日本古来の植物「日本茜」から生みだされる Japan Redに魅せられた男

一般社団法人日本アカネ再生機構 代表理事 杉本一郎氏


日本古来、染色に用いられてきた「日本茜(あかね)」を復興させたいと茜の栽培から染色技術の開発、地域の産業とのコラボによる製品化など、第二の人生を「茜」に捧げているのが一般社団法人日本アカネ再生機構の代表理事 杉本一郎氏

日本産種の「日本茜」は日本では既に技術の絶えてしまった「茜色」の染料である。
根っこを使って染めるのであるが、その技術は途絶え、幻の染料となってしまった。
京都の大手企業の役員だった杉本一郎氏は57歳のときに退職した。
目的を持たずに退職した杉本氏だったが、自生している「日本茜」を発見したことで「日本茜」に未来への可能性を見出した。
2021年に一般社団法人日本アカネ再生機構を設立し、日本国内のみならず、世界も視野に「日本茜」の魅力を発信し続けている。話を伺った。

日本古来の植物「日本茜」から生みだされる Japan Redに魅せられた男



幻の染料といわれていた日本茜のことを知ったのはいつ頃だったのでしょうか?

勤めていた会社が、織物関係のことをしていたので正倉院の裂地(きれじ:当時の染織品)の復元事業(※1)に関わることになったんです。日本産種の「日本茜」で染色が再現しようとしたのですが、再現できるほどの量の「日本茜」はどこにもありませんでした。それが皇居で自生していることが分かったんです。絹糸も皇居で長年飼育されてきた「小石丸」という小さな蚕のもの。その繭糸が正倉院の古代裂地の復元に最もふさわしい現存の生糸でした。
(※1)正倉院の裂地(当時の染織品)の復元事業:小さな蚕、小石丸は94年度から始まった正倉院裂の復元に大きな役割を果たす。皇后陛下(現・上皇后陛下)は増産して対応される。天皇陛下(現・上皇陛下)もまた、正倉院の復元裂地を染色するために皇居内の茜の栽培に御助力された。

杉本氏が直接かかわった事業ではなかったが、このとき知った「日本茜」のことは脳裏から離れなかったそうだ。

日本古来の植物「日本茜」から生みだされる Japan Redに魅せられた男


57歳でサラリーマン生活にピリオド、第二の人生の「日本茜」


常務執行役員だったときにある部署のリストラを任されました。課長も部長も切りました。社員が辞めさせられるのに役員は誰も辞めないのかという空気が社内に蔓延しましてね。誰か手を引かないとと思い、私が辞めました。


定年まであと少しだったと思うのですが、先のことは考えてらっしゃたのでしょうか?
57歳のときに辞めました。先のことは全くの白紙でした。勤務時代、家に帰るのは深夜になることも多く、体もガタがきていたので、体力づくりを始めたんです。当時は滋賀に住んでいたので、毎日100回ほど近江富士(※2)に登りました。
(※2)近江富士:滋賀県野洲市にある三上山のこと。その美しい姿から通称「近江富士」と呼ばれいる。標高は432m。ふもとには森林公園がある。

体力づくりに励みながらも常に頭にあったのは「日本茜」のことだったという。
どこかに自生しているはずだ、自分で見つけたいと思っていたそうだ。そんな日々を繰り返しているときに野洲川の河川敷に咲いている「日本茜」を発見した。
数株を家に持ち帰り、マンションのベランダに植えたのが「日本茜」との付き合いの始まりだった。

ベランダではたくさん育てることができないでしょ。大阪の忠岡にある私の実家は、家の裏に草むらもあったんで、日本茜をもっと育てることができます。故郷に戻りたいという気持ちもあって、女房を説得して忠岡に移り住むことにしたんです。


日本古来の植物「日本茜」から生みだされる Japan Redに魅せられた男
サラリーマン時代から機織りを習得


第二の人生は Japan Red 、日本茜の復興に邁進


大阪泉州の忠岡にある実家は江戸中期に建てられた築250年の古民家だったため、建てかえには費用も掛かったそうだが、杉本氏はやりたいことがやれるなら食えるだけのお金があればいいという思いがあった。
さっそく裏庭に100株の「日本茜」を植えたのを皮切りに、杉本氏の退職後の人生は「日本茜」に大きく舵を切った。

大阪のご実家に戻られてからは、第二の人生は「日本茜」の復興だと決められたのですか?
そうですね。サラリーマン時代から人の後を追っかけるのが嫌いだったんです。「日本茜」を育てている人がほとんどいない、染色も難しい、だから誰もやらない、幻の染料になってしまっている。ならば私がやってやろう、「日本茜」を復興させようと決意しました。


