からあげブームのその先へ 人気唐揚げ専門店「空とぶからあげ」の新たな挑戦
株式会社 ハジメフーズ / 代表取締役 山元佳子 氏
近年、数ある外食産業の中で唐揚げ業界の市場拡大が著しい。2018年341億円だったのが翌年2.5倍の853億円に。2020年にはコロナ禍における巣ごもり需要が追い風となり、1,050億円と前年比123%の伸び率を見せた。(富士経済調べ)
「私たちが開業した当初は、唐揚げしか売ってない店なんて見向きもされませんでした」
そう語るのは、「空とぶからあげ」の名で、第一次唐揚げブームを牽引した「株式会社ハジメフーズ」の代表山元佳子氏。四條畷市に本社を置く同社は、現在唐揚げ専門店や焼肉店といった飲食店経営のほか、通販事業やFC加盟店本部運営を行っている。10年程前は、「唐揚げだけ売る店って何なん?」と言われていた大阪で、ハジメフーズはどのようにして「唐揚げ専門店」を浸透させていったのかを伺いました。
思い出の味から始まった唐揚げ
「佳子、中津の唐揚げ文化を大阪に持ってこよう」
そう話を持ち掛けたのは、ハジメフーズ現会長山元氏の母、木下定子氏だった。“中津”とは大分県中津市のこと。ここは唐揚げを専門に販売する独特の文化があり、定子氏はそれを大阪に広めたいと考えていた。
“故郷・中津の味をもとに作る母の唐揚げが美味しいことは知っている。でも唐揚げ屋なんて大阪で見たことがない。うまくいくのだろうか…?”
大阪に馴染みのない唐揚げ専門店を始めることについて、一抹の不安を感じた山元氏だったが、母の願いであるならばと提案を受け入れた。
鳴かず飛ばずの唐揚げ専門店
母 定子氏には、自ら考案した“鉄板鍋”という新業態の飲食店を全国展開させた実績があった。また山元氏には、母の事業サポートを通じ積み上げてきた飲食キャリアが20年以上、そんな二人の経験値を合わせ、納得のいく唐揚げが作れるまで試行錯誤の毎日。大分の唐揚げ店を回り、味つけの研究もした。そして満を持して2010年大阪・門真市に唐揚げ専門店を開業。しかし、いくら美味しい唐揚げであっても、しばらく客足は一向に伸びなかった。
「定食のおかずとして唐揚げを注文したり、スーパーのお惣菜コーナーで他の食料品と併せて唐揚げを買うことはしますが、わざわざ唐揚げだけを専門店へ買いに行く発想は、当時の大阪になかったんです。ほんとに鳴かず飛ばずの日がしばらく続きました」
ところがあることをきっかけに、「空とぶからあげ」は爆発的に認知度を上げることになる。
メディアを通じての認知拡大
「空とぶからあげ」が一気に知名度を上げた理由。それはメディア露出を通じての認知拡大にあった。
「とある口コミからテレビに紹介されると、地元の方だけでなく、遠方の方も多く来店するようになりました。自分たちでも驚くほどの行列ができ、一気に忙しくなりました。」
その後「空とぶからあげ」は、テレビや雑誌などに度々特集され、のちに第一次唐揚げブームへと進展。
しかしなぜ「空とぶからあげ」は単発のメディア露出で終わらなかったのか?そこには、メディアの目に留まりやすくするための独自戦略がありました。
戦略1:一点特化食の絞り込み
開業当初は「唐揚げしか売っていないの?」と、なかなか受け入れられず苦戦した「空とぶからあげ」。しかしマスコミにとって“唐揚げ専門”というシンプルな店舗コンセプトは、万人にわかりやすい特徴としてかえって好まれたのだ。また「秘伝のタレ」という独自の味わいを確立していたことも各メディアにとって取り上げやすいポイントになった。中津ゆずりの濃い味と強めのニンニク・大阪のだし文化・鉄板鍋で愛用する韓国調味料。これを合わせて作る「秘伝のタレ」は、味そのもののクオリティが非常に高く、一度口にした購入者をとりこにし、口コミが後押しをした。
戦略2:スポークスマンの活躍
山元氏の実弟であるお笑いコンビTKOの木下隆行氏は、芸能活動と連動させながら「空とぶからあげ」をマスコミで紹介した。親しみある芸能人が笑顔で唐揚げを頬張る姿は、視聴者の購買意欲をかき立てる。メディアに対して主体的に情報発信することの効果は大きかった。
戦略3:作り手自身が語る物語
「空とぶからあげ」という名称は、東京で働く息子(隆行氏)が大好きだった母の唐揚げを、空に飛ばして届けてあげたいという想いをもとに名付けられたもの。作り手の温かい気持ちが込められた唐揚げはひとつのストーリーとして成立し、味わいとは別の切り口でもメディアに話題を提供することができた。
このように「空とぶからあげ」は、メディアに露出しやすい要素をしっかりと兼ね備えていたため「たまたまテレビで放映された」というだけでは終わらず、大きなブームを引き起こすまでになった。その後2012年日本唐揚協会が主催する「からあげグランプリ」にて金賞を受賞。「空とぶからあげ」は名実ともに揃う絶品唐揚げとなりました。
