「百(もも)せ」 中出農園 / 代表 中出庸介 氏
大阪が誇る野菜のひとつに、
泉州水なすがある。大阪府南部、泉州地方の特産品だ。これほど瑞々しくて甘いなすは、他のなすと一線を画す。圧倒的に水分が多く、生で食べると、桃か梨のような甘味を感じる。ぬか漬けのおいしさをご存知の方も多いはずだ
。中出農園の三代目である中出庸介氏は、泉州水なすの世界をさらに拡げようと、
ブランド「百せ」を立ち上げ、泉州水なすの新しい食べ方を提案している。今までは、生産一筋、ひたすら農業に向き合ってきた中出氏が、さらなるステージををめざすために立ち上げたブランド
「百せ」中出農園代表、中出氏に泉州水なすの魅力、農業経営への思いを聞いた。
代々受け継がれてきた泉州水なすの種
1958年(昭和33年)、中出農園の創業者(当時の屋号はまるなか)中出幸夫氏が貝塚市澤地区で水なすの栽培、出荷を開始した。中出氏の祖父である。澤地区は水なすの発祥の地(※1)とされている場所だ。昭和33年当時幸夫氏は貝塚市で初となる泉州水なすの栽培、出荷を始めたという。幸夫氏の泉州水なすはセリがおこなわれる度、高値で落札され、その多くが八百屋だった。
中出農園は、そのときからずっと、生育の良い水なすを選んで種を自家採取してきました。うちの水なすの特徴は圧倒的な水分量、皮が特別薄く、形も大きいんです。その分、キズも付きやすいこともあって育てにくく、だから自家採取した種は他ではなかなか育ててもらえないのが現状なんです
※1 澤地区は水なすの発祥の地 貝塚澤なすが「泉州水なす」の原種とされている。2023年5月17日、貝塚澤なすが「なにわ伝統野菜」に認証された。昭和20年代から品種改良され、貝塚澤なすは姿を消し、昭和初期に泉州から新潟に渡っていた種を2016年に確認。新潟県に現存していた種を大阪に里帰りさせ栽培が復活している。
Q.なすの種は、どうやって採取するんですか?
実は、1個のなすから数千個もの種が採取できるので、1個で十分なんです。ただ種取り用のなすは、形とツヤがいいものを使います。それを真っ茶色になるまでそのまま収穫せずに放っておいたものを、水に沈め濾して種を採取します
こうして絶やすことなく守り続けて受け継いだ大切な種があるからこそ、納得のいく水なすが栽培でき、毎年、ぶれない泉州水なすができるのだ。
中出氏は野球の名門・大阪桐蔭高校の野球部出身、そのまま大学に進学し野球を続けていた。野球一筋だった中出氏が、農業を継いだきかっけはなんだったのだろうか。
父は昔ながらのタイプなので、家のことはすべて母がしていました。そんな母は朝の3時半から起きて、畑に出て、戻ってきたらご飯の支度に洗濯と休む暇がないんです。そんな姿を見ていて「自分が助けてあげないと」いう思いが強くなって、大学2年のときに好きな野球も大学もやめ、家業を引き継ぎました
元々中出氏は将来、社会人野球をする道に進もうと考えており、両親にも長男だから家業を継ぐようにとは言われていなかったが、母親のため、自ら進んで家業を継ぐことを決めた。中出農園の3代目となってからは、ひたすら農業に向き合ってきた。泉州水なすの生産は中出氏、そして漬物の加工・販売は弟の中出達也氏、
兄弟が役割を分担して中出農園を守ってきた。中出農園のある貝塚市は海と山に囲まれ、ため池も多く、水なすの栽培に適している。現在は45アールのハウスと40アールの露地で泉州水なすを中心に、春菊・壬生菜・カブ・サラダケールなどを栽培している。出荷数が増えていく5月から9月末までは、収穫に追われ、ピーク時となる7月には1日4,000個近くを収穫したその日のうちにぬか漬けにしているという。そして夏場にはブロッコリーとトウモロコシの収穫体験も行っている。
TV放映で注文殺到!しかし、その1週間後に西日本を大型台風が縦断、甚大な被害を受ける
2018年9月、台風21号が西日本を縦断し、京都や大阪を含む西日本各地に最大風速(秒速)44メートル以上の強風と大雨をもたらした。大阪湾では関西国際空港が高潮で冠水した上、強風のため関西空港連絡橋にタンカーが衝突。このとき、関西の農家にも甚大な被害をもたらし、中出農園も例外ではなかった。
ちょうど台風の1週間くらい前にテレビで、泉州水なすが放映されて、何千件もの発注が来てたんです。「よっしゃあ!」って、気合を入れて発注に応えられるように生産も調整して、準備を整えていたんです。でも発送前に、あの台風でビニールハウスとその中のなすびはぐちゃぐちゃになってしまいました
