世界の「衛生・環境・健康」に貢献する企業だからこそ、 環境問題にも真正面から取り組む
サラヤ株式会社 / 代表取締役社長 更家悠介 氏
世界中を大混乱に陥れた、新型コロナウィルスによる災禍はいまだ記憶に生々しい。その騒動中に声高に訴えられたのが、手指の徹底した洗浄と消毒。実は同じことは、今から約70年前にも起きていた。当時は、赤痢が日本国内にまん延。戦後間もないこともあり、多くの人々の命が失われていた。サラヤ株式会社は、そんな最中の1952(昭和27)年に大阪市で創業。その経緯を創業者の息子であり、二代目社長を務める更家悠介氏が話す。

私の父は三重県の熊野市出身で、そこから大阪に出てきました。最初は漢方薬を売っていたのですが赤痢が流行っていたこともあり、訪問先から『今必要なものは漢方薬より、感染が防げるもの』と聞かされたそうです。それで父は、感染予防の基本である「手洗い」に着目し、手洗いと同時に殺菌・消毒ができる日本初の薬用石鹸液を開発。手先が器用だったので、自分で図面を引いて、今で言うディスペンサー(※1)を作ったんです。それが、我が社の始まりでした

※1 ディスペンサーとは、液体や半固体状の物質を定められた量で吐出する装置です。英語の「dispense(分配する)」が語源で、日常生活や製造業など、さまざまな用途で使用されています。身近な例としては、シャンプーやリンスを入れる「ソープディスペンサー」、ファミリーレストランなどのドリンクバーに設置されている「ドリンクディスペンサー」などがあります。
当時の日本では液体石鹸は一般的ではなく、石鹸といえば固形のものだった。だが物不足の時代、固形石鹸は盗まれやすく、また多くの人が共用することで汚れが付いて不衛生な状態だった。ところが液体石鹸の場合は、使うたびに清潔な薬液が取り出せる。そういったところから、サラヤの液体石鹸は「緑色の薬用石鹸液」として日本中のトイレに浸透していった。
そして創業から、約10年後。経営をさらに安定させることにつながる新たな製品を世に送り出した。
液体石鹸は夏場の売り上げは良かったのですが、冬になると落ちるんです。当時は温水が出る装置が普及していなくて、冬は水が冷たいから手を洗わなくなります。冬は食中毒や感染症が減ることも、要因のひとつ。そこで冬場の売り上げをなんとかするために、うがい薬を開発しました

手指の洗浄と消毒に加え、うがいも感染症予防に効果があることは、コロナ禍でも盛んに喧伝された。サラヤ社のうがい薬も感染症予防をねらったものだったが、意外な形で世に広まる。
当時は高度成長期の真っただ中で、公害が大きな社会問題になっていたんです。工業地域で光化学スモッグなど悪い空気が蔓延して、近隣の住民や通学する小学生らが喉や目の不調を訴えていました。とくにそういった地域で、我が社のうがい薬をたくさん使っていただけるようになったんです。感染予防よりも、大気汚染に対する対策として受け入れていただきました。そこから我が社は夏は手洗い、冬はうがいということで経営が1年を通して安定してくこととなります
70年代の公害問題に対応した
商品が、今やロングセラーに
経営の安定化が図られたこともあり、次の取り組みとして別の社会問題に着目した。
当時、一般的に流通していた合成洗剤は、コストを優先して環境影響にはこだわっておらず、石油系の洗剤が多かったんです。そうすると流れ込んだ排水で河川が汚染され、魚も死んでしまう。性能を上げるために配合されたリンが原因で藻やプランクトンが異常繁殖し、赤潮が発生したりしました。そういう洗剤による公害が、60~70年代にクローズアップされたんですその問題への対応として、一般販売していなかった商品を市場に出す決断を下す。
弊社は学校給食にもお世話になっていまして、現場では洗剤や石鹸も安全なものを使う意識が強くありました。そういったことから、排水が素早く分解されて、環境負荷が少ない植物系の食器用洗剤を使っていただいていました。これを一般家庭用に販売を開始したのが、1971(昭和46)年でした

その植物系の食器用洗剤とは『ヤシノミ洗剤』。多くの人が一度は目にしたことがあるであろう、今でも販売されているロングセラー商品だ。消毒液や洗剤の開発と製造、販売を主事業とするゆえ、環境問題から目を背けることはできない。「ヤシノミ洗剤」を一般消費者に届けたのも、公害という環境問題と正面から向き合ったからこそ。現在の更家悠介氏の代になってから海外にも目を向けるなど、環境問題に対する姿勢をより強めることとなる。

