大阪 天満天神繁昌亭 / 公益社団法人 上方落語協会 会長 笑福亭仁智 氏
「天満の天神さん」の愛称で親しまれている大阪天満宮の裏門を出てすぐのところにあるのが、落語の常設寄席「天満天神繁昌亭」(以下、繁昌亭)である。大阪の新名所となった繁昌亭には、連日連夜、全国から笑いを求めるお客さんが絶えない。上方落語協会の悲願だった落語の常設寄席として2006年9月にオープンし、2026年には20周年を迎える。運営しているのは上方落語協会である。2018年に
公益社団法人上方落語協会 会長に就任し、4期目を迎えた
笑福亭仁智氏にお話をうかがった。
地域や落語を愛する人たちの協力で半世紀ぶりに復活した落語の常設寄席
戦前、吉本興業経営の南地花月や北新地花月倶楽部など、大阪に50軒以上あった寄席は、度重なる
空襲で全て消滅した。昭和22年(1947年)、戎橋松竹が復活を果たしたが、昭和32年(1957)には閉場された。以来、劇場で落語をする場所はあったものの、毎日、落語ができる常設の寄席は繁昌亭ができるまで大阪には存在しなかった。繁昌亭ができる以前から、上方落語界では、毎日できる常設の寄席の誕生を待ち望んでいたという。
私が入門した頃から落語中心の寄席の定席をつくりたいという思いはあったんです。1971年に笑福亭仁鶴に入門したときに会長だった6代目笑福亭松鶴の発案で島之内教会(中央区東心斎橋)で島之内寄席(※1)をスタートさせました。毎日ではないですが、月に5日間の落語会を定期的に開催していました。その後、桂文枝の前会長の露の五郎兵衛のときも大阪にも国立演芸場をつくってほしいという動きがありましたが、実現には至りませんでした
(※1)島之内寄席(しまのうちよせ):上方落語協会会長であった6代目笑福亭松鶴発案の元、上方落語協会主催で1972年2月21日から2020年2月まで続いた、上方落語の定席寄席・落語興行です。南区千年町(現・中央区東心斎橋)の日本基督教団島之内教会内に開場しました。
人前で落語をする機会が少ない若手落語家にとっては、所属事務所に関係なく噺家が集まり、落語ができる場所は貴重な体験であったという。
Q.どういう経緯で繁昌亭ができたのでしょうか?
2003年に桂文枝(当時・桂三枝)が会長に就任しまして、常設の寄席をつくりたいと、いろんなところに発信を始めました。パワーがありました。寄席を作るには、どこがいいだろうということになったんですが、当時の天神橋筋商店街の連合会長の土居さんから「大阪天満宮が駐車場にしている用地をみんなが集えるような演芸場をつくりたいのなら貸してもええでと宮司さんが言うてはる」という情報をもらったんです。ただ、つくりたいいうても膨大なお金がかかるんでねえ。
その後、上方落語協会も交えて話し合いを重ねた結果、天満宮用地に落語専門の定席を新設することで合意し、用地は大阪天満宮の寺井種伯宮司(大阪天満宮・前宮司)の厚意により、無償で提供されることとなった。
後に、大阪天満宮が発行されているそれ以前の大阪天満宮社報を見せてもらうと、そこに前宮司さんが「人が集まるような場所にしたい」と書いておられました。
Q.建設には膨大な資金が必要だったのではないですか?
