46歳を前に社長退任を公言。わが道を行く「おせっかい」青年社長

株式会社エムケー / 代表取締役 松園広樹 氏

幼少期、社員に指示して園に花壇をつくる父のさっそうとした姿にあこがれて、自分も社長になりたいと思った少年は、中学高校時代に金儲けの楽しさを覚え、就職してからは父の会社を建て直したうえ、新たな会社を設立して発展させてきた。そして40歳を超えた今、45歳最後の日に社長を引退すると公言する――。産業廃棄物収集運搬処理業、株式会社エムケー(門真市)の代表取締役松園広樹氏。会社を興して商売するのは簡単だけど、社員の幸せと地域に貢献する事が最も大切で、ヤリガイがある!と話す松園氏に、会社経営や部下の育成についての考え方、社長退任後に描く生き方などを伺った。

46歳を前に社長退任を公言。わが道を行く「おせっかい」青年社長


中学生で〝商売〟を始め、高校時代にはアルバイトで社員以上の収入を得ることもあった


松園氏は小学生のころ、夏になると長崎県・五島の祖母宅へ遊びに行った。祖母は雑貨店を経営していたが、お金が無くて困っている人には「ツケや。持っていき」と言うようなタイプ。店番をしながらそんな祖母から商売を学んでいった。中学生になると、自ら※①せどりを始めた。初めて扱った商品は、当時大人気だった筆箱。定価1,000円の筆箱を文房具店のおばちゃんに700円で仕入れてもらい、100円をおばちゃんに、残る200円が自分の儲けになった。高校ではアルバイト三昧。しかし〝雇われ〟だけの存在では終わらなかった。

※①せどり:せどりとは、「同業者の中間に立って品物を取り次ぎ、その手数料を取ること。また、それを業とする人」を指す。古本用語を元にした「掘り出し物を第三者に転売すること。」を指す言葉。

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バイトを始めたのは、彼女にプレゼントをしたかったから。工場のライン仕事でしたがノルマがあり、不良品を出せばペナルティーが科せられます。僕が入ったラインはミスが多かったのですが、ひとりのミスがラインの流れを止めていることに気づきました。そこで人の配置を入れ替えて7種類のフォーメーションを作りました。するとミスが減り、効率もアップ。休憩時間が15分あるのですが、それまで仕事に手間取って5分しか休めなかったのに30分休めるほど、ライン作業がスムーズになりました。
次にガソリンスタンドでバイトしたときは、給油のほかにオイル交換や洗車などのピット作業があり、歩合で給料が増えるので、ピット作業の受注を取りまくりました。ダントツの成績を挙げたものですから、正社員と同じ仕事まで任されました。アルバイトが楽しくて勉強には力をいれず、社員以上の給料を稼いでましたから、仕事は楽しいと思うようになりましたね。


兄から経営の実権を引き継ぎ、職場環境の改善など建て直しに奔走


高校卒業後、別のガソリンスタンドに就職。20歳の時、父親が創業した松園建設株式会社に入社した。松園建設は父親が勤めていた運送会社が倒産後、父親がダンプ1台で始めた会社で、仲間を次々に集めて事業を拡大。足場工事や産業廃棄物処理業に仕事の幅を広げていった。入社当時は8歳年上の長兄が実質的に会社経営に当たっていた。

先輩たちが退職していき、新入社員も続かない状況から。これでは潰れると思って、兄に「俺にやらせてくれ」ともちかけたら「どうぞ」と。受け渡してもらいました。建て直しを図って最初に考えたのが、社員がなぜ次々に辞めていくかということ。社会保険はない、日給制で収入が安定しない、トイレは男女共用など職場環境の悪さにすぐ思い当たりました。当たり前にしなければならないことでしたので、改善していきましたが、社会保険に入ろうと思えば、社会保険に加入すると経費が大きく増えて会社が潰れる!という経営陣の声と、手取りが減る!という社員の声がありました。


親会社への反発と業界慣行の打破などで業界を襲った危機を乗り越える


試練は次々に襲ってきた。社長業務をあずかってすぐの2005年秋に発覚した耐震偽装の※②姉歯事件。住宅メーカーへの不信から家は建たない、したがって建築廃材は出ないので売上が半減。2008年のリーマンショックでは日本経済全体の低迷でやはり建築需要が減った。

※②姉歯事件:姉歯事件とは、2005年11月17日に国土交通省が千葉県にある建築設計事務所の姉歯秀次一級建築士の構造計算書を、偽造していたことを公表したことに始まる一連の事件を指します。 様々なニュース番組でも扱われた大変大きな事件でした。 これをきっかけに高層ビルを建てるとなると、耐震設計は必須となります。

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親会社に苦境を伝え、仕事をもっと回してもらえるよう頼んだら、リストラを迫られました。そこで、親会社の仕事には従業員の半分だけを充て、残り半分で営業に走り回り、3カ月で売り上げを3割回復させました。また、松園建設の仕事を産廃の収集運搬業と中間処理業に分けました。当時は、産廃は同じ系列の処理場に運び込むのが当たり前だったのを、系列に関係なく現場から近い処理場に搬入することに発想を変えたんです。そうすることでトラックが空になり、早く別の荷を乗せられます。空荷状態を作り続けることが利益につながることになったのです。


