フィギュアを文化に引き上げた造形集団。「センム」のワクワクは止まらない!
株式会社海洋堂 代表取締役専務 宮脇修一(センム)氏
「フィギュア」が精密な立体造形物を指すことは、今や広く周知されているが、そのパイオニアであり、今もトップに君臨するのがこの会社であることは、ファンのみならずだれもが認めるところだろう。高知県出身の宮脇修氏が守口市で開業した小さな模型店を原点とする「海洋堂」。それぞれ一芸に秀でた造形師を多く抱える造形集団は世界のKAIYODOとなった。2020年にMSD企業投資と資本業務提携し、新たな船出を切った。宮脇修氏の息子、「センム」こと宮脇修一氏は業界のカリスマとしてこう語る。
「これからも新しく自慢できるものを作っていきます。私自身、ワクワクしてます!」。

資本業務提携後も「館長」・「センム」の立場は不変
2020年6月、株式会社海洋堂がMSD企業投資と資本業務提携したというニュースは、ファンや業界に驚きをもって迎えられた。MSDが海洋堂の株式を経営陣から取得し、社長にもMSDサイドが選んだ人が就くというのだから、「やがては乗っ取られる」と心配する声が上がったのも無理はない。しかし、「センム」はそんな懸念を一蹴した。自ら発したコメントで、「海洋堂は館長(創業者 修氏)、センム(修一氏)というある意味“国王”と呼べるキャラクターがすべてを取り仕切る国家」としたうえで、「MSDさんからも、館長・センムには絶対に海洋堂で今行っていることをやめないという条件がつけられた」と明かしたのだ。
ひたすら自分の得意なものを作り続けてきたクレイジーな人の受け皿が海洋堂です。“国王”である僕らの立場も権限も仕事内容も変わらないのですから、造形集団としての海洋堂も変わりません。ホント言うと、事業として続けるつもりはなく、2代で終わるつもりやったんです。でも、増資を受けたことで、海洋堂をブランドとして残すことが使命になった。わずらわしかった人事や財務、経営戦略なんかは社長にお任せして、僕らはもっと面白いもんを作ります。
1坪半の〝プラモ帝国の王子〟10代から店を切り盛り
資本業務提携が激震を呼んだのは当然だ。それほど、フィギュアメーカーのパイオニアでありホビー業界の方向性を激変させた海洋堂の存在は、国内のみならず、海外でも突出したものだった。海洋堂の歴史をたどれば、ホビー業界の変遷がわかるほどだ。
海洋堂がわずか1坪半の店舗でスタートした時、センムは幼稚園から小学校に上がる時期だった。創業者修氏は店内を戦車や飛行機、船などあらゆるプラモデルで埋め尽くし、プラモ専用の遊び場まで作るほどの凝りようで、子どもやマニアでごった返した。
プラモの“城”の中でプラモに囲まれて、手当たり次第に作りまくった僕は「正当なる王子」、「帝国の息子」ですわ!。遊びに来る他の子どもとは圧倒的な差がありました。小学校4、5年のころから店の手伝いを始め、仕入れや問屋巡りもしてましたね。お父ちゃんが身体を壊したので、17、8歳ころからは自分が一人で店を切り盛りしてました。そのため、帆船模型メーカーでの修行を考えていたのがだめになり、同時に“家臣”もいなくなりましたわ(笑)。

作家の個性を重視した造形が「チョコエッグ」の爆発的ヒットに
修氏の冒険心はさまざまなアイデアを生み、それを形にしていったが、失敗に終わることも。200坪の倉庫を借りて180メートルのレーシングコースを作ったものの、操縦するレーシングカーが遠すぎて見えないという喜劇のようなことなどもあり、客が遠のいていった。新しい展開を見せ始めたのは80年代初頭に火が付いたガレージキット(※1)だ。マニアたちが、メーカーでは作れない、より精巧な模型を自分で作ろうと始まった組み立て模型で、海洋堂は無発泡ウレタンをシリコーンゴムで作った型に流し込んで作る手法を確立した。次いで、可動式の関節を備えたアクションフィギュアブームの立役者にも。そして、海洋堂の名を一躍知らしめたのが、フルタ製菓とタイアップした「チョコエッグ」のおまけとして付けた日本動物のフィギュア。1999年のことだ。海洋堂が作るものはそれまでのものとはレベルが違う圧倒的な完成度の高さで、「大人が楽しめる食玩」と言うべき分野を生み出した。チョコエッグは3年間で1億3000万個売れたという。その完成度を支えるのが造形師たちだ。店に出入りしていた若者たちから、何人もの造形師が生まれた。
(※1)ガレージキット:レジンキャスト(合成樹脂)などで少数生産される組み立て式の模型

