株式会社セレッソ大阪 / 代表取締役社長 森島寛晃 (もりしまひろあき) 氏
森島寛晃。サッカーファン・スポーツ好きなら、この名前を知らないはずはないだろう。前身のヤンマー時代からセレッソ大阪ひと筋でプレーし、
“モリシ”の愛称で親しまれた。2002年の日韓ワールドカップでは、所属チームのホームスタジアムである長居スタジアムで行われたチュニジア戦で先制ゴールをあげるなど、日本代表としても活躍。2008年に現役引退を決意すると、そのシーズンの最終戦後に行われたセレモニーでは「
次はここ長居スタジアムに、監督として戻ってきます」と満員のファンの前で宣言をした。
引退後はセレッソ大阪のアンバサダーを務めて、主にクラブのPR活動に従事。2016年にはチームの編成などにも携わるようになり、それから2年が過ぎていた。そろそろ、監督としての現場復帰も近い。本人も、そう思い始めていた矢先だった。
前任の玉田稔(※1)社長時代の2017年には、カップ戦と天皇杯の2冠を達成して結果も残していました。そんななかで玉田社長が辞められると仰って、私たちは『続けてくださいよ』と慰留していたんです。それでも辞任される意思が固いようでしたので、次はだれが社長になるんだろうと思っていたんです。そうしたら……
※1 玉田稔 セレッソ大阪の前社長である玉田稔氏は、2015年2月に就任し、2018年末で退任しました。彼は4年間の在任期間中に、J2リーグからJ1に昇格、そして2017年には悲願のタイトル獲得など、セレッソ大阪の成長に尽力しました。また、サポーターへの感謝の気持ちを伝えるなど、クラブとの繋がりを大切にしていたことも知られています。
2018年末のことである。大役であるクラブの次期社長として白羽の矢が立ったのは、森島氏だった。
あのときはもう、ただただ驚きでしたね。お話をいただいて、すぐに『やります!』となれば良かったのでしょうが、想像もつかないお話だったので正直、即答はできませんでした。その後も話し合いを重ねましたが、そのたびにお断りしていたんですよ。チームの現場に入っていくのならまだしも、当時の私はクラブ全体のことを把握していませんでした。社長になったとしても、なにをしていいのかまったくわからない。だから、お断りをしていました
そんな森島氏が最後に首をタテに振る決め手になったのは、自分を育ててくれた
セレッソ大阪への愛。
セレッソをもっともっと、良いクラブにしていきたい思い、それは選手時代からありました。現役当時もセレッソの魅力を伝えていこうと、自分のできる限りのことをやっていました。そして社長就任の依頼を受けた当時は、私の選手時代からサポートしてくれていた方をはじめ、長年在籍されているスタッフも多くおられたんですよ。そんな方々とまたひとつになってセレッソの魅力を伝え、クラブの価値を高めていく。そんな仕事は、すごくやりがいがあるんじゃないかと思うようになりました。それで『よし、みんなと協力してやっていこう!』という思いで、要請を受けることにしました
「セレッソ大阪提供」
社長に就いたとはいえ、当時はパソコンの扱いもおぼつかないほどだった。そんな社長をサポートしたのは、Jリーグでもきってのファミリー感のあるクラブの仲間たち。現場の選手上がりの人間がフロントのトップを務めることに数々の苦労はあっただろうが、セレッソファミリーたる周囲の仲間が新米社長を支えた。そんな彼ら、彼女たちの助けを受けながら、森島氏は現役時代から「
日本一腰の低いJリーガー」と評された持ち前の謙虚さを忘れず、日々が勉強であると社長業に邁進した。
私が社長にならせていただいてから6年が経ちましたが、社長業が板についてきたとは今でも思っていないですよ(笑)。みんなが意識高くクラブへの思いを持って、なおかつ伸び伸びと仕事をしているのが、このクラブの良いところ。この雰囲気は、セレッソができたころからあるものなんです。だからこそ、みんながチャレンジできる環境であると思いますし、それは大事にしていきたいですね
試合中継が有料配信サービスへと移行
変革期にあるサッカービジネスへの対応は
Jリーグの試合中継は2017年に有料配信サービスが参入して以降、それが主体になった。現在は無料の地上波・BS放送で試合を見られる機会は激減。有料配信サービスの参入はJリーグとそこに属するクラブに大きな利益を生み出したが、一方これまでJリーグに関心がなかった、いわばこれから新規顧客となり得る層との接点を大きく減らしてしまっていることも事実だ。これはどのJリーグクラブにも当てはまるだろうが、セレッソ大阪にとっても現在進行形の課題のひとつである。
プロサッカークラブのメインの商材である試合が、有料配信サービスというクローズドの世界にあるなかで、拓かれた地平から、いかに新たなファンを獲得するのか。森島社長の考えは、まさしく
原点回帰と言えるものだった。
「セレッソ大阪提供」
