野崎参道商店街を、柔軟な発想と行動力で全国区にしたアイデアマン

山田研究所(㈲ラヴィ) / 代表取締役社長 山田しゅうじ 氏

歌謡曲で歌われた「野崎まいり」や浄瑠璃・歌舞伎の「お染久松」の舞台となったことなどで知られる野崎観音(大東市)。JR野崎駅から野崎観音に通じる道沿いに、300メートルにわたって続く野崎参道商店街を盛り上げようと走り続けてきたのが、山田研究所(㈲ラヴィ) 代表取締役社長 山田しゅうじ氏。商店街振興組合の理事長、副理事長を10年以上務め、ITを積極的に導入し活性化に成功した実績は、全国放送のテレビや新聞などで何度も取り上げられた。野崎プロレスの代表もつとめ、元新聞販売店店主として地域に密着した強みは、次々に湧き出るアイデアとあいまって、大きな活力を生んできた。

野崎参道商店街を、柔軟な発想と行動力で全国区にしたアイデアマン


シャッターが目立つ商店街を「日本一に」をスローガンに、改革スタート


野崎参道商店街は1967年に発足。毎年5月の野崎まいりには商店街を露店が埋め尽くし、15万人以上ともいわれる人出でにぎわい、大東市東部地区の高さ6mクラスの大型地車9台が集結し商店街を練り歩く。
野崎参道商店街を、柔軟な発想と行動力で全国区にしたアイデアマン

10月の「四条ふるさとまつり」にも人出は多い。しかし、昭和50年代には活気にあふれていた商店街も次第にシャッターを下ろす店が増え、住民の中で活性化の必要性が叫ばれるようになった。山田氏が初めて副理事長になったのは2009年。若い理事会メンバーで、「日本一の商店街に」をスローガンに、さまざまな活性化策に取り組んでいった。

理事長になったのは39歳の時です。商店街の人から「お前は若いんだから、何とか商店街を活性化しろ」などと言われ、私自身も生まれ育った町がシャッター街になるのを見るのは忍びなく、言われなくても何とかしたいと考えていました。まずは空き店舗化するのを食い止めなければならないと考え、最初に取り組んだのが宣伝活動です。店舗紹介のちらしを作って配布したり、SNSで空き店舗情報を流したりしました。さらに、商店街のマイク設備を使ってタイムセールなどの情報を流し、ある程度は売り上げ増に貢献しました。ただ、やかましいといった苦情も寄せられ、イベントや歳末大売り出しの時に限定せざるを得ませんでした。それでも、何とかお金をかけずに商店街をアピールする方法を模索して始めたのが、Ustream(ユーストリーム)放送局でした。


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デジタルを駆使した先進性で大注目。空き店舗ゼロを実現


Ustreamは、現在のYouTubeやInstagramと同じ動画共有サービス。不特定多数の利用者が投稿し、不特定多数が視聴できる仕組みだ。「野崎ほんわかスタジオ」と名付け、ノートパソコンと商店街のマイク2本で始めた放送局だったが、山田氏自身がアイフォンを手に取材に駆け回っては取材した動画をアップ。地道に続けているうちに、関西電力系の大手電気通信事業者であった「※1ケイ・オプティコム」の担当者から突然入ったメールが、デジタルサイネージの設置につながった。Ustreamにアップした動画を街頭に設置したディスプレイで映し出す、いわば街頭テレビのようなものだ。これにより、パソコンやスマホがなくても、この場に来れば動画を視聴できるようになった。

※1株式会社ケイ・オプティコム:現在の株式会社オプテージ、大阪市中央区に本社を置く関西電力系列の大手電気通信事業者・小売電力会社。2000年6月から2019年3月までの社名が株式会社ケイ・オプティコム

野崎参道商店街を、柔軟な発想と行動力で全国区にしたアイデアマン

私が考えていたPRの基本は、お金をかけないということでした。Ustreamにしてもデジタルサイネージにしても、大規模なスタジオ施設がなくても簡単に撮影でき、放映することができるのですから、願ったりかなったりでした。Ustreamなどは、リアルタイムで情報を流したので、取材に来たテレビ局がびっくりしていましたね。ITを自分で活かして他の商店街と差別化したところが注目さて、テレビ東京系列で放送されてます経済番組「ワールドビジネスサテライト」まで取材に来てくれました。そうして野崎商店街が元気だということが知れ渡るにつれて、脱サラして地元に帰ってきた人や外部の人がお店を始めるようになって、一時は空き店舗ゼロを実現しました。


無料の商店街マップの配布や日帰りバスツアーで集客効果高める


山田氏は、両親が野崎参道商店街で新聞販売店をやっていたことから、高校卒業後、新聞広告の折り込み機や印刷機のメーカーに就職したが3年で退職。ワーキングホリデーを利用してカナダで暮らすなどした後、新聞販売の世界に入った。

