「なんでオレが、犯罪者の面倒を見なアカンねん!」 壮絶な経験をした、建築会社社長の生き様

オオサカジン運営事務局

2025年04月21日 10:00






カンサイ建装工業株式会社 / 代表取締役 草刈健太郎 氏


この取材時、草刈健太郎氏が主役の劇場版 ドキュメンタリー映画『おまえの親になったるで』が全国で上映されたばかりで、草刈氏自身相当忙しい中、話を聞くことができた。
これまでの波乱万丈な人生と現事業を語っていただいた。






カンサイ建装工業株式会社は建築物の改修工事を主事業として、1980(昭和55)年に創業する。

弊社は私の祖父が1934(昭和9)年に始めた、塗装屋さんが起源なんです。そちらは日之出塗装工業の社名で今もやっていまして、今年度で90周年を迎えました。
もうひとつ、オープンブックマネジメントという会社もあり、こちらは建設業を中心に人材の派遣と紹介をメインに行っています。
この3社が、私たちのグループ会社ですね。

若い頃の草刈氏自身に、家業を継ぐ考えはなかったという。
昔は映画の脚本家になりたいなとか、映画の道に行きたいなと思っていました。ですが自分の将来を決めるころに、父親から『改修工事は、お金が稼げる。ウチは総資産が70億円ぐらいある』と聞かされて、それなら継いでもエエかなと思ったんです。
当時は元暴走族の主人公が建設業界で活躍する、『サラリーマン金太郎』という漫画が流行っていて、この漫画が大好きだった。それもあって建設業も面白いなと思い、大学を卒業してゼネコン(総合建設業)の大林組さんにお世話になりました。


家業を継ぐために戻ったら、経営は火の車だった


大林組で3年の経験を積んで、家業を継ぐために戻った。
「儲かるで」と聞かされてこの道に進んだのに、戻ってみると経営は火の車だった。

その時はバブル崩壊のあおりを受けて、70億円ほどあった資産がマイナス13億円くらいになっていました。奈落の底でしたね。もう崖っぷちどころか、ふち(縁)がない状態。
それでも、事業を継がないと仕方がなかったですから。ホンマは、嫌やったんですけどねぇ(笑)。


会社を立て直すために、とにかく駆けずり回った。
大手、中堅を問わず、ゼネコン各社に飛び込み営業をかける毎日。事態が改善したのは、2000年代に入ってしばらくしてからだった。

もうアカンかなと思っていたころに、アスベスト(※1)を伴う解体工事を請け負ったんです。工事をする際には、アスベストを飛散させないように徹底的に養生しないといけない。その時に「これ、塗装作業のノウハウが活かせるんと違うか」と、ひらめいたいんです。
それを展開したところ、ウソみたいに業績が回復しました。4人くらいの施工管理者で、売り上げが10億円くらいになりました。

(※1)アスベスト(石綿):天然に産する繊維状のけい酸塩鉱物で、耐熱性や断熱性、防音性、絶縁性などの機能を有す。安価で幅広い用途に利用されたが、吸入すると肺がんや中皮腫などの健康被害を引き起こすことが明らかになり、使用が制限または禁止されている。

これを機にグループ全体で上昇に転じ、業績は当時と比較して現在、10倍近くの売り上げをあげている。



そんなグループを率いる草刈社長は行動力があり、快活でパワフルな人物だ。
現在は本業以外にも、日本財団が行っている「職親(しょくしん)プロジェクト」(※2)にも携わっている。
これは官民連携の取り組みで、刑務所を出所した元受刑者の自立更正を推進するための活動だ。
刑務所出所者、少年院出院者を主に自社などに雇用することで彼ら、彼女らを受け入れる。

(※2)職親(しょくしん)プロジェクト:日本財団 職親プロジェクトは再び罪を犯すことを防ぐため、また犯罪で悲しむ方を増やさないため、「就労」、「教育」、「住居」、「仲間づくり」の視点で刑務所出所者、少年院出院者の社会復帰を応援している。現在、雇用数は806人、参加企業数は422社。草刈代表は職親プロジェクトの関西事務局代表でもある。
職親プロジェクト関西 URL https://shokushin.org/


関西人なら誰もが知る飲食店グループのトップとの出会いで、更生支援の道に


自分がこういう元受刑者の更生支援に携わるとは、思っていませんでした。きっかけは、東日本大震災。
震災が起こってから1週間後に大林組から連絡があって、栃木県に足を運ぶ機会があったんです。その時に『近くまできたから』と宮城県の友人に連絡したら、『時間があるなら来てほしい』と言われて行きました。


現地で出会ったのは、関西人ならだれもが知るあの飲食店グループのトップ。
友人を通じて、お好み焼きの「千房」の当時は社長で、現会長の中井政嗣さんとお会いしたんです。
話のなかで、中井社長が声をかけたら大阪の有名どころのお店が参加してくれるやろうから、復興支援として炊き出しをやろうとなりました。
実際に千房に、たこ焼きのくくる、うどんの今井、串カツのだるま、私の義理の父がやっている料亭神田川が参加してくれて、3000食の炊き出しをしたんです。これをきっかけに翌年でしたかね、中井社長が熱心に取り組んでおられる職親プロジェクトに「草刈くん、手伝ってくれへんか」と誘われたんです。
初めは、嫌でした。中井社長も、私の背景を知っていると思っていましたから……。



犯罪被害者家族であることの “縁”


幼いころから一緒に映画を観ていた妹が、映画の脚本家を目指してアメリカに留学に行くことになった。
自分の夢を、妹が叶えてくれる。全力で応援すると誓って送り出した。
そして社長になって2年目の2005年。その妹が、殺害されてしまう。まだ、25歳だった。