経営者としての迷い
母とともに成功させた唐揚げ事業を主軸に、2009年「ハジメフーズ」の名で、山元氏は家族で経営してきた会社から独立。事業としてのスタートは順風満帆であったが、初めての代表という地位に山元氏は大きな不安に苛まれていた。
「母や弟たちのもとで事業に携わっていた頃は、経営に対して自由闊達に意見していました。でも、いざ自分がトップに立つと、それができなくなったんです。ささいな書類にハンコひとつ押すのでさえ怖くなってしまいました」
自分の下す決断が、事業の明暗に直結する。そんな経営者としての責任と重圧に、山元氏は怯んでしまった。
こんな重圧を感じながら経営者でいる資格があるのだろうか?そんな迷いと不安の中、山元氏は「大阪府中小企業家同友会」、通称「同友会」の門戸を叩いた。
経営者同士の支え
同友会は、中小企業の経営向上を目的とし、経営者同士の交流会や勉強会などを行う全国規模の経営者団体。山元氏は、そこに集まる仲間に自身の胸の内を語った。身を以って経営者としての苦悩を知る仲間たちからのメッセージは山元氏の心情を深く理解し「経営者はどうあるべきか」を教え、くじけそうな心をサポートてくれた。そしてついに山元氏はみずから真の経営者としての道を選び、自分の強い意志で会社の舵をとることとなる。
飲食業界初のエコアクション21取得
“自分のしたいことは何なのか、自分にできることは何なのか…”
山元氏は、徐々に自身の経営のあり方を見出していった。そして、目指すべき経営指針のひとつとして、環境に対する配慮が行き届いた会社にすることを打ち立てた。
「まずは、自分にできる身近なことから変えていこうと思いました。エコアクション21はそうした行動のひとつです」
エコアクション21とは、環境省が策定した日本独自の環境マネジメントシステムの名称。環境経営計画に沿ってPDCAサイクルを回し、取りまとめた結果を環境省へ報告することで、エコアクション21の認定企業となれる。認定には、日々の二酸化炭素排出量や廃棄物排出量などの把握が必要なため、山元氏は従業員とともに地道に数値を計測していった。そして2018年、ハジメフーズは飲食業界として初の認証企業となった。
エコアクション21は、環境省が策定した日本独自の環境マネジメントシステム(EMS)です。一般に、「PDCAサイクル」と呼ばれるパフォーマンスを継続的に改善する手法を基礎として、組織や事業者等が環境への取り組みを自主的に行うための方法を定めています。
「今では、従業員が率先して…というか、当たり前のこととしてエコアクションに取り組んでいます。廃棄物排出量を計る時、自分の体重も一緒に計るからダイエットにもなると言って、楽みながらやっているようです。こうした従業員がいてくれたからこそ成し遂げられたと思っています。従業員は、私にとって家族同様とても大切な存在です」
環境コミュニケーション大賞受賞
そして2020年ハジメフーズは、優れた環境報告を表彰する「第24回環境コミュニケーション大賞」(環境省と一般財団法人地球・人間環境フォーラム共催)にて、環境経営レポート部門新人賞、第29回食品安全安心・環境貢献賞の奨励賞を受賞。大々的に新聞掲載もされ、四條畷市長への表敬訪問も行う。
環境コミュニケーション大賞(かんきょうコミュニケーションたいしょう)は、環境省と財団法人地球・人間環境フォーラムが主催、日本経済新聞が後援する環境活動に関する表彰制度。事業者等の環境コミュニケーションへの取り組みを促進するとともに、その質の向上を図ることを目的とする。
「コロナ禍で売り上げが落ち込む中、飲食をやめたほうがいいんじゃないかと弱気になることもありました。そんな時に受賞の知らせがあり、本当にうれしかったですね。自分の進んでいる方向は間違っていなかったと感じることができました」
2021年からは、次男浩行氏と三男隆行氏3人でFM大阪のラジオ番組「TKO兄弟の朝からあげchao!」が開始、まるで昼のAMラジオのような台本なしの自然な掛け合いトーク、その中でもSDGsについてわかりやすく話すなどして、いろんな場面で積極的に環境保全活動を行うようになった。
「SDGsって、知っている人は知っているかもしれませんが、まだまだ浸透していない言葉です。でも何か難しいことをわざわざ理解しようというのではなく、もっと身近にSDGsを意識できるようになっていったらいいなと思っています。そのために“エコねー”って親しみやすいあだ名を自分に付けて、エコについてわかりやすくラジオでも話しをています」
