ニューノーマル時代、選ばれる店になるために 創業30年の飲食店経営者が外食に懸ける想いとは

株式会社アストアプランニング / 代表取締役社長 木下浩行 氏


新型コロナウイルス感染症の世界的流行により、「ソーシャルディスタンス」を前提としたコミュニケーションが求められる時代となった。外食業界では、来店客との接触頻度を減らすための施策として、モニターやロボットの導入、フェイスシールドや手袋の着用、テイクアウトやデリバリーの充実など、新しい接客のあり方が模索され始めました。
「アフターコロナ時代に選ばれる外食店になるためには、高い想像力をもった人材の育成が重要だと考えています。お客様と直接関わる場面や、表面的な部分を取り繕うだけの接客では、この業界ではもう通用しないでしょう。」

そう話すのは、株式会社アストアプランニング代表取締役社長木下浩行氏。同社は寝屋川市に本社を置き、大阪を中心として焼肉店やバルなど複数の飲食店を経営しながら、美容サロンやフランチャイズチェーン本部運営も手掛け、今年でちょうど30周年を迎えられました。そんな木下氏は今までの経営経験を活かし、現在は次世代の飲食店経営者育成に注力しています。外食産業にとって大きな変革期の今、木下氏はどのようにして人材育成に当たっているのか創業経緯や事業変遷と共に伺いました。

ニューノーマル:コロナ禍によって注目されはじめた新しい生活様式を総称した言葉。「New(新しいこと)」と「Normal(正常、標準、常態)」の2単語が融合して生まれた造語で以前の生活様式や経済活動、ビジネスからレジャーまで、あらゆる行動を時勢に合わせてアップデートしていく動きのことを指します。

ニューノーマル時代、選ばれる店になるために 創業30年の飲食店経営者が外食に懸ける想いとは

苦境にあっても笑いを絶やさなかった少年時代


1968年、木下氏は大阪で事業を営む父と母の間に生まれ、4人姉弟の次男として温かな愛情を受けながら育った。優しく朗らかな性格で、意識せずとも周囲に人が集まるような少年でした。中学生の頃に父の事業が傾き、生活的に厳しい環境に置かれたこともありましが、人に笑いを振りまくサービス精神だけは欠かすことがなかったと言います。

「子どもの頃は『絶対吉本(興業)行きや』っていろんな人に言われてました。人を楽しませるのが根っから好きなんですよね。学校行事のちょっとした空き時間なんかに、みんなの前に出ておもろいことをしたり。そういえば、高校の同級生にぐっさん(お笑い芸人の山口智充氏)がいたんです。僕がみんなを笑かして場を盛り上げた後に、ぐっさんが出てきてさらおもろいことする、なんてこともありました。自分よりウケてる!ってなるとすごく悔しかったんですけど、今となってはそれもいい思い出です(笑)」

山口 智充:日本のお笑いタレント、ものまねタレント、俳優、声優、ミュージシャン、司会者である。愛称はぐっさんで、吉本興業に所属する。 大阪府四條畷市の出身で、1994年からお笑いコンビ「DonDokoDon」のボケとして活動したが、2007年以降はコンビ活動は休止状態である。 ウィキペディア

高校卒業後はお笑いの道に進むことも考えたが、確実に収入を得ることのできる建設業界への就職を選んだ。日々の仕事をこなしながら平穏な生活を送っていた木下氏に、転機が訪れたのは22歳の時でした。
「親戚の持っていた物件を購入したから、そこを使って飲食店をしようって父が言うてきたんです。僕はまだ若くて、飲食の経験なんて全くなかったので不安だったんですが、喫茶店経営をしたことのある母が応援してくれるというので、思い切って始めることにしました。それが僕の飲食店経営者としての第一歩です」