何千件もの注文をすべてキャンセルするしかなかった。その被害額は約3,000万円。中出氏のみならず、家族全員が立ち直れないほどのショックを受けた。ガタイのいい中出氏だが、そのときばかりは、瘦せたという。そんなとき、救ってくれたのが、野球時代の仲間だった。
野球関係の先輩や後輩が、手伝いに行くと電話をもらったんです。電話をもらうまで、誰ともしゃべれないほど落ち込んでたんで、すごく力になりました
中出氏の野球の先輩後輩にはプロ野球選手も多く、今もつきあいが続いている。そんな中出氏は新たなチャレンジに挑む決意をする。それは、祖父の言葉だった。
泉州水なすを可能性を広げる ブランド「百せ」
じいちゃんが、僕に何で百姓っていうのか知っているか?「野菜を作るだけが百姓やない、100のことをやるから百姓っていうんや!」って教えてくれました。20歳で農家になってから今までずっと栽培だけをやってきましたが、これからは、営業も飲食もやっていきたい、もっと泉州水なすの可能性を広げようと。ブランド「百せ」を立ち上げました
「百せ」という名前にはそんな百姓の「百に生きる」という意味が込められている。「百せ」ブランドのひとつに泉州水なすをふんだんに使用したクラフトビール「泉州水茄子エール」がある。これは、クラフトビールを製造している藤井寺市の株式会社道明寺麦酒(※2)が製造している。水なすがほのかに香るローアルコールのビールだ。
ビールにするときに、中出さんのところの水なすの水分量があれば、充分できます!と言ってもらいました
※2 株式会社道明寺麦酒 藤井寺市のマイクロブルワリー(小規模なビール醸造所)。地元産食材の季節限定フルーツビールも複数醸造。醸造所直売あり。
https://domyojibakushu.com/
他にも水なすがおいしく食べられる浅漬けの素(調味液)、甘酢漬けの素(調味液)がある。監修は、野菜ソムリエ上級プロの
野口知恵さん(※3)と、料理研究家の
吉田麻子さん(※4)である。どちらも生の泉州水なすを切ってつけるだけで簡単にでき、泉州水なすの生のよさを活かしている調味料である。「百せ」では、朝に収穫したばかりの泉州水なすとセットで販売している。
※3 野口知恵 大阪出身、日本野菜ソムリエ協会講師。食べたものでカラダはできている「おいしい!」の感動を多くの人と感じる事をモットーとし、講演、レシピ開発、コラム執筆など幅広い活動を通じて、野菜・果物×栄養を伝えている。
※4 吉田麻子 大阪出身、「日本料理・和食」を毎日楽しく作っている料理研究家、食材を大切に扱い、心を込めて料理を作る。という信念のもと、大阪の地から日本の食と文化を発信。
インタビューの最中にも中出氏はキッチンで手際よく泉州水なすを切って、その場で一品を、手早く調味料と調合して、30分ほど冷蔵庫で冷やしたものを取材陣に出してくれた。調味料は今、開発中の堺の老舗糀屋とのコラボ商品だという。ごはんのおかずにもビールにも合いそうな味だ。食べた後に口の中で泉州水なすの甘味が広がった。実は、中出氏は、農家にならなければシェフになっていたというほどの料理好きなのだそうだ。
現在、中出農園で栽培している泉州水なすの販売先の8割は自社を含めた漬物用である、後の2割は飲食店用だ。「百せ」では、泉州水なすとオリジナルの調味料液をセット販売をして、ぬか漬け以外にもいろんな料理に使えることを知ってもらい、認知度を高めていければと考えている。
新たな可能性を求めて 世界に羽ばたく 泉州水なす
昨年、世界で活躍している「Tsurumen Davis」の
大西益央氏(※5)と大阪の「鮨三心(すしさんしん)」の
石渕佳隆氏(※6)がボストンで2日限りのコラボイベントを開催、そこに中出氏と奥さんが、チームの一員として参加。泉州の水なすが海外を視野に、第一歩を踏み出しました。そんな「
中出農園の泉州水なす」はもう目が離せません。
※5 「Tsurumen Davis」の大西益央氏 大阪随一の人気を誇る「鶴麺」を旗揚げ。2018年には行列ができるラーメン店「TSURUMEN DAVIS」をアメリカ・ボストンにオープン。「ボストン・グローブ」の1面を飾り、業界のキーパーソンとしても注目を集めている。
※6 大阪の「鮨三心」の石渕佳隆氏 地元熊本や大阪で約20年の修行を経て、2016年11月に「鮨 三心」を開業。全国から足を運ぶお客様も後を絶たない人気店。シャリに使うお米は自身で育てている。