創業165年の老舗和菓子店の歴史と伝統を継ぎ 今を走りながら、次代に橋を渡す六代目の思い

浪芳庵株式会社 / 代表取締役社長 井上文孝氏


浪芳庵(なみよしあん)は自然素材を使い、かつ特製のタレをたっぷりとまとった「炙りみたらし」が人気の和菓子店。その歴史の始まりは165年前の1858年に遡り、当時の元号は安政である。歴史的事件として知られる、「安政の大獄」の時代。現代を生きる我々にとっては教科書のなかの出来事であるころに浪芳庵は産声を上げた。現在の代表者は六代目となる、代表取締役社長井上文孝氏。三兄弟の次男として育った井上氏は幼いころから家業の手伝いをして、商品を売ることに楽しさを覚え、大学を卒業するころには家業を継ぎたいと考えていた。しかし……。

創業165年の老舗和菓子店の歴史と伝統を継ぎ 今を走りながら、次代に橋を渡す六代目の思い



私自身はそう思っていたのですが、当時は父から『継いでほしい』などと言われたことはありませんでした。後々に母から聞かされたんですが、本音では継いでほしいと思っていたそうです。ですが父は自分の人生に五代目としてのレールが敷かれていたことに納得はしていたものの、それを良しとはあまり思っていなかったようなんです。だから子どもたちには、自分のやりたいことを自由にやらせたいと考えていたのでしょう。私が『継ぎたい』と言っても、芳しい反応はなかったですね

井上氏は理系の大学を卒業しながらも、洋菓子メーカーに就職をする。この道を選んだのは販売の仕事を志していたこともあるが、家業を継ぐという意思が消えていないことの表れでもあった。そうして会社員生活が4年ほど過ぎたある日、ようやくその声がかかった。

父から『もうそろそろ、戻ってけぇへんか』と言われたんです。就職した会社で働いているうちに、もっといろんなことをしてみたい気持ちもありながら、『待ってました』という思いでもありましたね

ただ戻ることを決意したものの、当時家業は決して好況といえる状態ではなかった。

従業員は父と同世代の60代の方ばかりで、売り上げも少しずつ下がってきている。家業のことですからそれを私は薄々は感じていましたが、いざ現場に入ると危機感を感じている雰囲気がありませんでした。従業員は私が小さいころから働いてくれていて、昔から知っている人がほとんど。その頃私は20代後半で『この会社は、おじいちゃんばかりが働いてる。これで、いいのか』と思ったんです。それに仕事のやり方も昔ながらで、衛生管理の意識が甘かったり、朝にお菓子を作ったら、その後はずっと休憩している人もいました

売り上げが減少傾向にあるにも関わらず、現場はそれまでの習慣に疑問を抱くこともなく、変わらずに毎日の業務をこなしていた。井上氏は「これじゃアカン。なんとかしないと」と思った。

現場の仕事のやり方を改善することもそうですし、私には『こんなことや、あんなこともやりたい』。そんな考えがありました。ですが、みんなに『やってほしい』と言っても、果たしてやってくれるんだろうか。私が先頭を切って走っても、後ろを振り返ったらだれもいないんじゃないだろうか。そんな不安は、すごくありましたね


創業165年の老舗和菓子店の歴史と伝統を継ぎ 今を走りながら、次代に橋を渡す六代目の思い

取材のやり取りで話していても感じるが、井上氏は他者を思いやる心がある温厚な人物。自身も「争いごとは好まない」と言う。それでも、変えるべきところは変えないといけないと思いながら、有効な手立てが見つからないまま時間が過ぎていった。それがある日、ひょんなことから事態が動くきっかけを得る。

当時は朝に工場に入って車で店に配達に行って、戻ってくるとまた工場で働く。それから夕方くらいになったらお店に行って、店番をするみたいなことを何年間かやっていました。そのなかの業務で、百貨店に入っている料理屋さんの甘味処にあんこを納めていて、私が配達に行っていたんです。そこで前職でお世話になっていた百貨店の担当者の方と再会し『イベント担当の人間を紹介するから、うちで販売したら』と話してくれまして、そのお話をありがたく受け入れました。そのころは『このままじゃ、アカン』と思っていたので若い人を数人雇って、そのコたちといっしょに商品を作って販売しました

結果はさほどでもなかったが、このときのイベント販売を見た別の百貨店からも声がかかり、そこでは売り上げが伸びることとなる。

実際にはすごく売れたわけではなく、お店で全然売れていないから、それに比べて売れただけでした。でも工場の人は『結構、売れてるらしいな』みたいな反応になってきて、『こんなんを、やってほしい』と言うと、少しずつやってくれるようになっていったんです


家業を投げ出して独立も考えた
それを踏みとどまらせた出来事とは



自ら動いて結果を示すことで、現場の空気が少しずつ変わってきた。しかしここに至るまで、現場に対して変化を起こせず手をこまねいた井上氏は、独立を考えていた時期があったのだという。家業を継ぐために戻ってきたのに、独立するとは本末転倒な話だが、一時は本気だった。それを思いとどまらせたのは小さな、だが、六代目にとっては店の歴史を今に紡ぐことになった大きな出来事が起こる。

百貨店の店頭に立っていると、掲げている店名を見てる老夫婦から『これは昔、湊町のところにあった浪芳庵ですか』と声をかけられたんです。『そうです』とお答えすると『私が女学校のころにおばあちゃんに頼まれ、湊町のお店によくお使いに行ってました。ほんと懐かしいです』などと思い出を語ってくれて、『せっかくやから』と商品もたくさんお買い上げいただきました。もちろん、ありがたいことです。でもよく考えると、あのご夫婦はお菓子が欲しいから店に来たわけではなく、ご夫人の心のなかに昔の浪芳庵の思い出が蘇ってきて買ってくれた。それが本当にうれしかったですし、感動しました。こうやって、人の心に浪芳庵が残っている。そういう人が、他にもおられるかもしれないと思いました

