2020年04月09日 13:30
就職もそれを考えて、酒造メーカーを選びました。最初から5年間と決めた就職でしたが、後半の3年間は飲食店の営業担当をさせてもらい、たくさんのお店の経営者の方々とお会いして、大いに勉強させていただきました。料理の中身はもちろん、言動や考え方の中に、店をやるうえでのヒントがいっぱいあり、自分なりの仮説を立ててお話を伺ううちに、店をやるならこんな風にという考えが、次第に固まってきました。
私が目指す店は、当時も今も「みんなが集って楽しめる居酒屋」です。それが沖縄と結びついたのは、酒造会社を辞めた後、1年間修業した和食居酒屋の経験からです。営業マン時代の私には「やるべきこと(マスト)」と「やりたいこと(ウオント)」はたくさんありましたが、「できること(キャン)」は圧倒的に少なかったんですね。料理を作ることも含めて。そこで居酒屋修業を始めたのです。
その店では年間にいくつか「〇〇フェア」といったイベントをするのですが、夏に「沖縄フェア」をやったときに、これだ!と思ったのです。文句なしに、みんなが楽しめるんです。梅田には沖縄料理の店が少ないのですが、沖縄が嫌いな人はいないでしょう。ぐるなびのアンケートでも、夏には必ず沖縄料理が上位に入ってくるんです。
最初の店を出した時点では、沖縄だけでやっていく気持ちはありませんでした。目指すのは「楽しい居酒屋」でしたから。このため、2店目は日本酒バルでしたが、これがしばらくは赤字続き。さらに、3店目は東南アジア風にしたものの、こちらも大赤字で、会社そのものの屋台を揺るがす事態にまで陥ってしまいました。そこで3号店を、唯一黒字が出ていた沖縄スタイルに転換したことで、立ち直ることができたのです。
これまで取り組んできたのが「食の沖縄」をアピールすることです。那覇に出店したのは、食材探しのためでもあります。サトウキビとベニイモをえさに与えたキビまる豚や琉球マグロ、ソデイカ、美ら卵、養殖が盛んなクルマエビなどを店で出しているほか、よく知られている海ブドウやモズクはネット販売で卸しもしています。
いろいろなものを発見するたびに、現地には二次加工する人がいないために、せっかくの食材をうまく生かし切れていないという思いが募りました。泡盛でも、25年物の古酒が信じられないような安さで売られています。好きな沖縄をより良いものにしたいし、それをやるのが、マーケットに近い僕らの役目だと思っているんです。
沖縄と言えばチャンプルー。混ぜ合わせるという意味ですが、僕らの感覚でいろいろな魅力をミックスしてアップデートしていきたいですね。そのため、新しいお土産を作りたいと考えていますし、沖縄の新しい魅力に触れる沖縄旅行なども計画しています。那覇空港に第2滑走路ができたら沖縄を訪れる人は4割増しになると見込まれています。いろいろな意味で、沖縄のポテンシャルは高いんですよ。沖縄に移住するのも、ビジネスの仕組みづくりに、本格的に取り組みたいと考えるからです。
アルバイトの卒業式を社員とアルバイトで企画したのですが、55人中40人が参加してくれました。バイトの人にも企画について権限を移譲していますので、働くことは楽しいと、彼らも感じてくれたのだと思っています。
求めるのは、一緒に未来をつくれる人、価値を創造できる人です。分からないことでも一緒にチャレンジしてほしいですね。自分で考えて行動してもらえる組織にしたいと考えており、そのためには失敗も容認します。ネット販売や旅行企画をはじめ、昼もどうやったら働けるかを考えています。
今は居酒屋チェーンですが、将来は「飲食業もやっている会社」という形態にしたいと思っていますから、採用の幅も広げていくつもりです。