赤字店舗と4,000万円の返済金


1991年「本家本元木下家」という店名で、木下氏は人生初の飲食店を寝屋川に開業。看板メニューは「鉄板鍋」という独自の料理でした。牛肉とホルモンとたっぷりの野菜を浅い鍋に敷き、コチュジャンベースのスープで炊いて食べるというもので、木下氏が子どもの頃に食べた母の手料理をもとに考案。味が抜群に良く、他店メニューとの差別化もできていたので、これなら必ず繁盛店になれるという自信がありました。しかし開業して3年程は、全くといっていいほど人が来なかったといいます。
ニューノーマル時代、選ばれる店になるために 創業30年の飲食店経営者が外食に懸ける想いとは
「いくら美味しくても、やっぱり人って聞いたこともないような料理をなかなか食べようとしないんですよね。最初はほんとに見向きもされませんでした。駅から遠くて人通りの多い立地でもなかったですし。そこに追い打ちをかけるように、父がガンで亡くなってしまったんです。物件は父と僕の共同名義で購入していたので、4,000万円の借金を僕が一人で背負うことになりました」

赤字続きの店舗運営と、物件購入費4,000万円の借金を一手に引き受けることになった木下氏。経営ノウハウのない23歳の自分では手に負えないと悲嘆に暮れた。しかしそうしていても物事は良くならないと気持ちを切り替え、木下氏はできることからひとつひとつ行動していった。
「店でお客さんを待つだけでなく、自分からどんどん外へ出ていくようになりました。地域のフットサルチームやソフトボールクラブに参加したり。ボーリング大会を企画して、自分から人を集めることもしました。料理を売る前に、まずは“木下浩行”という人間を売り、『この人の店だったら行ってみたい』と思ってもらえるようにしたんです」

そうした木下氏の努力は徐々に実を結び、打ち上げや歓送迎会などの会場として店を利用する人が増えていった。店主の愛想がよく料理の美味しい店だとわかると、大抵の人が常連客となった。店の評判は口コミで広がっていき、噂を聞きつけ遠方から訪れる人も現れるようになりました。

人と人とのつながりから見出した飲食業の醍醐味


「素人ながらも頑張って店を切り盛りしている姿を見たお客さんたちが、だんだん応援してくれるようになりました。地域新聞のちょっとした枠にお店のことを載せてくれたり、常連さんが新しいお客さんを連れてきてくれたり。開業から3年経つ頃には『予約が取れない店』や『寝屋川名物・鉄板鍋』と言われるような繁盛店へと変わっていきました」

ニューノーマル時代、選ばれる店になるために 創業30年の飲食店経営者が外食に懸ける想いとは
木下氏は店の成功は、情の厚いお客さんに恵まれたおかげですと、また開業当初は気乗りしなかった飲食業を好きになれたのも、足繁く通ってくれるお客さんたちがいてくれたからこそだと振り返ります。
「ゴールデンウイークやお盆・お正月に常連さんがご両親を『紹介するわ』ってお店に連れてきてくれたりするんですよ。1か月前位から予約してもらい、そういうのがほんとに嬉しかったです。それで僕らが作る料理を『美味しいわぁ』言うて食べて『また来年な』って満足した顔で帰っていく。で、ほんまにまた次の年に来てくれるわけですよ。こうした人と人とのつながりって、お金に代えられない価値があるし、これが飲食業をするうえで本当に大切な事なんだと感じました」

幼い頃より「人を楽しませたい」という気持ちを人一倍強く持っていた木下氏にとって、客の喜ぶ顔をダイレクトに見ることができる飲食店経営者という仕事は、まさに天職と呼ぶにふさわしい職となっていきました。
一時期は兄や母とグループ会社を設立し、全国展開を目指したこともありましたが、利益追求を優先する経営にさほど興味が湧かず、グループからは3年で身を引きます。東京へ進出したこともありましたが、それも事業拡大というより腕試しのためでした。恵比寿や六本木といった飲食店激戦区に出店し、客足の絶えない人気店になれることが分かった後は、自分の目の行き届く範囲で経営するため、関西に店舗を集約した。木下氏が飲食事業をする最大の理由は、人の喜びや幸せにつながる一期一会の場を創ることにあり、その想いは一貫して変わることがありませんでした。