エムケー設立。「やるべきこと」に集中して利益を生む体質に


こうして松園建設の再建を果たした松園氏は2017年、自らが社長となって産廃収集運搬業の株式会社エムケーを設立。中間処理センターを持つ松園建設とはグループを形成して協業関係にある。事業シナジーのある遺品整理事業も行っている。

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建物をつくるときに出る建築廃材だけでなく、解体系廃材も扱っています。少量収集運搬に対応する料金体系をとっていますので、一般的な料金より大幅に安くお受けできます。収集運搬業というのは、やるべきことに特化すれば利益が出るものなのです。やるべきことは無事故・効率化。トラックメンテナンス等の従来の運送業でやっていることは委託していますので、ドライバーは本業に専念できます。


できないことができるようになる喜びや、「ありがとう」を分かち合う会社


ユニークなのは、同社ホームページの社員採用ページ。「『できへん』ができるようになる会社」「1年もたんヤツがもつ会社」のフレーズが目を引き、「髪の色キンキン」「今まで仕事が続かへんかった」「がんばれるかわからへん」といった具体的な若者像を挙げて「そう言わんと、がんばろうや!」と呼び掛けている。実際、1年以内の離職者はゼロだという。

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みんなで力を合わせて、できないことでも、どうやったらできるかを考え、できるようになったら一緒に喜ぶ会社「ありがとう」を分け合う会社でありたいと思っています。そのためには、上に立つ者が良質な情報と質問を与え続けることが大事で、それには自分が一番勉強しなければなりません。たとえば、100万円を目標にして80万円しか達成できなかったら、「理由は分析できてる?」「達成する理由は?」、あるいは「君が幸せになれる数字は?」といった問いかけを続けます。また、名刺を1日に5枚関係する会社に配ってもらい、次は10枚、次は関係ができていない会社にと、ハードルを上げていけば、何とかしようと自分で考えるようになります。「できる」が増えたら、仕事はもっとおもしろくなります。離職率が低いのは、おせっかいだからでは。社内チャットの文面がそっけないときは「何かあった?」と声を掛けますし、部長が気づいていなかったら「部長忙しいの?」と言ったりもします。


46歳を前に社長退任を公言。わが道を行く「おせっかい」青年社長

人とのつながりを大切にする半面、けじめと恩は忘れない


面倒見の良さがうかがえるが、決してやさしいばかりの社長ではない。むしろ、失敗させることが社員を育てるとも考えている。根底には、社員に限らず、人とのつながりを大切にする気持ちがあるが、若いころそのせいで手痛い経験をしたこともあった。
今では思い出したくもないほど調子に乗っていた時代に、手痛い目にあい、やむなく全財産を吐き出した経験もあります。お金があれば自分が出すというタイプですので、それまで周りにご馳走しまくっていたんですが、ご馳走しなくなった途端、友人と思っていた方々から無視されるようになったんです。いい教訓だと思っています。私は人とのお付き合いを大切にしていますが、利己的な方とは関わらないようにしています。また、時間を奪われるのがすごく嫌ですので、情報だけを聞きに来る人にも関わらないようにしています。


社長が見る景色と専務が見る景色は違う――「代々初代」の覚悟を後任社長に


松園氏の活動は、日本商工会議所青年部を舞台にしても広がっている。令和4年度の青年部研修委員会委員長に就任したのだ。今の一番の楽しみは、社長を育てること。46歳を前に社長を引退するという宣言にもつながる。

46歳を前に社長退任を公言。わが道を行く「おせっかい」青年社長

商工会議所青年部へは2014年に入会しました。経費の見直しで月6,000円の会費が無駄と考え、辞めるつもりで商工会議所に行ったら、セミナーの受講を勧められ、セミナーがとても面白くて、それをキッカケに青年部へ入会しました。私が経営者として※③ベンチマークしているのが「代々初代」という言葉。一代一代が創業者の気持を持って、新しいことにチャレンジし変革していく姿勢のことです。社長が見る景色と専務が見る景色は違います。社長は0から1を生み出さなければならない。そういう覚悟をきっちりと植え付けたいと、現在3人の社長候補を育てています。社長を辞めた後は、お世話になった人にお礼をして回りたいし、協力できることがあればやりたいですね。今でもいろいろ相談に乗ったりアドバイスしたりもしています。何でもブラッシュアップしていきますから、僕と仕事をしたらやりがいが生まれ楽しくなると思いますよ。

※③ベンチマーク:ベンチマークとは、「指標」や「基準」という意味を持ちます。 測量の分野にて、高低差や建築物の高さを測る際の基準点を、ベンチマークと呼ぶようになったのが由来。

4年後に株式会社エムケーの社長を後任に引き継ぐ旨を早々と宣言をした松園氏。おせっかいで、人とのけじめを大切にする彼が次に描く夢は、無限かつ壮大です。

株式会社エムケー
本社:〒571-0016 大阪府門真市島頭2丁目13-18
オフィシャルサイト:https://mkct.co.jp/

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