2025年04月21日 10:00
弊社は私の祖父が1934(昭和9)年に始めた、塗装屋さんが起源なんです。そちらは日之出塗装工業の社名で今もやっていまして、今年度で90周年を迎えました。
もうひとつ、オープンブックマネジメントという会社もあり、こちらは建設業を中心に人材の派遣と紹介をメインに行っています。
この3社が、私たちのグループ会社ですね。
昔は映画の脚本家になりたいなとか、映画の道に行きたいなと思っていました。ですが自分の将来を決めるころに、父親から『改修工事は、お金が稼げる。ウチは総資産が70億円ぐらいある』と聞かされて、それなら継いでもエエかなと思ったんです。
当時は元暴走族の主人公が建設業界で活躍する、『サラリーマン金太郎』という漫画が流行っていて、この漫画が大好きだった。それもあって建設業も面白いなと思い、大学を卒業してゼネコン(総合建設業)の大林組さんにお世話になりました。
その時はバブル崩壊のあおりを受けて、70億円ほどあった資産がマイナス13億円くらいになっていました。奈落の底でしたね。もう崖っぷちどころか、ふち(縁)がない状態。
それでも、事業を継がないと仕方がなかったですから。ホンマは、嫌やったんですけどねぇ(笑)。
もうアカンかなと思っていたころに、アスベスト(※1)を伴う解体工事を請け負ったんです。工事をする際には、アスベストを飛散させないように徹底的に養生しないといけない。その時に「これ、塗装作業のノウハウが活かせるんと違うか」と、ひらめいたいんです。
それを展開したところ、ウソみたいに業績が回復しました。4人くらいの施工管理者で、売り上げが10億円くらいになりました。
自分がこういう元受刑者の更生支援に携わるとは、思っていませんでした。きっかけは、東日本大震災。
震災が起こってから1週間後に大林組から連絡があって、栃木県に足を運ぶ機会があったんです。その時に『近くまできたから』と宮城県の友人に連絡したら、『時間があるなら来てほしい』と言われて行きました。
友人を通じて、お好み焼きの「千房」の当時は社長で、現会長の中井政嗣さんとお会いしたんです。
話のなかで、中井社長が声をかけたら大阪の有名どころのお店が参加してくれるやろうから、復興支援として炊き出しをやろうとなりました。
実際に千房に、たこ焼きのくくる、うどんの今井、串カツのだるま、私の義理の父がやっている料亭神田川が参加してくれて、3000食の炊き出しをしたんです。これをきっかけに翌年でしたかね、中井社長が熱心に取り組んでおられる職親プロジェクトに「草刈くん、手伝ってくれへんか」と誘われたんです。
初めは、嫌でした。中井社長も、私の背景を知っていると思っていましたから……。
過去に日之出塗装工業で元受刑者を雇ったことがありましたが。そのときは元受刑者であることを表に出しませんでした。でも職親プロジェクトをやるなら、オープンにしようと。それで理髪店業の方たち、飲食業の方たちと私の6社で、山口県の美祢(みね)市にある刑務所に見学に行ったんです。建設業は、私だけでしたね。
アメリカでの妹の裁判の頃からテレビ局がドキュメンタリーとしてずっと私を追いかけてくれていて、この時もテレビ局が付いてきました。
そこで中井社長が私の事情(犯罪被害者家族)を初めて理解され、『草刈くん、そんなことがあったんか』と仰ったんです。
中井社長は、知らなかったんですね。
その時、「これは全部つながっているんやな」と思いました。
妹の裁判が終わってからも、私はずっと落ち込んでいたんです。でも東日本大震災の復興支援に携わらせてもらい、家族を亡くしても前向きに生きてる人の姿を見て気付かされたこともありました。職親プロジェクトも、震災復興を通じた中井社長とのつながりがきっかけでした。
これは妹から『やれ!』と言われてるんやなと思ったんです。
最初の彼はとにかく、ウソばかりついていましたね。1週間に1回財布を落として、1週間に1回風邪をひくんです。そんなヤツおるかって(笑)。それでもエエわと思って彼のウソに付き合ったりして、10年くらいかかってやっと真面目になって、もう独り立ちしたなと思ったころに友達に誘われて、また犯罪に手を染めてしまったんです。
東京で開かれた裁判に行って、その彼と10年間やってきたことを振り返りましたし、被害者の方に対して心から申し訳ないと思いました。こちらの弁護士を通じて「被害者の方に、何かさせていただけませんか」と話したところ、「(被害者は)未成年で事情を深く理解していないし、そのことで彼女に思い出させたら良くない。だから、気持ちだけいただきます」と言われたんです。そのときはホンマに涙が止まりませんでしたし、自分はこんなに大変なことに携わっているんだと、思いを新たにしました。
ありますね、そんなことは。でもただ仕事をやってもらうだけでは、更生するのはなかなか難しいんです。そこで雇う側が、どれだけ心配りができるかが大事。それを続ければ、蓄積するものって出てくるんですよ。
普通の若い社員さんに対しても同じで、彼らや彼女たちにどうやって、いろんな道を教えてあげるかがポイントかなと。
裏切られるたびに悲しい思いをしますが、このプロジェクトをやってきて、自分自身の勉強にもなっていますね。
少年院に講演に行ったことがあって、そこで聞いたら半分くらいが掛け算ができないんですよ。それで公文さん(公文教育研究会)のご協力を得て、公文式を導入したんです。そうしたら、ほとんどのコ(人)が因数分解までできるようになりました。公文を受けた4割近くのコがもう1回学校戻りますと言って、大学に行きますというコも出てきました。それは、何より嬉しいですね。
成長は絶対に止めたらアカンと思っています。1年ごとに物事が変わっていくので、時代の波がどうなるかわかりませんが、ちょっと無理して、無茶はせずに成長し続けたい。
この会社はみなさんのおかげで成り立っているわけですから、売り上げばかりを重視せずに魅力のある会社作りをやっていきたいです。
会社というのは本当に人作りが大事で、弊社はその基礎がやっとできてきたところ。
この会社で働いて良かったと言ってくれる人を、ひとりでも多くしていきたいですね。