アフターコロナを生き抜く力を持った人材の育成


2010年代に入ってからは、次世代の飲食店経営者育成にも力を入れ始めた。毎年必ず1人は社員を独立させることを目標にして、現在も自身の知識と経験を惜しみなく社員に伝え続けています。
「最近採用した社員には、『5年したら独立な』って言って入社してもらってます。ここでしっかり学んで、自分の個性を活かした店を作っていってほしいんです。社員に対して課題があると思った時は、怒るよりも『想像してみぃ!』と考えさせることが多いですね。例えばお客さんが帰路を歩きながら、『今日はいい日だったな。ようし、明日も頑張ろう』って言うような接客ができたかどうか、具体的に想像してみぃと社員に問うことをしたりします。『たぶん喜んでもらえただろう』というぼんやりした感覚だけでは絶対だめだと言っています。お客さんへの接客は、目に見える部分だけできてたらいいというわけじゃないんです。社員には、お客さんが店に足を運ぶことになったきっかけや、その人生についてまでも想像できるようになってほしいですね。これからの時代を生き抜く飲食店になるためには、そうした想像力がより必要になってくると考えています」
また社員育成の延長として、独立後のフォローも欠かさずしているという。
「独立して間もない頃は、従業員を雇わず1人で店を回す場合が多くあるんです。そうした場合、何かに悩んだり躓いたりすると孤独に陥りやすい。そんな時になんでも気軽に話せるよう、グループLINEを作ったりして独立した元社員をフォローしています。コロナ禍中もよく連絡を取り合っていました」


プラスの気を広げるための新店舗


木下氏は、2022年2月にへレカツ専門店を守口市の大日に新規オープンさせる予定でいる。
ブランド豚のヘレ肉を使ったトンカツ店を開業する予定です。コロナの体験からテイクアウト需要に対応できて、お酒がなくても満足できる料理としてトンカツを選びました。しばらく厳しい状況が続きそうですが、元気のある飲食店を増やすことが、世の中の元気につながると考えて開業を決めました。飲食店って、美味しいもの食べて元気になろうとか、みんなとごはんを食べるのを楽しみたいとか、そういうプラスの“気”を持ったお客さんと、それに応えようとする僕らのプラスの“気”が合わさる場所だと思うんです。僕らの店を通じて、これからもたくさんの人を元気にしていきたい。その想いは今も昔も変わりません」

ニューノーマル時代、選ばれる店になるために 創業30年の飲食店経営者が外食に懸ける想いとは

また昨年から毎週月曜の朝5:00-5:30、木下姉弟と3人でFM大阪のラジオ番組「TKO兄弟の朝からあげchao!」を放送中。週初めの月曜朝、元気を発信中です。

TKO兄弟の朝からあげchao!
ニューノーマル時代、選ばれる店になるために 創業30年の飲食店経営者が外食に懸ける想いとは

外食は空腹を満たす料理を提供するだけでなく、人と人との交流を育む場を提供するホスピタリティ産業のひとつとしても重要な役割を果たしてきた。その形態はコロナ禍を背景に変わりつつあるが、求められる役割はこれからも変わらないだろう。外出自粛や休業・時短要請などによって、業界は大きなダメージを受けているが、そんな苦境と真っ直ぐに向き合う木下氏のような人物が、これから外食業界の進むべき道を明るく指し示してくれているに違いありません。

ホスピタリティ:英語の名詞「hospitality」を元とする外来語。「hospitality」には「親切にもてなすこと」や「歓待」「厚遇」といった意味があります。


株式会社アストアプランニング
本社:〒572-0024 大阪府寝屋川市石津南町7-11
オフィシャルサイト:https://www.astore-planning.jp/

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