野崎は生まれ育った町ですから街の隅々まで知っています。若者や元気な商売人に目を向けてもらうためには、古くて堅いイメージを壊すしかありません。そう考えてネット番組を始めたのですが、一方で、新聞が持つアナログさも年配の人たちには効果があります。このため、他の新聞販売店と協力し合って、「ほんわか通信」と名付けた商店街マップを、地元新聞販売店の協力の元、毎週無料で配布する取り組みを始めました。また、野崎参道商店街を発着場所とする日帰りバスツアーも展開しました。そのツアーも驚く集客力を見せて、これに参加するためにわざわざ遠方から商店街に来てくれる人も増えていきましたね。

野崎参道商店街を、柔軟な発想と行動力で全国区にしたアイデアマン

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だれもが驚き疑問を抱いたプロレス興行を打ち上げる


そして、山田氏は周りが思いもよらない企画を打ち上げる。それはプロレスの興行だ。それも野崎まいりの期間中に。当然ながら「なぜプロレス?」という疑問と拒否反応が沸き上がった。

野崎まいりといっても、僕より若い人は知らないんですよ。それなら、野崎まいりの期間に地域内外からたくさんの人が訪れるような、地元発の楽しいことをしようと思ったんですね。小さいころからのプロレスファンだったということに加え、大阪プロレスの※2ゼウス選手と知り合いだったこと、さらに、商店街地域活性化とプロレスは相性がいいことを知ってもらいたかったというのもあります。僕自身、商店街振興会の役員として表に立っていろいろな取り組みを進めましたが、裏方として野崎プロレスを成功させるために走り回るのも、40代になった自分の役割ではないかと思いました。
※2ゼウス:ゼウスは、日本の男性プロレスラー、実業家、元プロボクサー、元ボディビルダー。本名:大林 賢将。大阪府大阪市生野区出身。大阪プロレス所属。


素人実行委員長の呼びかけに賛同者、スポンサーが集まり、華々しい成功を収める



とはいえ、実行委員長になった山田氏にプロレス興行のノウハウがあったわけではない。市役所に相談に行っても前例がないと門前払い。とにかく賛同者を募るために、ソーシャルメディアを中心に、何度も発信してPRに努めた。すると、商店街や地元企業の中から、30社程の協賛が集まり、商店街の飲食イベントの催しものにプロレスが紛れ込むかたちで開催場所と日時を確保することができた。(2022年開催ではスポンサー103社)
さらに、地元企業やプロレスファンがスポンサーになってくれて、資金面でもめどがついた。そして、2014年5月4日に行われた第1回野崎プロレス。1000人を超える観客がリングを取り巻き、レスラーたちに熱い声援が送られ、何度も笑いが沸き起こった。野崎プロレスは今では、3000人もが集まるイベントとして定着しただけでなく、野崎プロレスの成功を見て、東大阪市布施の商店街で行われる布施プロレスや 交野市で行われる交野天の川プロレスでも山田氏の協力を得てプロレス興行が行われるようになった。

野崎参道商店街を、柔軟な発想と行動力で全国区にしたアイデアマン

野崎参道商店街を、柔軟な発想と行動力で全国区にしたアイデアマン

僕には成功する確信がありました。プロレスに危険とか野蛮とかのイメージを持っていた人は多いと思いますが、実際に見て一気に味方が増えましたね。特に子どもたちは大喜びでした。子供を味方につけられたら勝ちです。そんなファンの人たちからの応援を受けて続けて来られましたが、行政からは1円の補助金もいただいていません。最近うれしかったのが、コロナ禍で2年間文化祭ができなかった地元高校の3年生が、最後の文化祭でプロレスをやりたいと、立派な企画書を作って相談に来てくれました。僕は、人はイベントに来るというより、人に会いたくて集まってくるものだと思います。何年後かに同窓会などで集まったとき、そういえばこんなことをやっていたなと思いだしてみんなで話題にできるものがあればいいんです。そうすると、野崎プロレスを見た若い人たちが10年後にはまたなにかできるのではないかと思っています。


活性化の原動力はお店の自立から。笑顔のおもてなしで野崎を愛する気持ち育みたい


残念なことに、山田氏が鼓舞し続けた野崎参道商店街復活の気運は一時ほどの精彩を欠き、山田氏も新聞販売店を廃業し、山田研究所代表という肩書に変わったが、地元を元気にという思いは今も変わらない。名刺にも仕事内容の一番上に「地域イベント企画運営」と記されている。 
野崎参道商店街を、柔軟な発想と行動力で全国区にしたアイデアマン

活性化には旗振り役が必要ですが、主役はあくまでお店です。店が自立しない限り、にぎわいは長続きしません。そのためには、個々の店がおもてなしの気持を忘れずに笑顔でお客様を迎えることです。僕は、野崎の原点はやはり野崎まいりだと思っています。それを忘れずに、これからも周りから、また山田がアホなことを始めたと言われようとも、いろいろなことを考え出して実現し、野崎を愛する気持ちをたくさんの人の心に芽生えさせていきたいですね。野崎プロレスでも実感しましたが、絶対やってやると思って打ち込めば、無理だと思われるようなことでもできると信じています。 
と語る山田氏は、これからも大阪大東市の「野崎」を盛り上げるために、日々いろんな新しいチャレンジを続けています。                        

山田研究所(㈲ラヴィ)
本社:大阪府大東市北条1-5-33
オフィシャルサイト:https://ravie.net/

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