「和紙の布」・「木糸(もくいと)」で世界に挑戦! 独自開発で繊維産業の未来を紡いだ町工場

株式会社 和紙の布 代表取締役 阿部正登氏

                                                            

ふわりと風を纏うような軽さ。毛羽(けば)のない優しい肌触り。型崩れしない耐久性。強靭なハリとコシ。高い抗菌性と紫外線カット率。夏物衣料に適した通気性。冬物衣料に適した保温性。環境に配慮したエコ素材。それらすべてを叶える布が存在する。
大阪・泉州の阪南市に本社を置く株式会社和紙の布。そこで和紙の繊維を原料にして作る「和紙布」だ。
一般的に紙の繊維は、綿や毛のような伸性(糸や織物などの引っ張りに対する破断強度と破断するまでの伸び)がないため、布に不向きな繊維だとされている。しかし同社代表取締役の阿部正登氏は、そうした既成概念に囚われることなく、紙の繊維で見事に布を作ってみせた。

「和紙の布」・「木糸(もくいと)」で世界に挑戦! 独自開発で繊維産業の未来を紡いだ町工場


セルロースなどの繊維を撚り合わせて糸状にしたものを、交差させながら平らに織り重ねていくと布になります。論理的には繊維を含んでいれば、どんな素材からも布が作れるんです。私が和紙を選んだのは、素材として強い魅力を感じたからです。軽さや肌触りの良さといった機能性はもちろんですが、日本独自の歴史と文化を持つ素材であることに魅かれました。和紙なら海外でも勝負できると考えたのです。


阿部氏はおだやかな口調でそう語る。事務所のラックには、世界最高峰とされるラグジュアリーブランドのバッグがさりげなく提げてあり、詳細を聞くとサプライヤーとして製造を請け負った和紙糸仕立てのバッグだという。
同氏はどのようにして「和紙の布」で国際的な成功を収めたのだろうか。事業変遷や今後の展開とともに聞いた。

「和紙の布」・「木糸(もくいと)」で世界に挑戦! 独自開発で繊維産業の未来を紡いだ町工場

急落する繊維産業、事業存続のために選んだ「和紙」の布づくり


「和紙の布」の創業は1962年。阿部氏の父が、足袋生地の製造工場として「阿部織布」の社名で開業したことから始まった。当時は高度経済成長期の真っ只中。日本有数の綿織物産地だった泉州地域は、大変活況な状態にあったという。
幼い頃より繊維に親しんできた阿部氏は、自然な流れで家業に就き、1985年に28歳という若さで代表となった。着任後は織機の増設などを行い、さらなる事業拡大を目指した。しかし日本の繊維産業はその後急速に衰退していくことになった。同年発表されたプラザ合意(※1)をきっかけに円高が一気に進行。輸出が苦境に陥り国内景気が低迷し、繊維産業の輸出額と輸入額も1987年に逆転した。不況を脱するため製造拠点を海外にシフトする企業が増え、産業の空洞化や脆弱化も加速した。89年からのバブル景気で内需が高まり出荷額は伸長したが、91年にバブルが崩壊すると急激に下降。輸入依存型の構造不況産業へと変容した繊維業の実態が露わになった。国際競争力を失った国内生産は縮小の一途を辿り、代わりに安価なアジア諸国の輸入製品が市場を占有するようになっていった。
(※1)プラザ合意:1985年9月 先進5か国 蔵相・中央銀行総裁会議により発表された為替レート安定化に関する合意の通称。

最初は輸入製品を『安かろう・悪かろう』という目で見ていました。しかし数年すると彼らは技術を身につけ品質を上げてきた。だんだんと『安かろう・良かろう』に変わってきたんです。そうすると脅威を感じ始めましたね。このあたり泉州地域は、全国でも3本の指に入る綿織物の産地でした。最盛期には720社の繊維業者があったのですが、安い輸入品に圧されて廃業や倒産が相次ぎました。『このままではいけない』と考え、事業をけん引するための新しい素材を探しました。そこで見つけたのが“和紙”でした。


