2025年02月20日 09:30
厳密に言うとウチの会社は一回、潰れてますからね
親父は2年のシベリア抑留から復員して鉄工所に勤めて、それから大阪府の産業能率研究所の技術系職員に採用されました。当時は技術系の知識を得るにしても、数少ない専門の雑誌しかなかったと思うんです。なので関東にこういうことをやっている人がいると聞いたら、手紙を書いて訪ねていくことを手弁当(※1)でやっていました
それを続けているうちに先生と呼ばれるようになったそうですが、『先生は口ばっかりや。オレらは自分らでやらなあかんから大変やねん』というようなことも言われていたみたいで。それやったらと、自分でプレスの送り装置を作り出したんです。それが、うちの最初ですね。とにかく技術のことが好きで、好きで仕方がない親父でした
親父から『ぼちぼち、戻ってこい』と言われまして。高校生のころに親父の会社でアルバイトをしていて、仕事の内容も多少は知っていました。興味がなかったわけではないですし、それなら親父の会社で作ったものを大きく売っていきたいなと思い、入社することにしました
バブル崩壊の直前に、三重県の菰野町に建てていた工場が完成したんです。工作機械を買って社員さんも雇わせていただいたのですが、バブル崩壊で数年のうちに売り上げが激減しました
このときに一回、潰れたようなものです。当時は新聞に『プレス技術研究所、事実上の倒産』と書かれましたし。20億円の焦げ付きを抱えていましたが、兄と私で続けていこうと。債権者の方々に『続けさせてほしい』とお願いし、許諾をいただいて再スタートしました
父は『これからは外を知っている者でないと、会社の経営はできない』と。兄は技術系でしたから『お前がやれ』と言われて、受けました。社長になってからも、営業で売り歩いて『お金をください』と言って回って、債権者のところに行って土下座して回っていまたね
ちょっと良くなってきたかなと思ったころに、リーマンショックでまた落ちて。その後の東日本大震災では、業界全体が止まってしまいました。今にして思うと、私はそういうものを受ける立ち位置だったのかなと思います。そのころも営業で動き回っていて、引き続き支援してくださり、大丈夫かと、声をかけていただけるお客さんもたくさんいました。それがあったからこそ乗り越えられましたし、いちばんはやはり、残ってくれた社員さんですね。その存在があったから、ここまでやってこれたのだと思います
エンジニアはプライドを持っていて、それを捨てきれないところがあるのかもしれません。それはそれで、いいことでもあると思います。でも私は自分のプライドなんて、しょうもないもんやと思っていますから。自分より立派な人なんて、世の中にたくさんいます。そんな人と会ったら、自分なんて小さいなと思うんです。『自分の前世はカナブンやったから、そらしゃあない』。そうやって自分を納得させたら、土下座なんかなんともないですよ
利益処分をしてくださった取引先もたくさんあり、10年前くらいに一応は片づきました。24年ほどかかりましたが、とりあえず負債はなくなった状況です。その間にご支援いただいた取引先の方々には感謝しかありませんし、社員もみんな頑張ってくれた。だからこそ、健全に経営できる今の状態になれました
小学校低学年の子ども3人を抱えているパートさんがいまして、コロナで緊急事態宣言が出たら仕事を休まないといけないとなりました。小さい子どもを、家に置いて働きには出られませんからね。それならと会社の食堂の半分を子どもの部屋にして、遊ばせるのではなく、そこでワークショップをしたり、私たちで考えたカリキュラムをやりました。慣れてきたら「子ども社員」としてタイムカードを打刻し、コピーの仕事をお願いしたり、朝礼のリーダーもしてもらったんです。子どもたちは前の日から家で練習してきて、緊張しながらもしっかりとやってくれました
それまでは食事を終えたら各自が三々五々に散っていくのですが、あの時期はみんなが食堂で子どもを囲んで、わいわい言っていたんです。子どもを通じて、社員同士のつながりができた面もあると思います。やっぱり、子どもから得るパワーはすごいですよ。それを経験して子どもの存在は社内的にも、いろんなことにつながってくるのだと思いました。それであらためて、社員さん第一なんだと。社員が育てている子どもまで、私たちがいい影響を与えたらなと思いました
いちばんはプレス技研本体に、もしもの事があったら、本業以外で支えられるようにしたいという考えからです。次にコロナ禍みたいなことがあっても、今後はあれほど国から補助が出るとは思えないんですよ。そうなっても保育園やほかのところで、わずかでも収益を上げてお互い支え合えたらと思っています。そうしてお互いの相関関係が広がっていったら、もっといろんなことができる。私は、基本、人の為になる事、それをやりたいんです
たんぽぽって風に乗って飛んでいって、どこにでも根を張って花を咲かせるじゃないですか。外的要因に左右されず、なにがあってもそこで精一杯、やれることをやろう。それが、私の考え方なんです。できない理由を並べたら、たくさんあるかもしれません。だけどそれを言っても、話になりませんから。どこかで芽吹いたたんぽぽが、また飛んでいく。それが広がっていって、『あのときの人やんか』といった縁ができる。私は、それを大事にしたい