加害者は同居していた、俳優志望のアメリカ人。この男は精神障害を盾に無罪を主張したが、受け入れられるはずがない。裁判にはとてつもない時間と多額の費用、労力が費やされることが明らかだった。
当時の会社は倒産寸前の状態だったが、私財をすべて投げ打って戦うことを決める。その決断を家族も会社の役員も支持し、応援した。そして4年もの歳月をかけて、ついに有罪判決を勝ち取った。

過去に日之出塗装工業で元受刑者を雇ったことがありましたが。そのときは元受刑者であることを表に出しませんでした。でも職親プロジェクトをやるなら、オープンにしようと。それで理髪店業の方たち、飲食業の方たちと私の6社で、山口県の美祢(みね)市にある刑務所に見学に行ったんです。建設業は、私だけでしたね。

アメリカでの妹の裁判の頃からテレビ局がドキュメンタリーとしてずっと私を追いかけてくれていて、この時もテレビ局が付いてきました。
そこで中井社長が私の事情(犯罪被害者家族)を初めて理解され、『草刈くん、そんなことがあったんか』と仰ったんです。
中井社長は、知らなかったんですね。
その時、「これは全部つながっているんやな」と思いました。

落ち着いた声色で、さらに話を続ける。
妹の裁判が終わってからも、私はずっと落ち込んでいたんです。でも東日本大震災の復興支援に携わらせてもらい、家族を亡くしても前向きに生きてる人の姿を見て気付かされたこともありました。職親プロジェクトも、震災復興を通じた中井社長とのつながりがきっかけでした。
これは妹から『やれ!』と言われてるんやなと思ったんです。



職親プロジェクトに参加して最初に雇用したのは、少年院を退院したばかりの18歳の男性。
父親は最初からおらず母親は認知症で、施設で育ったそうだ。
最初の彼はとにかく、ウソばかりついていましたね。1週間に1回財布を落として、1週間に1回風邪をひくんです。そんなヤツおるかって(笑)。それでもエエわと思って彼のウソに付き合ったりして、10年くらいかかってやっと真面目になって、もう独り立ちしたなと思ったころに友達に誘われて、また犯罪に手を染めてしまったんです。





更生したと思ったら再犯 … 涙が止まらなかった


このときの被害者は、未成年の少女だった。
東京で開かれた裁判に行って、その彼と10年間やってきたことを振り返りましたし、被害者の方に対して心から申し訳ないと思いました。こちらの弁護士を通じて「被害者の方に、何かさせていただけませんか」と話したところ、「(被害者は)未成年で事情を深く理解していないし、そのことで彼女に思い出させたら良くない。だから、気持ちだけいただきます」と言われたんです。そのときはホンマに涙が止まりませんでしたし、自分はこんなに大変なことに携わっているんだと、思いを新たにしました。


それからおよそ、30人の元受刑者を受け入れてきた。
立派に更正する者もいれば、そうならない者もいるのが現実。やるせない思いを胸に抱えることも?
ありますね、そんなことは。でもただ仕事をやってもらうだけでは、更生するのはなかなか難しいんです。そこで雇う側が、どれだけ心配りができるかが大事。それを続ければ、蓄積するものって出てくるんですよ。
普通の若い社員さんに対しても同じで、彼らや彼女たちにどうやって、いろんな道を教えてあげるかがポイントかなと。
裏切られるたびに悲しい思いをしますが、このプロジェクトをやってきて、自分自身の勉強にもなっていますね。


今では刑務所に重機や道具を持ち込んで建設業の仕事を体験してもらったり、公文式(※3)を少年院に導入するなどの取り組みも行っている。
(※3)公文式:公文教育研究会の公文式は年齢や学年に関係なく、一人ひとりの能力や興味に合わせて学習を進める自学自習形式の学習法。

少年院に講演に行ったことがあって、そこで聞いたら半分くらいが掛け算ができないんですよ。それで公文さん(公文教育研究会)のご協力を得て、公文式を導入したんです。そうしたら、ほとんどのコ(人)が因数分解までできるようになりました。公文を受けた4割近くのコがもう1回学校戻りますと言って、大学に行きますというコも出てきました。それは、何より嬉しいですね。



軸足である経営者として、社の成長を止めない


もちろん軸足である経営者としても、社の未来を築くことを忘れてはいない。
成長は絶対に止めたらアカンと思っています。1年ごとに物事が変わっていくので、時代の波がどうなるかわかりませんが、ちょっと無理して、無茶はせずに成長し続けたい。
この会社はみなさんのおかげで成り立っているわけですから、売り上げばかりを重視せずに魅力のある会社作りをやっていきたいです。
会社というのは本当に人作りが大事で、弊社はその基礎がやっとできてきたところ。
この会社で働いて良かったと言ってくれる人を、ひとりでも多くしていきたいですね。


草刈社長は過去の辛い経験から現在に至るまでを綴った自著『お前の親になったる』を発刊し、映像作品『お前の親になったるで』も上映された。

この記事を読んで興味を持たれたなら、ぜひ目にしていただきたい。




草刈社長の若き日の夢、「映画の世界」。
映画の脚本家を夢見てアメリカに渡ったが、無念の死を遂げた妹さん。

今、草刈社長は映画を作った。
俳優の赤井英和氏、「串かつだるま」の上山勝也会長、リゾートホテル運営リゾートライフの柴山勝也会長たちと共に、年に1本映画を作る。
現在まですでに2本が製作された。

「関西を元気にせな!」、その使命感から映画を製作している。



カンサイ建装工業株式会社
本社:大阪市淀川区西中島5丁目14番5号
オフィシャルサイト:https://www.kansaikenso.jp/

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