綺麗ごとで、会社が回っていますよ」と言えるんです。
自分と仕事との関わり方は、年齢や結婚・育児・介護など、人生のフェーズで変わってきます。仕事との関わりを変えるとなると、普通は転職しなければなりませんが、転職は個人にとってリスクです。このリスクをできるだけ減らして、人が長く安心して働ける環境を提供したいと思っています。ペイフォワードが今まで生み出した8社は、それぞれ事業の関連性が全くありません。投資先も同じです。事業領域が重ならない会社が緩やかな資本関係で繋がっていて、その中を自由に移動して、自分と仕事の関係性を自由に変えていける、そんなグループ会社を作りたいんです。これが実現できれば、人は人生を長期的に考えていくことができるし、もっと能力を発揮できて、その結果事業もうまくいく。もしかしたらこれは、20世紀後半の日本経済成長を支えた終身雇用のリバイバルかもしれませんが、それを私はやりたい。こんなことを言うと「また綺麗ごと言って」と言われるんですけど、それを形にしてやろうと思っています。
今、東京で活躍している多くの起業家は、実は関西人なんですよね。でも、大阪ではなく東京へどんどん出ていって起業してしまうのが、残念でなりません。もともと大阪は商売人の町ですし、いまだにそのDNAは残っています。そのDNAを汲んだ商売の上手い人たちが起業できる、大阪をそんな場所にしていきたいと思っています。