当時、上方落語協会は土地はご厚意で無償で提供していただいたんですが、お金はなく、常設の寄席はほんと夢のような話。建物は協会のみんなで出し合っても、まともな建物を建てられるお金は集まるはずもないと思っていました。
そんなときに資金繰りのヒントになったのは上方落語協会が主催し、上方落語の発祥の地である生國魂神社(※2)で開催されている
「彦八まつり」(※3)であった。
(※2)生國魂神社(いくくにたまじんじゃ):大阪市天王寺区生玉町に鎮座する神社で「いくたまさん」の名で親しまれている大阪最古の神社と言われています。伝承によれば、神武天皇の時代に創建されたとされています。
(※3)彦八まつり:「上方落語の始祖」米沢彦八の功績を称え、上方落語の伝統を身近な人々に広くアピールする目的から、6代目笑福亭松鶴の命日である9月5日にちなみ、1990年の生國魂神社での「彦八の碑」建立を機に、1991年より開催されています。(その後、実施日は変更になっています)
「彦八まつり」を開催するときの資金はファンの皆さんの提灯奉納の寄付を募りまして、そのお金で始めることができたんです。これがきっかけになりました。ただ、正直、これほど募金のご協力をいただけると思っていませんでしたし、当初は寄席ができてもそれを維持していけるのか、お客さん来なかったらどうすんねんという不安もありました。
個人や企業から集まった寄付は予想以上の金額となり、約2億4000万円の建設費用を全て寄付でまかなうことができた。2006年9月15日、念願の落語の常設寄席「天満天神繁昌亭」がオープンし、連日、長蛇の列で満員御礼が続く盛況ぶりとなった。繁昌亭の外壁と客席の天井には約1500個の提灯がびっしりと並んだ。
実はこの界隈はかつて「天満八軒」(※4)と呼ばれ、演芸や芝居小屋が集まっていた場所であったことは、偶然という言葉だけでは片づけられない運命だったのかもしれない。
(※4)天満八軒:主に次の2つの意味で使われます。①大阪天満宮周辺の寄席・演芸場街 ②八軒家船着場周辺。このように、「天満八軒」は時代や場所によって異なる意味合いを持ちます。
ほんとびっくりするくらいのお客さんでした。最初は自由席でしたので早く来ていただいた順番に入ってもらっていました。全部で216席あるんですけど、お客さんに並んで待っていただくことになりまして、2007年にはNHKの朝ドラ「ちりとてちん」(※5)も放映されたこともあってずっと人気も継続しました。
(※5)「ちりとてちん」(2007年度後期放送のNHK「連続テレビ小説」。主人公が落語家を目指す内容です。
Q.最初、仁智氏がその舞台に上がられたときはどんなお気持ちでしたか?
お客さんがわくわくして待っているような感じで、本当にやっている我々も心地よくさせていただきました。舞台と客席の距離が近いので細かいしぐさや表情もお客さんに伝わるんで、とてもいいんです。
会長になった途端、大阪北部地震・豪雨・台風・コロナと災難続きの繁昌亭
仁智氏が上方落語協会の会長に就任したのは2018年6月である。繁昌亭オープンから10年以上が過ぎ、お客さんは安定して来てくれるようにはなっていたが、常に満員御礼とまではいかなくなってきていた。就任後、「さあ、これからお客さんに喜んでもらえるようなことをしていこう」と、張り切っていたのだが、予想もしなかったことが次々に、いやこれでもかという程やってきた。
会長就任後、よくないことがつづきました。それを申し上げますと、就任してすぐの2018年の6月に大阪北部地震(※6)があって、電車も止まって繁昌亭ができて以来、初めて臨時休館をしました。7月には大雨(※7)が降り楽屋が浸水しました。もし客席まで水がきたら営業はできないということで、建設会社と原因究明をして対処をしてると、9月にまた台風(※8)が。休まんと仕方ないからまた臨時休館をしました。さらには9月の末に台風24号がきて、九州からこっちへ向かっている進路予想で計画運休がありました。結局台風は来なかったんですが、臨時休館をしました。
(※6)大阪北部地震:2018年6月18日7時58分に、大阪府北部を震源として発生した地震です。
(※7)大雨:2018年(平成30年)6月28日から7月8日にかけて、西日本を中心に北海道や中部地方を含む全国的に広い範囲で発生した西日本豪雨です。
(※8)台風:2018年9月4日の台風21号のこと。1993年の13号以来、25年ぶりのことで、記録的暴風と第二室戸台風を上回る大規模な高潮をもたらしました。
災難はまだまだ序の口だった。
どうなる繁昌亭!提灯の危機、大改装、おまけにコロナ禍が