「日本茜」の栽培は3年がかりである。しかも100株植えても根を乾燥させ、染料になるのはわずか100gである。
困難極まりない。それゆえに愛着も沸く。
草木染にかかわってきた方であれば、赤しか使わないことが多いそうだが、杉本氏は根っこから色が出尽くすまで染色に使用する。
その色は、赤、オレンジ、黄色と様々な色に変わる。「日本茜」の染料でまさしく茜色の空を表現できる。

忠岡に戻ってからは栽培面積を増やすために奔走した。
当時、大阪府にあった準農家制度(※3)を利用し、岸和田市に約500㎡の耕作放棄地を借りた。さらに大阪府では認められていなかった「日本茜」を農産物として認めてもらうためにも奔走し、大阪府の「忠岡町」「岸和田市」、京都府「福知山市」の3つの自治体で農産物と認定された。「日本茜」が農産物として認められたのは日本初ではないだろうか。
(※3)準農家制度:小規模な農地で新たに農業経営を目指す方の参入を促進するための制度(農業経営基盤強化促進法等が改正により2023年4月1日で終了)

日本古来の植物「日本茜」から生みだされる Japan Redに魅せられた男
一面、茜の畑



一般社団法人日本アカネ再生機構を設立


2021年に4人で大阪府忠岡町に一般社団法人日本アカネ再生機構を設立。
日本茜の栽培、染色などの技術研究、地場企業とのコラボによる日本茜の地場特産品の商品開発などに取り組んでいる。
積極的に染色の技術を伝える講座も開催し、「日本茜」のファンをどんどん増やしている。

私一人でモノを作るのではなく、人と繋がっていくことで世にないものを作ろうとしています。理想主義すぎるかもしれませんが、敢えて株式にはしたくありませんでした。


2022年には『第一回おおさかアグリイノベーショングランプリ』(※4)では、《工芸作物もピカっと光る農作物!世界の女性が集う泉州「日本茜の里」づくり》というテーマで取り組んできた日本茜の栽培や染色などの研究成果、これまでの活動実績や今後の可能性などについてプレゼンし、みごとグランプリを受賞した。
この受賞で食べ物だけが農産物では無いことも認められた。
(※4)おおさかアグリイノベーショングランプリ:大阪の農業にイノベーションを起こすような農業、または農業関連ビジネスにおける新たな取組みを応援するために大阪府が開催。優秀者には協賛企業から資金や技術等を提供し、大阪農業のイノベーションに貢献するビジネスプランの実現を支援。

日本古来の植物「日本茜」から生みだされる Japan Redに魅せられた男



「日本茜」の可能性は無限に広がりそうだ。絹、麻、木綿などの繊維はもちろん、和紙、皮製品、プラスチックも染まるという。杉本氏は、染め糸に光を当てて数値に置き換える測定をし、データをまとめている。染色の講習会、セミナー、自生している「日本茜」を探す散策ツアー等と精力的に開催し、時間はいくらあっても足りないくらいである。地場産業とのコラボで商品も誕生しつつある。
染色以外に漢方としても用いられてきた歴史があり、食べ物の染色にも安心して使用できるという。おでんを染めてみたいと持ち込まれた。どれもこれも染まるという。

こうした積極的な活動は、文化財の修復に貢献するまでになっていった。
2023年には東京・青梅市にある武蔵御嶽神社が所蔵している国宝『赤糸威鎧(あかいとおどしよろい)』の修復にも関わった。
鎧に使用されている絹糸を日本茜で染色し、約800年前の鮮やかな赤色を蘇らせた。杉本氏がこの時目指したのは800年前の武士の大将が着用した赤糸威鎧の極濃赤色だったという。

何度も染を繰り返し、濃い赤にしました。鎌倉時代の武士にすれば兜は死に装束でもあるわけです。「もっと濃い赤にしろ」といわれているような気がしたんです。


誰もやっていないことをトライし続ける


杉本氏がサラリーマン時代からずっと心掛け、実践してきたことがある。
基本、無心です。自分を無にして人にとって何がいいか、そういうことで組み立ててきました。無になればなるほど相手が感じてくれるんです。

門戸を開放し、「日本茜」に興味を持ってくれた人には知りえたことはすべて伝授している。
幻を追いかけるドン・キホーテの気分だそうだが、幻が幻ではなくなりつつあるようだ。それは絶えず、トライ&エラーを繰り返し、新しいこと、誰もやっていないことにチャレンジしてきたからに他ならない。

海外からの客人もたびたび工房にやってくる。
来年には、欧州を回り世界へ「日本茜」の文化を広げたい
と計画している。

ますます「日本茜」から目が離せない。

日本古来の植物「日本茜」から生みだされる Japan Redに魅せられた男
茜色のタペストリー




一般社団法人日本アカネ再生機構
所在地:大阪府泉北郡忠岡町忠岡北2-1-14
オフィシャルサイト:https://japan-red.com/



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