この件があって井上氏は、自らが背負う責任に気付いて考えを改めた。

創業165年の老舗和菓子店の歴史と伝統を継ぎ 今を走りながら、次代に橋を渡す六代目の思い

当時は独立も考えていましたが、浪芳庵の看板を見て思い出してもらった。ということはこの名前に価値があって歴史があり、その重みを五代目が繋いできたことの意味に気付いたんです。私は六代目だとか店が100数十年続いていることがどうだと思ってるわけではなく、ただ単にお菓子を売っている店があり、そこで働きたいみたいな感じでスタートしました。だけどあの老夫婦とのエピソードで、浪芳庵の歴史はすごく重たいものだと感じましたし、ありがたいなとも思いました。父や祖父たちがやってきたことが、今ここに形がなくとも残っていて、それが私たちの店に興味を持って買いに来てくれるお客様を繋いでくれているんじゃないか。そう思うとこの歴史は、浪芳庵は、私が守っていかないとアカン。独立するのはやめようと、そのときに思いました


歴史と伝統に胡坐をかかず、
現代に通じる看板商品を生み出す



このエピソードが老舗の歴史と伝統を受け継ぎながら、今の時代に即した新しい風を吹き込ませようとする取り組みとの結節点になった。そのひとつとして専務時代の創業150周年となる2009年に、奥なんばとされる現在の場所(浪速区敷津東)に工場を併設する本店を構える。当時は父親や周囲から反対の声が上がったが、それを抑えてのことだった。結果的にこれが企業イメージを大きくあげることになり、現在につながっているのだという。そうして2011年に、正式に六代目に就任。今や看板商品となった「炙りみたらし」も、井上氏の代で開発され、販売を開始したものである。

創業165年の老舗和菓子店の歴史と伝統を継ぎ 今を走りながら、次代に橋を渡す六代目の思い

本店で看板商品を作ろうとオープン前からああでもない、こうでもないとやっていて、そのなかでみたらし団子を看板にしようとなったんです。そこで私の妻である女将から『ほかに負けへん、みたらし団子。エルメスみたいな、特別なみたらし団子を作りたい』という言葉が出てきました。形にもこだわって、丸い団子は食べるときに串のなかでくるくる回って食べにくい。持ちやすくて平べったいほうが食べやすいだろうし、丸いものが三つの団子は普通すぎるから、ちょっと違う形であるのもいい。それに一般的なみたらし団子はタレが少ないから、食べごたえがあるようにたっぷりつけようと

団子の原材料は米と砂糖と水、タレも昆布で出汁をとって醤油と砂糖で作る基本に忠実なもの。しかし素材はもちろん、道具の状態にも最新の注意を払うなど手間暇を惜しまず作られているからこそ、「炙りみたらし」にはシンプルながら深い旨さが宿されている。今では本店をはじめとした各店にはこの味を求めて、今日も多くの人々が足を運んでいる。


経営理念である「腐るお菓子」の真意、
そして七代目への思い



そんな浪芳庵の経営理念は「腐るお菓子」。この理念には至極真っ当で、かつ誠実な思いがある。

私たちがやっていることは、農産物加工業です。農産物をちゃんとしたお菓子に変えてお出しし、なおかつその素材が引き立つ良い状態で提供することを目指しています。どうすれば長持ちするかではなく、いかに美味しい状態で食べてもらうか。延命治療は無く、32時間以内に食してもらうお菓子。それが浪芳庵のモットーなんです。『炙りみたらし』を出来立てで提供させていただくのも、それが根底にあるんです


創業165年の老舗和菓子店の歴史と伝統を継ぎ 今を走りながら、次代に橋を渡す六代目の思い

老舗和菓子店の歴史を受け継いだ六代目が自分の使命と考えるのは、自分が手にしたバトンを次の世代に手渡すこと。井上氏には、3人の娘がいる。彼女らのだれかが七代目となるのかと話を向けると……。

今のところはまだ、だれも『私が継ぐ』とは言っていませんね(苦笑)。いちばん上のお姉ちゃんが継いでくれる可能性があるかなとは思うのですが、私は彼女に継いでほしいとは言っていません。でも家の手伝いはいつもしてくれているので、いつかそういうときが来るかなという感じもあり……。私のなかでは、手伝ってほしいなと思っていますけどね

浪芳庵の七代目がだれになるかは、もう少し先の話になりそうだ。それを踏まえたうえで井上氏は自身が経験してきたことを重ね合わせて、まだ見ぬ跡継ぎにメッセージを送る。
座右の銘ではありませんが、私は一代一場という言葉が大好きなんです。五代目には五代目の光り輝くステージがあり、そこで商売をやっていた。私が同じステージに上がっても、同じパフォーマンスはできません。私は五代目が作ってきたステージを認めたうえで自分のステージに立って、そこで私といっしょに働いてくれる仲間がやりたいことができる環境を作っていければいいと思っています。我々はこうしてやってきましたが、七代目は自分たちが良しと思い、自分たちが楽しいステージを作っていくことを好きなようにやればいい。七代目の人がワクワクしながら楽しくやれるのなら、もうそれ以上言うことはないと思って見守ります

伝統を守りながら時代の変化にも対応し、歴史を重ねた老舗を現代に生きる和菓子店としている。六代目は今を全力で駆けながら、その目は「浪芳庵」と書かれたバトンを次代に繋ぐべく、未来を見据えている。

会社概要
浪芳庵株式会社
本社:⼤阪市浪速区敷津東 1-7-31
オフィシャルサイト:https://namiyoshian.jp/

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