2025年05月22日 10:00
子供のころから野球とサッカーをやってきたのですが、団体競技なので自分が頑張ってもチームが勝てないことが続きました。個人競技にも興味があって、高校1年生のときに父からゴルフをやってみたらどうだと勧められたんです。それが、ゴルフを始めたきっかけですね
寮生活をしていて、同じ寮生でプロの人もいました。その人はほとんど試合に出ずに、お客さんとゴルフ場でラウンドレッスンみたいなことをして日銭を稼いだり、夜は夜で街に繰り出されて、いわゆるタニマチ(※1)みたいな方の男芸者をしていたんです。その姿を見て、プロになってもこんな生活なのか、家庭を持てないかもしれないと思いました。そしてプロになるよりも、なってからのほうがはるかに厳しい現実を知って、20歳のころに断念したんです
ゴルフ場は会員権を購入された方に、所定の期間が過ぎたら預託金を返さないといけないんですね。でも景気が悪くなってそれを返せず、次々とゴルフ場が倒産していったんです。そのときに、ゴルフ会員権はこれから下火になる。プレーする人を対象にした事業を広げていかないと、ダメだと思いました。法人化する際に会員券売買は続けながら、室内練習場でのレッスン事業を近いうちに始めようと計画しました
私は経営に専念して、会員さんのレッスンをするつもりはなかったんです。それでプロをふたり雇用したのですが、初年度にすぐ1000万円近い赤字が出ました。これはまずいと思って、本意ではなかったのですが少しずつでも赤字を埋めていこうと、途中から自分もレッスンに参加するようになったんです。そのころは豊中の青年会議所に所属していて、幸いにも周りの先輩方が良くしてくれました。みなさんが会員さんを紹介してくださり、2年目以降は徐々に赤字を解消していって、法人化から10年が経った2009年に2号店を出すに至りました
私もまだ若かったこともあって『自分でやったほうがマシや』『なんで、できないんか』みたいに、知らないうちに相手を攻めていたなと後々になって思いました。そういうことが、彼らが辞めた原因だったんでしょうね
本当に、優しい父でした。私は鹿児島の出身なのですが『知生は今、大阪で大変なはずや』といつも心配していたと、葬儀の際に母親から聞かされたんです。当時の私は会社の経営で頭がいっぱいで、ずっと『どうしよう、どうしよう』と考えていました。今思えば考えていたのは、自分のことばかりだったんですよね。いつも私のことを気にかけてくれていた父のことを思い、私にも家族や会社、従業員ら、命を懸けて守るものがあると気付かされたんです
今まではプライドが邪魔をして、家賃を下げてくださいとは、なかなか言えなかったんですよ。カッコ悪くて、というか……。守るべきものを守るため、苦しいときにそんなプライドはいらない。父が最後に、それを教えてくれたように思っています
会員さんがあっという間に減って、半分以下になりました。こんな時代だから仕方ないかと、私は時代のせいにしていたんです。でもこんなご時世でも来てくれる人が、たとえ半分でもいるんだと、感謝の気持ちが勝ったんですよね。『どうしよう』などといったマイナスな感情になると、そちらに引きずり込まれていくんですよ。でもそれからは未来を信じて、強い気持ちで今を生きようと心が変わっていきました
彼の人生もかかっているので、採用するには勇気がいりました。でももう一回、組織運営をちゃんとやりたい気持ちがあったので、採用すると決めたんです。ならば彼が活躍できる場を作らないといけないと思い、ここ(豊中市南桜塚)のすぐ近くにある空き店舗を借りて、練習専用の施設に改装しました。以前の2号店はずいぶん前に閉めていたので、現在はそれが2号店です
2号店で彼が、成長していってくれたおかげですね。去年の4月には、また新しい男性を採用しました。みんなが育ってきたので、場所さえ見つかれば4号店も出せる状況になっています
近い将来というか私の最終的な目標は、今の若手のコたちそれぞれが社長になり、人を雇って会社を運営してもらうこと。それらはゴルフ総合研究所のグループ会社として、みんなでやっていきたい。そうして将来的には、もっと店舗を増やしていきたいと考えています
とにかく、1対1にこだわっています。利益率を考えると正直、良くはありません。ただグループだと同じ1時間でも、人によってレッスンの時間が長かったり、短かったりの不平等が出るのが嫌だったんです。1対1を徹底して、公平であることにこだわりを持ってやっています。それに数をこなして上手くなるのは、当たり前なんですよ。私どものテーマは、いかに少ない練習量で上手くなるか。そのためには会員さんひとりひとりの特性や要点を、我々が把握しないといけない。そのためにも、1対1のレッスンがベストなんです
自分にとってのゴルフは、父からいただいたもの。それがきっかけになりましたが、結局は自分自身がずっと好きなんですよね。それゆえ人生の分岐点でどんなに選択肢があっても、離れることなく携わってきました。プロを目指しながらそれを断念して、社会人になる際もゴルフに関わる仕事。父が倒れたあとも、ゴルフを選択しました。私にとって、ゴルフは天職。それは少し偉そうな言葉かもしれませんが、本当にそう思っています。すごく、いい仕事に巡り合えました