山本精工株式会社 / 代表取締役 山本正人 氏
大阪市生野区にある山本精工株式会社のホームページを開けると「
機械加工はサービス業だ!!」の文字が飛び込んでくる。なぜ、製造業であるのにサービス業なのか?
疑問に思う方もいるかと思うが、
山本精工株式会社の
代表取締役 山本正人氏は「
お客様に安心・感動・信頼、この3つのサービスを提供しているからです」と話す。山本精工では、従業員は18時には全員退社する。
さまざまな企業努力を重ね、売り上げを伸ばしている山本氏に、話を聞いた。
前職の営業成績はトップクラス、しかし・・入社後は最下位に転落
人を喜ばすことが何より好きだという山本氏、大学時代はゼミのリーダーとして、100人以上のまとめ役を買って出たそうだ。卒業後、2年間務めた会社での営業成績は100人中トップクラスだった。しかし、山本精工に入社後の営業成績は最下位であったという。
前職での実績があったのに、なぜ自社ではそうはいかなかったのだろうか?
前の会社で営業ができてたのは、会社のネームバリューだったという事に気が付きました。うちは(山本精工)は無名、前職では人に気に入られただけで売れていましたが、そうはいかない。売れない理由がわからないまま、先輩に教えてもらおうともしなかった。挫折しかなかったです。
父親にも相談をせず、一人で悩んでいたという。「見栄っ張りだったんです」と山本氏。そんな気持ちを大きく変え、やる気を出さしてくれたのはずっと可愛がってくれていた祖母の言葉だった。
ばあちゃんは、いつも褒めちぎってくれたんですがそんな時「お前、ちゃんとせえよ」って初めて僕を叱ってくれました。きっと、両親が息子が仕事ができないことを嘆いているのを見かねたんだと思います。ばあちゃんに叱られて目が覚めきました。
ここから山本氏の快進撃が始まった。片っ端から営業に関する本を読み、勉強したそうだ。読んだ本は年間約50冊。
当時営業に出かけた場所は、あえて会社の営業があまり行けていない愛知を選んだ。
なぜ、愛知だったのだろうか。
みんなが行く場所でダメだったら恥ずかしいので、それを隠したくて遠くにしたんです。そして愛知の自動車関係はみんなトヨタがらみでしたので、自動車関係以外を狙って営業しました。自動車関係以外はほとんど競合する相手がいなかったんで、営業のハウツー本に書いてあることを実践したら上手く行きました。色々な話をして気に入ってもらえるのですが、伝えるべきことがぼやけてしまわないように気をつけていたことがあります。それは必ず最後に、一番言いたいことを伝えて帰ることです。
最後に一番言うべきことといえば、わかりやすく自社の強み部分を伝えること。最後にこの大事なことをいうことで、自社が最も得意とする見積の依頼が増え、受注率が格段にUPしたという。
入社して3年間はなかなか自分を変えられなかった山本氏だが、こうした努力が結果を生み、5年目には急成長をする。
そして、入社8年目に、父親から「会社をお前に任せる」という言葉をもらい、常務に就任した。
お前を育てるために神様からもらった命 父からの経営バトン
山本精工は1955年(昭和30年)に山本氏の祖父が創業。山本氏は、2021年に代表取締役に就任した。大学生のときには、いずれ家業を継ぐと決めていたという。
話はさかのぼるが、山本氏が8歳の時に、父・正夫氏(現・相談役)が腎不全を患い、透析をしなければならない状態になるが、一人の若手医師の勧めによるクスリ治療で奇跡的に回復した。しかし、53歳のときには人工透析を受けることになり、通院しながら会社経営を続けていた。そして、54歳の時に山本氏の母親から腎臓の移植をする手術を行い、無事成功した。
父・正夫氏からは「お前を育てるために神様からもらった命や」と言われたそうだ。
だから父は誕生日が二回あるんです。生まれた日と、腎臓移植した日です。
山本氏が入社した頃は、社員23名、カリスマ性のある父のトップダウン体制あったが、そのやり方に限界を感じ、
下からの声を吸い上げる組織環境にするべく、山本氏は積極的に
従業員と対話をし、不満や要望を聞きだすことにした。そこで自分が思っている以上に従業員は会社のことをよく考えてくれていたことがわかったそうだ。山本氏は、その内容を父親に伝えた。そうすることで徐々に自由に意見が言える職場に変わってゆくこととなる。
トップダウンから、
ボトムアップ型組織を目指していく。その為に少人数の仲のいいメンバー数名で「
何を話してもいい会議」も開催した。父親が社長の時代にはなかったことだ。
そんな従業員の声から実現したのが「棟の壁のぶちぬき」である。山本精工の本社は3つの棟が並んでおり、それぞれの部署に話をするときには、棟から一度表に出なければならず、別の棟に行くのにかなりの時間を要していた。移動時間の短縮をしたいから「壁をぶち抜いてほしい」の声が出た。山本氏は、それを実行に移したのだ。3棟が繋がることで、効率がとてもよくなった。壁を抜くということのインパクトは絶大であった。このことがきっかけで、さらに多くの声が上がるようになり、自主性を持つ社員が生まれる体質になっていった。
従業員の知恵を借りながら全員で会社を成長させていくのが、山本氏の方針である。
壁を抜く提案が通ったのが追い風になりました。従業員がお客さまのために動くのはどういう心理からなのか。会社が好き、そして僕の事が好きという気持ちからだと思うんです。そのために従業員の満足度を上げていくことが必要です。
人間関係がよくなっていった教育ツール「人のスキルマップ」
23名だった社員は69名に増えたが、そのうち営業職は山本氏が入社したときと同じ8名のまま増やしていない。その理由は?