設計を変える事で生まれた、「和紙の布」


「従来通りのビジネスモデルでは生き残れない」と、阿部氏は廃業・倒産が急激に進む周りを見ながら肌で感じた。日本は高度経済成長を経て、発展途上国型から先進国型の経済へと不可逆的な変化を遂げたのだ。事業を存続させるためには、また地場産業の衰退を食い止めるためにはどうすればよいか。阿部氏の出した答えが「和紙の布」だった。
和紙は時代とともに記録・芸術・建具・日用品と用途を広げ、日本のあらゆる事柄に深く関わってきた。日本独自の歴史と文化を持つこの素材を“布”として活用し、新しく和紙の用途を広げることはできないだろうか。実現できれば日本文化の継承にも貢献できる。そう思い立った阿部氏は、さっそく和紙を原料とした布づくりの研究・開発に着手した。
2001年から和紙を原料にした布の開発を始めました。なかなか商品化できず、和紙の原材料費がかさむばかり。家族から『もうやめてほしい』と言われるほどでした。織物は経(たて)糸と緯(よこ)糸を交差させながら平面を作っていくんですが、経糸の扱いがとても難しいんです。同業他社で同じように和紙の布を作ろうとする先もありましたが、みんなここで諦めてしまう。ただ、経糸さえ安定させることができれば、あとは楽なんです。なんとか形にしようと試行錯誤を繰り返しました。


「和紙の布」・「木糸(もくいと)」で世界に挑戦! 独自開発で繊維産業の未来を紡いだ町工場

経糸には、緯糸を打ち込む衝撃に耐えられる強度や、緩みなく張った状態を維持する張力などが必要とされるため、緯糸よりも扱いが難しいのだという。阿部氏は織機を根本から見直し、伸性のない和紙に合わせた専用の設計をするなどして開発を重ねた。
2年の歳月を費やし、ようやく阿部氏は「和紙の布」を完成させた。それは、軽量性・耐UV性・強靭性・通気性・保温性・抗菌性・環境性などを兼ね備えた魔法のような布だった。


海外販路開拓 -広がる「和紙の布」の可能性


ようやく商品化できたのですが、次はどうやって販路を開拓していくかが課題になりました。和紙は綿と比較すると20~25倍の原材料費が掛かります。そのぶん売価も高くなる。今までとは違う販路が必要でした。販路のひとつとして海外を視野に入れてはいましたが、どう開拓したらいいのかわからない。そんな時出会ったのが池田さんです。

阿部氏の言う“池田さん”とは、大阪市内に拠点を置き、繊維製品の輸出支援などを行う有限会社湧元(※2)の池田豊氏のことだ。阿部氏の情熱と製品クオリティの高さに感銘した池田氏は、「和紙の布」の海外販路開拓を全面的にサポートした。「本当によいもの」は、人を無条件に突き動かす力を持つ。「和紙の布」はまさにそんな布だった。池田氏の他にも商工会議所や業界団体、王子ファイバー株式会社といった企業も阿部氏の挑戦に協力した。
阿部氏は各国の見本市や展示会などへ出展を重ね、徐々に受注を増やしていった。JETRO(日本貿易振興機構)の「輸出有望案件発掘支援事業」にも採択され、国を代表する輸出製品としての役割も担うようになっていった。知名度を上げていくと、世界の名だたるファッションブランドからも声が掛かるようになった。パリやミラノでは、「和紙の布」をテーマにしたファッションショーがたびたび開かれることもあった。
(※2)有限会社湧元:国内の優良繊維を買い付け世界の一流アパレルブランドへ販売する商社https://shacho.osakazine.net/e726253.html

「和紙の布」・「木糸(もくいと)」で世界に挑戦! 独自開発で繊維産業の未来を紡いだ町工場ミラノにて商談会



阿部氏は世界に挑戦することで、新しいビジネスモデル、新しい企業ブランド、そして新しい協力者・賛同者を見出すことに成功した。
2008年には社名を阿部織布から「株式会社和紙の布」に変更し、事業の主軸に和紙があることをより明確にした。
チャンスが来たら、まずはOKと返事をしてしまうこと。いい答えを出そうとしたり、戸惑っていたりしているとチャンスはその間に他のところへ行ってしまいます。OKと応えて、それからどう手を打てばいいか考えればいいんです。最近は輸出事業について講演を頼まれることもあるのですが、海外進出を目指す経営者の方に向けて、そんなことを伝えています。