2004年からボルネオで、熱帯雨林の保護と生物多様性の保全に取り組んでいるんです。これはヤシノミ洗剤の原料調達においても、環境配慮をする必要があると考えたからです。保全活動には、ヤシノミ洗剤の売り上げの1%を寄付させていただいています。また2010年からはウガンダで、『100万人の手洗いプロジェクト』も始めました。石鹸を使って正しく手を洗えば下痢性の疾患や肺炎が予防できて、100万人の子どもの命が守られると言われています。ユニセフが現地で行っているこの手洗い促進活動を、我々が支援していますまた新たに、「スナノミ症対策プロジェクト」を行っている。
スナノミ症とは、スナノミというノミが媒介になる皮膚疾患です。外でも裸足で生活する人が多い地域に見られるもので、スナノミが足に寄生してそこで卵を産むことで腫れたり、ひどい場合は全身の壊死につながったりと、かなり厄介なんです。アフリカや中南米、インドなど20カ国以上で深刻な問題になっています。我々はかねてからこの治癒薬を開発していまして、それがようやく完成しました
これらに加えて更家氏は、自身が理事長を務める特定非営利活動法人ゼリ・ジャパン(※2)で、プラスチックによる海洋汚染の問題にも取り組む。この動きは、来年に開催される大阪・関西万博(以下:万博)にもつながっている。
※2 特定非営利活動法人ゼリ・ジャパン(ZERI JAPAN)は、2001年に設立されたNPO法人です。この団体は、資源とエネルギーを循環再利用し、廃棄物をゼロに近づける「ゼロ・エミッション構想」(ZERI: Zero Emissions Research and Initiative)を基盤としています。

万博にはゼリ・ジャパンとして、ブルーオーシャンドームというパビリオンを出展します。テーマは『海の蘇生』。パビリオンにはAからCまで3つのドームがあって、それぞれで海の持続的な活用にちなんだ展示や各種のイベントを開催します。ここでぜひ、みんなで海について考えてほしい。海のことは万博での一過性に終わらせず、万博が終わってからも継続していきます
来たるべき100周年に向け
企業理念に則って進む
社が重ねてきた歴史は70余年。液体石鹸の開発を出発点に、近年では健康食品や医療分野などへと事業領域を拡大してきた。そうして創業100周年も、視界に入ってきている。来たるべき大きな節目に向けての目標を訊ねると、更家氏はこう答えた。
会社の規模を追いかけているわけではありませんが、ある程度の規模がないと、いろんなことができないのも事実なんです。今後の成長曲線の目標を描いていけば、おそらく目標とする規模が出るでしょう。ですがこれは、マーケットあってのこと。2052年が100周年ですが、そのころの社会がどんな姿になっているのか。たとえばカーボンニュートラル(※3)の社会といわれていますが、実際にはどうなるかなとも思うんです。そういうなかで、我々は社会にどんな貢献ができるのか
※3 カーボンニュートラルとは、温室効果ガスの排出量と吸収量を均衡させることを意味する言葉です。温室効果ガスの排出量を削減し、植林や森林管理などによる吸収量を増加させることで、実質的に排出量をゼロにすることを目指します。
カーボンニュートラルの目的は、地球温暖化や気候変動の進行を防ぎ、持続可能な社会を築くことです。
話は世界的規模の視点へと移り、さらに紡がれる。
これからアフリカの人口はすごく増えますし、インド経済が伸びてくることも予想されます。それに世界経済は、アメリカと中国がこれからどう発展していくのかも関わってくる。我々には、グローバルに事業を展開していく意思があります。これを100周年に向けて、どういう姿を描いてやっていくか。そのことについては、万博が終わってからしっかりと考えていきます
企業理念に掲げる「世界の衛生・環境・健康の向上に貢献する」は、人が安心して生きるための根幹にあるもの。世の中の変化は時代を経るごとに加速度を増し、2052年に社会がどうなっているかを見通すことは現時点で困難である。だがサラヤ社は100周年を迎えたそのときも自分たちの理念に則って、人が安心して生きられる世界を支えていることだろう。
サラヤ株式会社
本社:大阪市東住吉区湯里2-2-8
オフィシャルサイト:https://www.saraya.com/
半生菓子を実直に作り続けて65年 家業から万博に参加する企業に
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