2021年12月24日 09:30
「ありがとう」という気持ちがあれば、どんなことでも切り拓いていけます。
今でこそ「感謝経営」を弊社の指針として掲げてはいるのですが、代表着任当初の私に一番欠けていたのがこの「ありがとう」という感謝の気持ちでした。その頃の私は会社がうまくいかないのを周りのせいにし、創業者である父や従業員を責めてばかりいました。しかしそれは間違いで、全ての原因は自分自身にあったのです。そう気づけたことで、私の人生観や経営指針は180度変わりました。
現在は高齢者施設3,000か所・オフィスビル1,000棟・精神病院200棟でもご使用いただいてます。また弊社の電気錠は、施錠と解錠をシステムコントロールできる強みを活かし、火災や地震を感知し一斉自動解錠できる機能を標準搭載してるんです。阪神淡路大震災の時には、この機能がお客様のお役に立てたことをほんと実感しました。地震で扉が歪み開けられなくなる前に自動解錠し、お客様の避難経路確保に貢献することができました。このように、防犯だけでなく防災にも注力することが、命を守るものづくりを使命とする私たちの役目だと考えています。父は広島の原爆によって弟を亡くす経験をしました。そこから「命を守るものづくりをしたい」という父の想いが生まれ、この株式会社JEIという会社が創られたのです。この原点は、これから先も変わることなく今も事業の根幹にあり続けています。
借金の原因は父の膨大な研究費でした。事業化には至らなかったのですが、父は電気錠のほかに自動車のブレーキシステムの開発に情熱を注いでいたんです。電気錠の事業が安定してきた90年代頃からでしょうか、父は会社に出社することなくそちらの開発に没頭するようになっていきました。開発に必要だといって歯止めなく会社のお金を使うので、私は父とよく対立をしてました。父の研究開発費によって会社の借金が年商の倍に膨らみ、このまま行けば倒産しかないという状態になったのが2007年です。「世の中の交通事故を無くし人の命を守るんだ」という父の純粋な想いは十分理解してましたが、会社を立て直すためにも半ば無理やりに、やむなく父に代表を退いてもらいました。
代表になったもののすぐ入院することになり、その後1~2年間は入退院を繰り返していました。家族の支えで今は寛解していますが「健康」とは当たり前のことではないのだと痛感しました。それでいつ死ぬかわからないなら、前からずっと行きたかった「盛和塾」(※①)へ行こうと決めたのがこの時です。※①盛和塾:京セラ創始者の稲盛和夫氏が塾長を務め、若手経営者に対して自身の経営哲学を伝えることを目的として設立された経営塾。1983年から2019年までの開塾中に約1万5千人が入塾、現在第一線で活躍している多くの経営者に影響を与えた。
入塾して間もない頃、先輩塾生に自分の会社がいかに大変かを話したことがありました。すると「それは全てあなたの責任です。経営者としてあなたの心が高まっていないから、そうした悪いことが起こるのです」と諭されたんですね。こんなに頑張っているのに全て私のせいなのかと、その時はショックで涙が出るほどでしたが、学びを深めていくうちに言葉の真意が理解できるようになっていきました。山之口氏は盛和塾を終了した後も稲盛経営哲学を北大阪経営塾で学び続け、自己研鑽のため倫理法人会などの勉強会にも参加し。自身の心を高めていった。
同じひとつのものでも、光の当たる方から見るか影になっている方から見るかで、全く見え方が変わりますよね。それと同じで、会社の経営に無頓着な父への怒りの反対側にあるものを見ようとすることで、これまで父が愛情を持って私を育ててくれたことや、苦労しながら事業の礎をつくってくれたことへの感謝の気持ちが自然と湧いてくるようになりました。「視点を変える」という本当に些細なことなのですが、それだけで気持ちがガラリと変わりました。それまで父に言えなかった「ありがとう」が言えるようになったんです。
また塾長が「息をしていることに感謝する」と話された際もハッとさせられました。病気をして健康が当たり前ではないことは身にしみて感じていたのですが、息をすることや生きていることさえも、よくよく考えたら当たり前ではないんですね。こうやってあらゆることに感謝できるようになると「感謝できる」ということ自体も幸せなことなのだと思えるようになっていきました。お客様・従業員・家族、全てに対して「ありがとう」の気持ちで接する私の「感謝経営」は、ここから始まりました。
弊社の事業は、主に新築建造物への電気錠導入で収益を上げていました。ですから新築が建たなくなったこの時期はかなりの苦境でした。幸運だったのは、私が盛和塾を受講した後だったということです。「起こってもいないことを心配するな」という塾長の教えがあったので、先行きを無闇に心配することはしませんでしたね。今がどん底だからやればやった分だけ上へ行ける、そんなふうに捉えていました。私は従業員に経営状態をありのまま見せ、誰かが何かしてくれると思わず、自分が会社に何ができるかを考えてほしいと伝えました。そうすると、ありがたいことに従業員全員が会社のために奔走してくれたんです。営業経験のない技術担当者が「お客様のところへ行ってきます」と言って動いてくれたりもしました。
2020年から始まったコロナ禍も、事業を見直す契機となりました。弊社には「ケアロック」という自社オリジナルの採風電気錠があるのですが、これを換気電気錠としてコロナ禍に則した新しい価値で提案するようにしたのです。
カードキーや顔認証キーなどについても、非接触ニーズに応える電気錠として問い合わせが増えています。そのほか3密回避に配慮した室内定員の管理システムなども、コロナ禍によってニーズが増加しています。間接的な遠隔操作や管理が可能な電気錠の特性が、新しい生活様式に見事に合致したため、もともとあった弊社の既存品やサービスが改めて注目されるようになったのです。
詩碑に書かれた「念ずれば花開く」とは、愛媛の詩人坂村真民先生(※②)が「いつも母に言われていました」と仰っていました。その詩碑を見て私はいつも励まされています。※②坂村真民:日本の仏教詩人。本名昂。一遍の生き方に共感し、癒やしの詩人と言われる。特に「念ずれば花ひらく」は多くの人に共感を呼び、その詩碑は全国、さらに外国にまで建てられている。