持続可能な開発目標(SDGs:Sustainable Development Goals)とは,2001年に策定されたミレニアム開発目標(MDGs)の後継として,2015年9月の国連サミットで加盟国の全会一致で採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記載された,2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標です。17のゴール・169のターゲットから構成され,地球上の「誰一人取り残さない(leave no one behind)」ことを誓っています。SDGsは発展途上国のみならず,先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり,日本としても積極的に取り組んでいます。
SDGsを浸透させるためのノートも作った。表紙には、四條畷出身の絵本作家谷口友則氏の描いた動物たちと、SDGsのロゴが描かれている。ノートは、唐揚げを購入した人へのノベルティなどにして配布している。
「SDGsについて書いてあるのは表紙のロゴだけ。その人が自由に使えるよう、中は白紙にしてあります。表紙を見て“SDGsって何なん?”って、まずは関心を持ってもらえたらそれでいいんです」
コロナ禍で得たチャンス
長期化するコロナ禍により、大きく様変わりした飲食業界。マイナスに思える状況を、山元氏はチャンスに変えていった。まず休業を余儀なくされた時間で、商品のブラッシュアップを図る。会長・定子氏の調理シーンを撮影し、動画レシピとして保存。社内で試食会を開催、味についてブレがないか再確認を行った。
次に、通販事業を強化し国際基準の衛生管理手法であるHACCP(ハサップ)認定工場を作り、新しい冷凍食品設備を整え、さらには今まで受け身だったフランチャイズ営業も新しく人材を採用し積極的な展開を開始する。
※HACCP:食品等事業者自らが食中毒菌汚染や異物混入等の危害要因(ハザード)を把握した上で、原材料の入荷から製品の出荷に至る全工程の中で、それらの危害要因を除去又は低減させるために特に重要な工程を管理し、製品の安全性を確保しようとする衛生管理の手法です。
「通販店長という新しいポジションも作りました。またLINE@を通じてリアルタイムで対応を開始、さらに今回初めて営業担当者を採用。実は今までうちの会社に営業職はなかったんです。私の想いを他の人に話してもらうというのがとても新鮮。問い合わせも増え、順調に進んでいます」
新しい挑戦―正(しょう)がないお酒―
山元氏は、地域貢献を目的として、四條畷にゆかりのある楠木正成の息子3人の物語をテーマにした日本酒造りもスタートさせた。
「楠正成の息子である正行・正時・正儀の3人の名前から“正”を取って、“行”・“時”・“儀”という3種のお酒を造っています。『正(しょう)がない』を受け入れることで、伝えられる想いがあるというのがコンセプト。『しょうがない』とは諦めるという意味ではなく、『しゃあないなぁ』と人を許す気持ちを表しています。人は、人を許すことで寄り添ったり繋がったりすることができるものです。そうした人との関わりを紡ぐお酒にしたいという想いを込めています。ですのでこのお酒は出来上がったものを販売するだけでなく、造るところから一緒に参加できるようにしています。これから色々な人に参加してほしいですね」
思い描くのは、いつも隣の人の笑顔
会社を立ち上げた当初は、何をするにも二の足を踏んでいた山元氏だが、今では“即行動・即実践”がポリシーになるほどになった。それは、これまで出会ってきた多くの人たちのおかげだと山元氏は話す。
「家族・従業員・経営者仲間・そしてお客様。多くの人に支えられ、育てていただきここまで来ることができました。ハジメフーズには、私だけでなく、関わっていただいた人の想いが詰まっています。その想いを形にしていくこと、それが経営者としての私の使命だと考えています」
そして、これからの展望についてこう続ける。
「いつも思い描いているのは、隣にいる人が笑顔になること。世のため、人のためという前に、まずはすぐそばにいる人が笑ってくれることが、私にとって何より大切なんです。からあげや焼肉は、いわばそのための手段。人を笑顔にするためのものなんです。これからはハジメフーズという会社を通じて、人が笑顔になることを目指したいですね」
そういって山元氏はにっこり笑う。
「中津のからあげを大阪へ広めたい」という母の想いを形にすることから始まったハジメフーズ。11年経った今、さらに多くの人の想いをのせ、一つひとつ形にし続けている。