日本のものづくりは、型にはめて職人の癖を消す。天才を削っていくんです。真面目で面白みのないところでは技術が落ちていきます。面白みを大事にしないのが日本のものづくりのダメなところ。うちは作家性をとことん重視します。うちにいる造形師は美少女や動物、メカニックなど得意ジャンルを持った者ばかり。そればっかり作っている。ひたすら作り続けてきたから今がある。だから、商品に造型師の名前を入れている。そんなのはうちだけですよ。僕らが作らんかったらフィギュアはなかったと思てます。
世界に名をとどかせるも、フィギュア界の現状には危機感
その後も新しいモノ、楽しいモノ、面白いモノ、どこにもないモノ、より優れたモノを追求して、次々にオリジナルフィギュアを世に出し続けた。フィギュアを大人が鑑賞してコレクションするに値するものへと昇華させた点に、海洋堂の面目躍如たるものがあった。他に類を見ないその品質の高さは、アメリカ自然史博物館から展示品の制作依頼が来たほか、大英博物館の収蔵物をミニチュア化した「大英博物館公式フィギュア」の作製にもつながった。しかし、センムはフィギュア界の現状を嘆く。

フィギュア業界が、この程度のもので終わってしまったなというのが本音。今はガチャ(※2)ブームと言われてます。フィギュアなら1万個売れたら万々歳やけど、ガチャは10万個売れる。けど、ガチャが売れているのであって、フィギュアが買われているわけではない。フィギュアはお金を出して買うものではなくなってしまった。
昔は校区にプラモデル屋が5、6軒はあって、市場は今よりはるかに大きかった。今は市場がシュリンク(縮小)してマニアックになっている。買うのは30歳代以上。おっさんの趣味になってしまった。ニッチな人はこれからも10年~20年は買うだろうけど、若い人が買うかどうかは分からん。
(※2)ガチャ:ガチャつまりカプセルトイはカプセル自動販売機によるミニ玩具の総称。ガチャガチャ、ガチャポン、ガシャポン、ガチャなど時代や地域や販売メーカーによって様々な呼び方がある。
ワンフェス、ホビー館、そして造形師の発掘。大海原の向こう側
海洋堂のもう一つの大きな功績として挙げられるのが、大阪や東京・高知・滋賀など各地にホビー館やギャラリーを開設、自社作品をはじめ古いプラモデルなど膨大な数を展示して、フィギュアの普及活動を続けてファンを拡大していったことだ。加えて、1982年から年2回開催しているワンダーフェスティバル(ワンフェス)には毎回多数のファンを全国から集めている。それだけに、現状を鑑みて、フィギュアの素晴らしさをさらに伝えていかなければならないと思っている。MSDとの提携で会社が大きくなったのは、そのチャンスでもある。
中国や東南アジアではこれからも広がっていくでしょう。ワンフェスは中国でも開催しています。しかし、人も育てな、いかん!ワンフェスの狙いの一つは、造形作家を集めることです。ここから新たな作家が育っていってほしい。デジタルという新しい手段も生まれています。大阪芸大にはフィギュア科ができたし、アニメーション学院とかもあり、作家を育てる基盤は大きくなりつつあります。仕事も山のようにあります。
僕らはずっと、自慢できる会社でありたいと思って続けてきました。2025年には大阪・関西万博があり、その前には創立60周年を迎えます。何か自慢できる新しいこと、集大成になるような何かをやろうと考えているところです。
そう語った「センム」。
その眼は大きな海原の向こうを見ていた。
