「脱ハンコ」の逆境にも気持ちはくじけない現代の名工

三田村印章店  代表 三田村薫 氏:号・三田村煕菴(きあん)

政府の「脱ハンコ」宣言で苦境に立たされるハンコ業界。その中にあって、「ハンコは和のこころを伝えるもの。脱ハンコすべてに反対」と、思いのたけをホームページのブログに書き続けているのが大阪市中央区の三田村印章店代表、三田村薫(号・煕菴 きあん)氏。
30歳を過ぎてからハンコ屋さんを志し、唯一無二のハンコに美を求めて精進を続け現代の名工(※)にまで上り詰めた職人に、ハンコの存在価値やあり方などを聞いた。
 ※現代の名工(げんだいのめいこう):卓越した技能者表彰制度に基づき、厚生労働大臣によって表彰された卓越した技能者(卓越技能者)の通称

「脱ハンコ」の逆境にも気持ちはくじけない現代の名工


ハンコは日本の文化。押すといういう行為にこそ意味がある


ハンコが生まれたのは紀元前7000年頃のメソポタミアとされ、東西に伝播していった。しかし、西洋では自筆のサインに置き換えられ、東洋でも、中国はやはりサイン。韓国も近年、電子認証や身分証明書の提示が主流になっている。日本に残る最古のハンコは、後漢の光武帝から贈られた「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」と彫られた金印だが、明治の初めに印鑑登録制度ができて、国民生活に欠かせないものになった。
現在も印鑑登録が残っているのは日本と台湾だけだ。ちなみに、ハンコと印章は同じもので印鑑は朱肉をつけて押した印影のことを言う。

結婚や自宅の購入など人生の節目で押印するとき、それまでのさまざまな思いや決意が押し寄せてくるのではないかと思います。ハンコを押すという行為には、押印までの過程が記憶として残ります。いわば、ハンコはその人の分身。押印の機会が減るということはその記憶を消してしまうとともに、ハンコの価値を低下させるもので、反対してきました。実印や銀行印は残ると言っても、ハンコを押す機会は一段と減っていきます。1998年に押印廃止のガイドラインができたとき、私は「冬の時代に入った」と言ったのですが、法改正で認印がなくなると、氷河期に突入してしまうと危惧します。


「脱ハンコ」の逆境にも気持ちはくじけない現代の名工



小さな世界に広がる美しさに衝撃


手彫りのハンコ一筋に打ち込んできた三田村氏だが、ハンコとの出会いは29歳のとき。会社員の仕事に疲れ、「休養においでよ!」と誘われた妻の実家が高松市でハンコの問屋兼メーカーを営んでいた。義母に代わって店番をしているうち、ハンコに引き寄せられていった。

店にあるさまざまな書体や文字を集めた見本帳や印影集を見ているうちに、小さな世界の中に今までに見たことのない美を感じて衝撃を受け、だんだん引き込まれていったのです。自分も彫ってみたいという思いが募り、義父が紹介してくれた有名な先生に教えてもらうようになりました。本来なら丁稚奉公するところですので、恵まれていましたね。


「脱ハンコ」の逆境にも気持ちはくじけない現代の名工


出会いからわずか5年で開業。「左利きが向いていた」


印章協会の技術講習会で勉強を続ける一方、技能検定に参加して腕を磨くなどして、自作のハンコの評価点が上がるにつれ、ますます面白くなっていった。
大阪に戻って開業したのが1996年。高松に行ってからわずか5年後のことだ。

TOPIX:明石家さんまのTV番組『痛快!明石家電視台』(MBS局)の3月16日の放送回「実際どうなん!?サウスポー」では銀シャリ・鰻和弘やボクシング元世界王者・長谷川穂積らと共に三田村薫氏も出演し左利きの利点を語った。

ハンコに興味を持ち出したとき、子どものころからモノを作ったり漫画を描いたりするのが好きだったことを思い出しました。左利きですから文字は下手ですが、ハンコづくりには向いていたようです。ハンコは文字を反転して彫ります。難しくて最初に悩むのも、文字を頭の中で反転させることなのですがなぜか最初からできていましたね。


歴史や役割を知るほどに面白さが増す


当初は百貨店の下請け仕事を受けていた。しかし、多い時には1日に10本も仕上げなければならず、当然機械彫り。業績は安定はしていたものの、満足に客対応ができなかったこともあって辞め、さらに技術の向上に取り組んだ。
その結果、2000年に業界の競技会で労働大臣賞を受賞。なにわの名工に続いて、2014年に現代の名工に選ばれた。

「脱ハンコ」の逆境にも気持ちはくじけない現代の名工


学んでいるうちに成長の実感が得られ、生きがいも感じるようになったことがうれしかったですね。技術の面白みに加えて、ハンコの歴史や役割といったハンコの持っている面白みにも引き込まれました。漢字の篆書体(てんしょたい)と西洋活版で使われた木口木版技術とが結合したものがハンコです。こうしたことをお客様に説明できないと売れません。現代の名工になった後は、後に続く人に引き継がなければならないと思うようになりました。


流れるような線と間が紡ぎ出す“和のこころ“


三田村氏の彫るハンコは、細めの線が流れるような文様を描いているのが特徴。柔らかなしぐさながらしっかりと手で押す様子を表す「捺」から、ブランド名を「捺 捺 捺(ななな)」とした。その美しさに和のこころが宿るとも評される。

「脱ハンコ」の逆境にも気持ちはくじけない現代の名工


最初に教えてもらった名人の作品に美を感じ、線の繊細さに共鳴したのです。線を表現することを最も大事に考えています。心掛けているのは、柔らかく、のびやかに、そして、堂々とした文字とデザインです。線と線が作り出す間も大切です。お客様とじっくり語り合うことで、人となりやイメージが浮かんできます。


ハンコをデザインしたTシャツで新しいファン開拓へ


ハンコは一つ一つ手作りするもので、一つとして同じものはない。ただ、これを既製品化して他に活用できないかと考えていたところ、妻が外国人観光客に漢字の入ったTシャツが人気であることに目をつけハンコのデザインが入ったTシャツを考えた。

うちの商品はデザインが目新しく感じられるとほめてもらったこともあって、英文と組み合わせたら外国人には受けるのではないかと考えました。名前から離れることで新しいデザインも浮かぶと思い、禅の言葉である「無一物」や「心外無法」を選びました。


「脱ハンコ」の逆境にも気持ちはくじけない現代の名工


ハンコは人と人をつなぐもの。求められる時代が再び来る


「脱ハンコ」で、押印の機会はますます減っていくのは確実だろう。その先を三田村氏はどう見ているのか。

かつて、手書きの印鑑ともいえる花押が出てきたときにハンコは一度すたれましたが、またよみがえりました。
ハンコが人と人をつなぐものである以上、印影が求められる時代は必ず来ると思っています。


仲睦まじい三田村ご夫婦。奥様と出会い、美しい印章が生まれ、現代の名工になった。
夫婦二人三脚で歩んできた道程がさらに美しく写っていた。

「脱ハンコ」の逆境にも気持ちはくじけない現代の名工


三田村印章店
本社:〒540-0037 大阪市中央区内平野町1-1-6-103
オフィシャルサイト:https://mitamura-inshouten.com/


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