年が明け、2019年の1月からメンテナンスを開始しはじめたのだが、時期を同じくして繁昌亭に吊るしてあった1200個の提灯が夜中にぽつぽつと落ち、破れてしまったものも出始める。繁昌亭ができて13年目、さまざまな影響で提灯の寿命が来たのである。このまま放って置けば提灯が客席に落ちてしまう可能性がある。至急、業者に全て作り直してもらうことにしたのが2019年(令和元年)である。年号が変わり、提灯屋は大忙し。すべてを作り直すには、半年かかると告げられた。空調も交換時期となり、外壁の塗り替え時期も同時にやってきた。
いっぺんにいろいろな場所の修理が必要になりました。繁昌亭の事務所もウナギの寝床みたいに狭かったので、ちょうど喫茶店が閉店してフリースペースのままになっている場所があったんで、一気に改装をしようということにして、その6月は1か月間、休館して大改装をしました。
同年、7月にはリニューアルオープンし、待ちかねたお客さんが詰めかけた。ところが、その翌年にやってきたのがあのコロナ禍の自粛である。客席の距離を開けたりと工夫もしたが、閉めたり開けたりを繰り返す日々が続く。
無観客で落語をやるということもあり、それがどんな意味があるのか、観る方もやる方も同じ空気を吸ってその時の空気の中で楽しい時間が過ぎるのが落語の醍醐味なんで、正直いろいろ考えさせられました。
しかし、そんな中で新しい試みも生まれた。大喜利などの配信、VRの活用(大阪を中心に関西の10会場と、繁昌亭の舞台をリモートで繋いだ体験教室。VRゴーグルを装着すると、目の前に繁昌亭 の舞台が現れる)、若い落語家のアイデアでテレワークの落語版のように家からの配信など、今までになかった新しいアイデアも生み出した。
そんな苦難が続く中、たいへんありがたかったのは、稲盛財団(※9)にレポートを提出して1千万円の支援をいただけたこと。正直に本当に困っていることを伝えた内容だったと思います。
(※9)新型コロナウイルス影響下における「稲盛財団文化芸術支援プログラム」。公益財団法人稲盛財団が新型コロナウイルス影響下における文化芸術活動への支援を実施。公益社団法人日本芸能実演家団体協議会の協力のもと、当該団体が属する分野において果たしている役割や支援の緊急度、支援によって期待される効果などを総合的に勘案して厳正に審査が行なわれ合計74団体に総額3億5,000万円が支援された。
Q.コロナ禍では、ネット配信も開始されましたが、反響はどうでしたか?
演者側は賛否がありました。サブスクで見放題なら、繁昌亭に観に来てもらえなくならないかという声もありました。ただ、これからの時代というのは、こういった発信も必要だと思います。中には地方で落語会をプロデュースしてる方が見てくれて、今まで知らなかった若い落語家のお気に入りを発見して、地方に若手落語家を招いてくれるということもありました。
落語をする機会が減った若手は、自分たちで知恵を絞り、ホームページの作成、SNSの配信、少人数の落語会など、それぞれが動き始めた。繁昌亭に出演しているという実績があったからこそ、こうした活動にも繋がったのである。
繁昌亭のシステム 昼席、夜席に出演するための条件
繁昌亭を毎日開催するためには、演目や出演者の順、昼、夜とある寄席のプログラム、チケットの販売、寄席の運営など、さまざまな仕事がある。現場の運営をしているスタッフは、舞台音響が6人、事務所の職員が6人、アルバイトが16人。時間制でシフトを組んでおり、掃除、受付、雑用などを担っている。アルバイトは特に年齢制限はないそうだ。全体の運営は、上方落語協会が理事会を開き、方針を決めている。
繁昌亭は若手もベテランも舞台にでているが、どういった経緯で出演者が決まっているのだろうか。意外と知られていない初舞台までにはある条件をクリアしなけらばならない。
昼席と夜席とでは出演できるシステムが違う。落語家になるには、師匠に付くというのが基本である。昼席で初舞台を踏むためには、約3年間、師匠に付いて見習い修業をし、師匠から繁昌亭に出てもいいという許可をもらうことがひとつ。それと楽屋番(楽屋で師匠のお世話や掃除などをすること)の経験がいる。修業中の3年間で楽屋番を50回以上する必要がある。このふたつをクリアした後、さらに噺家の座組(出演者を決める)を決める番組編成委員会からOKがでれば、晴れて繁昌亭の昼席の初舞台を踏むことができる。
朝席と夜席は貸席になっており、噺家が借りて一門会等を開催している。借りることのできる条件は入門して10年を経過した落語家に限られている。ただ、その落語家のゲストとして出演する場合は、その限りではない(トリは入門10年以上)。公演テーマは自由だが、例外を除いて、最後は落語で終わるというのがルールだそうだ。