実は営業を増やす必要がなかったんです。というのもリーマンショックの時に、多くの企業は受発注・納期・品質などの管理部門のリストラを行いました。その結果、管理体制が弱体化し、十分な検品ができなくなっています。今の売り手市場となっては採用難ですし、採用できたとしても以前と同レベルのいい人材はなかなか確保できません。そんな状況の中、弊社は先見の目で、採用した人員全てを管理部門にあてました。そうすることで納期や品質が担保され、お客様は発注をすれば商品が届くのを待っているだけでいいので、管理面の強化に力を注いだ結果がお客様からの依頼が増えることになったということです。
注文したあと楽ができる、商品管理が行き届いているので
確実に商品を納められ、不良品がでない。管理面を安定・強化することで
営業も自信をもって販売ができる、その好循環で売り上げが増える。つまり山本氏が考えた
管理面の強化は、結果、売上の拡大につながった。売上は2013年の5億円から2019年には12億円へと成長した。
山本精工株式会社はさまざまな業界の仕事をしている。ただ自社製造は5%、95%が外注である。外注先はすべて国内で、全国的な取引先のネットワークを活かし、その範囲は北海道から鹿児島まで約250の町工場と取引をしている。これは
災害リスクを考えてのことだという。部品製造の会社といえば、一般的には技術力が売りになるが、山本精工の売りは品質管理力である。つまり、
外注先をコントロールする力に長けている部品技術商社なのである。
取引先の売上比率と仕入先の比率はそれぞれ10%前後にバラつかせ、1社で占めるウエイトを高くせず抑えている。また、銀行も5行との付き合いをし、つまりは、
どこにも依存しない体制づくりをしている。
山本氏はパートも含め従業員の教育ツールとして「
人のスキルマップ」を作成した。挨拶ができる、間違ったときに言い訳をしないなど24項目があり、自己評価ができるようになっているそうだ。これにより、愚痴が減り、人間関係がよくなっていったという。
他にも部署ごとに社員を2名ずつノミネートしてもらい、模範社員を決める大会を実施し、優勝者は模範手当が付くのだという。
インスタモデル・ラジオ出演・そして子どもたちに講演
山本氏は、常務時代にファッション関係の店に飛び込みで自ら交渉し、インスタのモデルデビューを果たした。最初は断られたそうだが「服は笑顔のためにあるから外見にコンプレックスのある僕みたいな者がモデルになるのは逆にインパクトがあるのでは?」と交渉したそうだ。
実は、山本氏は生まれつき顔にアザ(※1血管腫)があり、このことで何度も嫌な目に合った。特に電車通学になった中学時代は、傷ついたという。
知らない人に二度見されたり、中学の数カ月間は顔のことでいじめられ、傷ついたし、とても辛かったです。でも友達ができたら友人が守ってくれました。高校へ入ったら、全く気にならなくなったんです。
どうやって乗り越えられたのでしょうか?
男子校だったんですが、ある日、自分は乗り気ではなかったのですが、合コンに友人に誘われて行ったら、めちゃくちゃもてたんです。
なんと5対5の合コンで、女子全員が山本氏を気に入ったのだ。(写真を見てお分かりのように山本氏は、かなり男前です)
コンプレックスの根源は自分やったんです。自分が気にしすぎてるんや。そう思い直したら顔のことも気にならなくなり、キャラが変わりました。ほんとそのときの男友達とは今もずっと親友で、感謝しています。
※1 血管腫:「赤あざ(血管奇形)」と呼ばれる血管の異常で、血管が拡張したり増殖したりすることによってできる良性腫瘍。
さらには現在、※2
ラジオにも隔週レギュラーのコメンテイターとして出演をしている。
※2 ABCラジオ 『月曜から元気に!Joyfull Monday』(毎週日曜 深夜0時~0時30分放送)
https://abcradio.asahi.co.jp/mon/
アザを自身の個性と捉え、コンプレックスで悩む方々に1歩踏み出す勇気を与えられたらと講演活動も行っている。知名度を上げることで同じようなコンプレックスを持つ方を勇気づけたいと考えているそうだ。
今後やってみたいと思っていることは?
実は移動式のたこ焼き屋のおっちゃんをやってみたいんです。小学生の頃、近くの公園で10個100円ほどのたこ焼きを売っているおっちゃんがいて、50円しかない時は5個分だけ売ってくれたり、ジュースをサービスしてもらったりしたんです。そのおっちゃんに悩みの相談をいろいろ聞いてもらった思い出が忘れられなくて。いつかやってみたいんです。
山本氏は「移動式のたこ焼き屋のおっちゃん」の話を実に楽しそうに話してくれた。
また取材の最後に「昨日、決めたんですが。福利厚生で畑を借りたんです」という。従業員が家族で芋ほりとかできるようになったら楽しいからと八尾に畑を借りたそうだ。他には「物価手当」、希望者には「就業後の語学研修」、「授業員や家族への誕生日祝い金支給」などさまざまな取り組みを行っている。山本氏は、常にスタッフが幸せになるかを考え、楽しい会社にするためにプラスになりそうなことがあればどんどん取り入れている。
従業員のことをいつも第一に考えている、それが山本社長なのである。