2025年05月19日 10:00
実家があるのは今の朝日放送の近くで、一族は典型的な女系家族。姉と妹に挟まれて、親戚からはヒデちゃん、ヒデちゃんといって可愛がられていました
転機になったのは幼稚園です。当たり前ですが、幼稚園に入ると大勢の園児の中の一人。入園したら、誰も注目してくれないことにショックを受けて。当たり前ですけどね(笑)。そこから、一人で本を読んだり積み木したりするような、ツンと澄ました性格に変わりましたね
もう一つの転機は小学校に入ってからです。おとなしい子どもだったのですが、ある時、授業で先生に当てられたときにボケをかましてみたんですね。そうしたら教室中がばかうけして。『あの寡黙なヒデちゃんがおもろいこと言うた』って。爆笑をさらったあの気持ちよさが今も残っています。これをきっかけに、教室で面白いことを言う子どもに変わりました
小学5年の時です。近所で家族ぐるみで仲良くしていた一家がいたんですが、そこのご夫婦が離婚しましてね。それまでその二人は、そばで見ると気恥ずかしくなるくらいラブラブだったんですが、離婚した途端、奥さんは元旦那さんの悪口をめちゃくちゃ言うようになって。女優さんのようにきれいな人が般若のように顔をゆがめて、悪口を散々ぶちまけている姿を見て、人間不信になりました
それは姉とオセロゲームをしていた時のこと。白い面がにこやかな顔で、怖い顔が黒い面だとすると、白が黒になるなら、黒の方も白に変えられるんじゃないかと思ったんです。そうだったら、自分のまわりの人だけでも、白にしていきたい、笑顔にしていきたい。そんな風に考えるようになりました
高校卒業後は大学に進学。人の心に興味があったことから、心理学を専攻したんです。そして在学中にサークル感覚でNSC 吉本総合芸能学院(※1)に入学しました。芸人であかんかったら就職したらええわ、ってくらいの軽い気持ちでしたね。芸人は狭き門で、卒業生200人から舞台に立てるのはたったの5人。ありがたいことにその狭き門を通過することができたんです
NSC の同期はメッセンジャーやジャリズム、1つ上にはナインティナインさん、1つ後輩は中川家や陣内智則。当時は吉本印天然素材(雨上がり決死隊、FUJIWARA、バファロー吾郎、チュパチャップス、へびいちご)が爆発的な人気で、自分たちもそれに続くものと思っていました
当時は『センスでいける!』と思いましたが、人を笑かすのは簡単なことではありません。みんな苦しみながらネタを書いて、舞台で披露して、お客さんの反応をもとにブラッシュアップしている。そらみんな、ノイローゼになるほど努力しています。しかし自分たちはスタートダッシュが良かったからか慢心してたんでしょうね。『俺はそんなんせんでもいけるねん』って勘違いをし、芸を磨くことがおろそかになってしまいました
このアイデアのもとは吉本での経験です。吉本興業もある意味では派遣会社。依頼に応じて芸人を派遣し、ギャラを支払い、残りを利益とする業態。これを目の当たりにしていたことが発想転換のベースになりました
当時は今ほど規制がなく、派遣業への参入障壁が低かった時代です。吉本の経験を活かすといっても、いきなりタレントプロダクションはハードルが高い。スキルがなくてもできる業種と考え、若者を集めて物流スタッフやコンサートスタッフ、製造業など、力仕事の分野でまずは始めました
初年度から利益がドンと出て、翌年からも増収増益。家は建てたし、車は左ハンドル。『芸人してた10年返して欲しい!』って思ったくらいです。もちろん、多くの人を扱うためトラブルもありましたが、それを含めても天職だと感じました
当時『派遣切り』という言葉が生まれましたが、これは『派遣会社切り』でもあります。どんどん同業他社が潰れる中で、うちもいよいよかと思いました。しかし従業員もいるし、簡単にはやめられない。そんな中である人から言われたのは『仲間と協業してみたらどうか』というアドバイス。異業種交流会に誘われたんです
正直今までは全く興味がなかったんですよ。そんなん何がおもろいん?傷の舐め合いちゃうん?とまで思ってて。また自分は酒も飲まないんで、そういう会合には興味がありませんでした。でも、これまでと同じことを繰り返していても同じ結果しか生まれない。何か変えないと事態は好転しないとも思ったんです
交流会で知ったのは、意外と世間の人は派遣会社が何をしているか知らないということです。具体的に『こんな人材をこんな業界に派遣できます』ということを伝えると、相手の方はアンテナを張ってくれます。そこから『こんな人を紹介してほしいっていう会社がある』『ここの大学生に仕事紹介したって』などの話につながる。そこから仕事に発展するんです
よく『同業他社と差別化は?』って聞かれますが、そもそも同業でも競合と思ってないんです。派遣って、ご縁と相性。ピタッとハマるパズルのピースを見つける仕事だと思っています。このピースを少しでも多くすることを考え、仲間と一緒に『一般社団法人 人材ビジネス協会』(※3)という組織を立ち上げました
最近は『派遣業やってます』だけでなく、「島津江さんって何屋なん?」と聞かれるくらい、いろんな相談がきます。引っ越し先の紹介から弁護士探し、果ては別荘まで(笑)。今、力を入れているのは琵琶湖畔のコテージ計画です。大自然の中で家族や仲間が集まれる場所を作って、焚き火したりBBQしたり。『笑顔の溜まり場』を作るのが夢。ゆくゆくは、気軽に仲間が立ち寄れる飲食店も手がけたいですね
僕の根っこにあるのは『人を笑顔にしたい』って気持ちです。芸人時代は舞台やテレビの向こうのお客さんを笑わせてたけど、今は目の前の人を笑顔にする方が性に合ってる気がします。『縁』がつながって、『円』になって、最後にはみんなで『宴』。そんな流れができる仕事がしたい。お金も大事。でも、人が集まってワイワイできる場所を作れるって、最高ちゃいます?