Q.昼席の出演順を決めるのはどなたがやっているのでしょうか。
番組編成委員会です。これが大変なんです。出る機会はできるだけ均等にしていますが、出演の順番は噺家の特性を見て決めています。同業者が出演のメンバーを決めるというのはなかなか大変です。とはいっても大切なのはお客さんに喜んでいただくこと。それを第一に考えて順番を決めていきます。
コロナ禍で一時停止していた深夜寄席も復活した。月末の金曜日、夜席の公演が終了した夜9時45分から約1時間ほどの公演である。サラリーマンが会社の後に、食事をしてから観に来ることができる時間帯である。
そして若手の励みになるようにと、さまざまなコンテストも実施している。天満天神繁昌亭を中心に、その年に最も活躍した入門25年以下の上方落語協会所属の落語家に贈られる「繁昌亭大賞」、上方の若手落語家の登竜門「上方落語若手噺家グランプリ」、グランプリを獲得すれば繁昌亭と神戸の喜楽館の出番が優先的にそれぞれ年間3週もらえるという特典が与えられる。他に、3つのお題を折り込んだ新作落語「三題噺」の王者を決める催しもある。優勝した三題噺はアート作家とのコラボで、それらを題材に製作した絵本、名付けて「はなし画」を作成している。他にも若手にチャンスを与えてもらえる試みも実施している。
初めての試みなんですが「噺家15周年・翔ぶトリウィーク」というのを2024年に創設しました。入門15周年を迎えた噺家に昼席でお披露目兼ねて1週間トリとってもらい、寄席のトリの自覚と責任を感じてもらって、飛躍のきっかけにしてもらいたいと思っています。他にもお客さんに楽しんでもらえるように、寄席営業課を新設しましてね、その中で「繁昌亭体験ツアー」を催行しています。若手噺家による落語解説とバックヤード見学と繁昌亭昼席鑑賞をセットで行っています。落語の解説を聞いて、その後に商店街でランチと散策をしてもらって、昼席で落語とのふれあいを楽しんでもらえます。
繁昌亭の界隈を風情ある街並みに
Q.今後の抱負をお聞かせください。
噺家にはお客さんに楽しんでもらう、それを基本に、平等な中で競争してもらえるシステム作りをしています。それから会長になった当初から繁昌亭の界隈を、風情ある街並みにできたらいいなと思っていたんです。繁昌亭横丁みたいなイメージです。商店街の提灯を左に曲がって歩き出したらパッと雰囲気が変わるようにしたいですね。天満宮でお参りして繁昌亭で落語を楽しんで、そのままの気分で商店街で買い物して美味しいものを食べる、というような潮流が生まれるようにしていきたい、そんな場所になればいいなって思っています。
Q.どんなお客さんを増やしていきたいとお考えですか
落語は50代から60代の噺家がやれば味わいが伝わるような脚本構成になっているんですが、噺家の年齢層が幅広くなっているので、若手は若手らしい古典落語の演出をしてますね。それぞれに工夫をしてファン層を広げてもらって、若いお客さんにも足を運んでいただきたいですね。若手は、SNS等の情報発信したりしながら、仕事を増やしています。いろんな層の笑いがあるので、新規のお客様がトータルで気軽に楽しめる繁昌亭昼席を入り口に、やがて個人や一門の会に足を運んでいただく流れで落語ファンを増やしたいですね。
Q.訪日客も来られているのでしょうか。
ありがたいことに大阪万博で出張繁昌亭公演の機会をいただきました。海外の方にも十分味わっていただける内容にしたいと思っています。以前、観光庁の支援事業でインバウンド寄席を韓国語、台湾語、英語でやり好評でした。協会HPでは多言語で上方落語の紹介もしています。是非大阪万博の期間中に、訪日のお客さんのためのイベントを繁昌亭で開催したいです。またなにより大阪万博では、日本人の方も全国からたくさん来阪されるので、大阪天満宮、日本一長い天神橋筋商店街、そして繁昌亭が大いににぎわうことを期待しています。
Q.今後、計画していることはありますか
島之内寄席を復活させよう、と計画中です。出来れば、当初の島之内教会で再開したいですね。私も初回公演四日目のトップで出していただいたんですが、出番はすべて当時の六代目笑福亭松鶴会長が組んでおられました。復活の時には、島之内の精神を知っている噺家、つまりベテラン中心にじっくり聞かすような落語会を考えています。秋に復活の第一弾をやりたいと今仕掛けています。
2026年、繁昌亭は20周年、2027年は上方落語協会が70周年を迎える。
みなさん、どうぞ足を運んでみてください。”ようこそ、繁昌亭へ”