新たなファン作りには地域のイベントに参加したり、商店街などで地元の方々と触れ合ったり。そういったことは、Jリーグが始まったころからどこのクラブもやっていて、私たちセレッソ大阪もそうです。今はそうやって地域のみなさんに対して露出の機会を増やす努力が必要だと、あらためて思っています。地道なことかもしれませんが、こうしたことはとても大事だと思うんです
これからの世代に向けて、セレッソ大阪を知ってもらう取り組みも積極的に行っている。例えば大阪市内の小学生向けに、クラブのロゴやキャラクターがプリントされたランドセルカバーを送る活動は2018年に始まり、現在では総計13万人の子どもに行き渡った。また大阪市図書館、堺市教育委員会との協働で「
読書推進プロジェクト」も実施している。
「セレッソ大阪提供」
これは大阪市内と堺市内の小学校に『読書手帳』というものを配布し、読書チャレンジとして本を1冊読むごとに手帳にシールを貼っていって、50冊読むとセレッソ大阪のオリジナルグッズがもらえるというものです。子どもたちの読書離れが懸念されている中、その解消のお力になれればと思って取り組みに参加しています。日常の学校生活のなかにランドセルカバーや読書手帳でセレッソと触れていただき、身近に感じてもらう。それをきっかけに、チーム応援をしていただくことにつながればと思っています
「セレッソ大阪提供」
子どもたちに向けた活動も地域貢献活動も、セレッソ大阪がずっと続けてきたことだ。
これらを続けていくことで私たちが地域に浸透し、地域のみなさんに愛され続ける存在になっていきたい。試合中継での露出が届かない方々にセレッソを知っていただくためには、こうしたことをずっと続けていくことが大切だと思っています
日本のサッカー界は否定の声を覆した
セレッソ大阪も、関西の常識を変えるべく挑む
試合の日はチームの勝敗はもちろんだが、今はそれ以上に気になることがある。それはどれほどの数のファン、サポーターがスタンドを埋めているのか。客席に空白はないか。
私がいちばん気になるのは、そこですね。現役選手もやっぱり、お客さんの入りを気にするんですよ。選手に『今日はお客さんが少ないですよね』とか、『相手のサポーターのほうが多いんじゃないですか』なんて言われたら、その言葉が胸に刺さりますね(苦笑)
「セレッソ大阪提供」
スタジアムの特別な空気感は、プレーヤーだけが作り出すものだけではない。かつてピッチでそれを感じていたからこそ、それがわかる。ユニフォームからスーツに着替えた今、戦う選手たちのために桧舞台を整えたいと本音で思う。
お客さんがいっぱい入ってるなかで試合をやれるのは、本当に素晴らしいんですよ。プレーしている選手たちもそうですし、私達スタッフもそう。サポーターのみなさんが作ってくださる雰囲気に、感情が昂ぶるんです。あの状況は選手や、我々スタッフだけでは作れません。サポーターのみなさんがいてこそなんです。多くのサポーターのみなさんがあの雰囲気を作り出してくれるからこそ、選手たちも持っている以上の力が出せて、それがチームの好結果につながる、だからこそ、スタンドをつねに満員にしたいんですよ
プロスポーツクラブの社長は経営面とチームの成績と、両方の結果が求められる。チームの勝利のためにプレーしていた選手時代とは、大きく立場が変わった。だけど、求めるものの本質は変わらない。それは多くのサポーターとともに、勝利のよろこびを分かち合うことだ。
チームが勝つ、優勝する。それはつねに、目指しています。ですがただ単に結果を残すだけではなくて、ホームであるヨドコウ桜スタジアムがどんなときも満員になって、後押ししてくれるサポーターのみなさんといっしょに戦って、そのうえで優勝したい。その思いは年々、強くなっています
Jリーグは誕生から31年、セレッソ大阪はクラブ創設30周年。リーグは「百年構想」を掲げ、ともに歴史はまだまだ続く。そんな未来を見据え、クラブのトップに立つ者の目にはセレッソ大阪の将来がこう映っている。
「セレッソ大阪提供」
短期的にはつねにスタジアムを満員にして、優勝する。それを、目指しています。長期的にはクラブのビジョンにも謳っていますが、大阪のシンボルになること。これはよく言うのですが、関西のスポーツで取り上げられるのは、どうしても阪神タイガースじゃないですか。それを『大阪といえば、セレッソ』と言ってもらえるようにしたい。私だけではなく、セレッソに関わるすべての人間が、その思いを抱いて仕事をしています
今の関西でスポーツ関連の話題で最前線に取り上げられるのは、一も二もなく阪神タイガース。その現状を変えるのは、決して容易いことではない。だが30年前はプロ化なんて成功しないという声が多数を占めていたサッカーの世界は、それを覆した。セレッソ大阪で、日本代表で会心のゴールを決めてきたモリシ社長は、クラブのビジョンを具現化するために走り続ける。