重要なのは、相手のオファーに対してすぐアクションを取ること
“できる・できない”を考えるのは、返事をした後でいいと阿部氏は言う。
阿部氏の知識の深さと他社ができない確かな技術力を兼ね備えているからできるのだ。
世界を相手に挑戦するなら、迷ったり戸惑ったりしている暇はない、それが阿部氏の経験論だ。


間伐材を通じて繊維業と林業の協業を促進


阿部氏は現在、和紙の布のほか間伐材で作った「木糸(もくいと)」の製造にも注力している。

「和紙の布」・「木糸(もくいと)」で世界に挑戦! 独自開発で繊維産業の未来を紡いだ町工場

日本の国土の7割は森林です。その森林を整備する際に出る間伐材が、現在有効活用されずに余っている状態です。そこで間伐材を活用し、和紙と同じように布が作れないかと考えました。日本は綿、絹、毛といった天然由来の繊維原料の99.9%を輸入に頼っています。間伐材を活用して糸を作れば、100%国産を実現できる。原料調達を輸入に頼らなくてよくなるんです。また林業の活性化につながる仕組みを作ることもできる。繊維業と同じく林業も、安価な輸入材によって衰退してしまった産業のひとつです。間伐材を通じて繊維業と林業の協業を促進する。“これは今までにない新しい試みではないでしょうか。
手掛けてきた木糸は、奈良の吉野杉・東京の多摩材・福井の五代杉・栃木の日光杉など、今のところ11か所あります。もちろん大阪の河内木材で木糸を作り、地産地消への貢献も進めています。今後47都道府県にそれぞれの木糸を作り、日本各地の地域活性化にも貢献したいと考えています。


こうした阿部氏の取り組みは、経済産業省の「繊維産業における先進的取組事例」への採択、林野庁の「林野庁長官賞」や「ウッドデザイン賞」の受賞、内閣府の「ふるさと名品オブ・ザ・イヤー政策奨励賞」の受賞などにつながっていった。
「伐採・利用・植栽」という森林資源のサイクルに沿い、適切に人工林の再造林と木材利用を行えば、「2050年カーボンニュートラル」の実現に大きく寄与できる。そのほか水源の涵養や生物多様性の保全など、阿部氏が事業を通じて貢献できることはまだまだある。

「和紙の布」・「木糸(もくいと)」で世界に挑戦! 独自開発で繊維産業の未来を紡いだ町工場


人の想いと願いを紡ぐ「木糸(もくいと)」


最近は神社仏閣からの依頼も増えているという。高野山では奥の院のスギで振舞を作り、東大阪の一の宮 枚岡神社では建て替えに伴う旧鳥居で腹帯を作った。そのほか永平寺や伊勢神宮の樹木からも木糸を作った。
ご神木で木糸を作り、お振舞やお守り袋、奉納品として還元するんです。そこにはほかのものに代えがたい物語が生まれます。東日本大震災の津波で被災後に枯死した陸前高田市の「奇跡の一本松」の幹から木糸を作った時もそうです。出来上がった布には人の想いや願いも一緒に織り込まれます。木糸の最大の価値や魅力は、おそらくここにあるでしょう。
やっぱりものづくりが好きなんでしょうね。間伐材の話しを始めたら、簡単に10ページくらいの原稿になるんじゃないかな。いろいろなものづくりの中で、地産地消を実現できる日本独自のマテリアルって、木しかないと思っています。今はまだ入り口に立ったばかり。やりたいことは尽きません。

そう言って笑顔を見せる阿部氏。


経営は、たびたび機(はた)織りに例えられる。
一貫した経営理念を経(たて)糸とし、時代に即して変化させる施策を緯(よこ)糸に見立てると、企業の本質が見えてくる。

日本文化と精巧な技術でしなやかに張った経糸に、阿部氏は次にどんな緯糸を交差させていくのだろうか。

「和紙の布」・「木糸(もくいと)」で世界に挑戦! 独自開発で繊維産業の未来を紡いだ町工場



株式会社 和紙の布
〒599-0202 大阪府阪南市下出305-1
オフィシャルサイト:http://www.washinonuno.com/