専業主婦がある日、ガス管工の社長に 「継続は力なり」を胸に邁進する
大阪工管株式会社 / 代表取締役 岩崎 文江 氏
大阪工管株式会社は、道路を掘削してガス管の設置・取替えを主事業とする大東市の企業である。代表取締役の岩崎文江氏は3年前から現在の役職に就いたが、それまでは会社経営とはまったく無縁の生活を送っていた。もちろん、会社の代表取締役になることなど、頭の片隅にもなかった。なのになぜ今、代表取締役の肩書きを背負っているのだろうか。
それまでは、ずっと専業主婦でした。この会社は主人の父が設立して、その後に主人が経営をしていました。それから紆余曲折がありまして、主人から『あなたが(経営を)しなさい』と言われたんです。いくらでも、断れたと思います。自信があるわけでも、経験があったわけでもありませんでしたから

それでも熟考し、最終的には首をタテに振る。そうさせたのは、こんな思いからだった。
あのときの私のなかに、なにがあったのかと思うと、40何年もやってきた会社をなくす不安があったのかな。この会社があったから自分たちの生活があったのに、すべてをなくす怖さがあったんだと思います。自分では、感づかないところでね。そして実際に私がやるとなって、そのまま訳もわからずやっていったというのが正直なところなんです(笑)
利益を残せるよう改革を図るも
反発した古参社員が離散
岩崎氏は代表取締役に就く前に会社に入り、さまざまなことを自らで学んでいった。それから少しの時を経て社長に就き、あらためて経営状況を精査すると、決して芳しくないことがわかった。
経費に対する考え方ひとつにしても、昔からそうだったのでしょうけど、ざっくりしていたと言いますか。工事に使う資材が使いかけのまま、あちこちに転がっていたりしていたんです。当時借りていた会社の土地建物の家賃も高くて負担になっていたので、今のこの大東市に工場を見つけて移転しました

受注に関しても荒さがあった部分を精査し、それを改善していくことで少しでも多くの利益を残すように取り組んだ。
工事内容によって売り上げがいくらになるかの統計をとって、その平均を割り出した数字を出していきました。そこから1日にこれだけの仕事をすれば、なんとかなるみたいな収支予測をしていって、ようやく経常利益が出るようになったんです。また、こういう土木の世界は日給月給なんですよね。それでは従業員の給料が安定しないので、年間で割って月給制にしよう。以前からそう考えて、私が社長になってそれをまず実行しました
社として利益が残せるようになった反面、これまでのやり方からさまざまな事柄が変わったことに、古参の社員は反発をする。
私がなにかを言っても『みんな社長が言うようなことは考えて仕事はしてないし、工事なんて現場に行って、掘ってみなわからへん』など、できない理由を山ほど言われました。現場がどんな仕事をしてるかもわからないのに、数字のことばかり言う社長。そう思われているところは、きっとたくさんあったんでしょうね。それでも仕事は社員がちゃんとやってくれるから、私は舵取りをやる必要があると必死でした
「人材ではなく、人手と見ていた」
雇い入れた外国人労働者への悔恨
経験のなかった経営に奮闘しながら、従業員とも戦う日々が続いた。しかし図らずも、社長に就任した際、9人いた社員はひとり、またひとりと去り、やがて工事を請け負うのが困難な人数にまで減ってまた、岩崎氏は必要に駆られて従業員不足を外国人労働者に頼ることにしたが、当初は上手くいかなかった。その原因を振り返ると、悔恨の念が先に立つ。
しばらくして気付いたのですが、あのころの私は外国人労働者の方々を人材ではなく、人手と見ていたんです。今日の仕事をするために、人の手がほしいという採用をしていました。だからみんな1週間や3日で辞めてしまって、長く続かない。彼らを育てていこうという考えが、希薄だったんです。それに外国人労働者の方々は、日本に稼ぎにきているんですよ。そのことに応えられなかったのは、私の責任。本当に、申し訳なかったと思っています
大阪工管社が外国人労働者を雇用するようになったのは、岩崎氏が社長に就任したのと同時期。深い反省とともに、彼らへの対応を変えておよそ3年が経った。今では外国人労働者は、同社にとって大事な戦力である。日本人従業員との関係も良好で、チームワークを発揮して現場作業にあたっている。

私は時々、現場を見に行くんです。ある日、現場でガードマンをされている方が『大阪工管さんといっしょの仕事はホッとするし、楽しい』と言ってくれたんです。うれしくなって『なんでですか?』と訊いたら、『ほかの現場では上から物を言ったり、なにか失敗したら怒鳴り声が聞こえてくるんです。でも大阪工管のみなさんは、楽しそうに笑いながら仕事をしてる』と言ってくれたんです。1日の仕事を終えて会社に戻ってくるときも、みんな笑顔。これってホンマに素敵なことやなと、いつも噛みしめています
現在はネパール、ベトナム、中国からの外国人労働者が、日本人と現場をともにしている。言葉による伝達は当然、日本人同士のようにはいかない。日本人従業員はわかりやすく短い言葉で作業内容を伝えるうちに、自然と相手の立場に立ったコミュニケーションが図れるようになり、互いの関係が深まっていった。
課題のひとつは、技術の継承
若い社員に将来像を見せてあげたい
とはいえ、それですべてが解決したわけではない。社の未来に目を移すと、まだいくつもの課題や難問が待ち受けている。そのひとつは、現場技術者の後継者問題。土木作業に分類されるが、大阪工管社の仕事は穴を掘っておしまいの単純作業ではない。ガスは社会の重要なインフラであり、危険物でもある。ガス管の設置・取替えを行うには、経験と技術が必要なのである。
本当にそこが、次の課題なんですよ。今の弊社は70代の番頭が、20~30代の従業員に指導をしてくれてます。若い彼らにその技術を身に付けてもらって、これから自分はこうなるんだといった将来像を見せていくことが大切。海外から来てくれているコたちもそう。しっかりとした技術を習得してもらって、母国に帰ってもらいたい。そのためには資格者の方に来ていただいて、自分が持っている技術を次の世代に伝えてほしいんです。しんどい仕事をするとかではなく、技術を伝えることで貢献したいと思ってもらえるような人と出会いたいと心から願っています

そんな岩崎氏が大事にする言葉は「継続は力なり」。専業主婦から経営者に転身した自身にその言葉を当てはめると、まだ道半ばといったところだろうか。
まだまだ、ヒヨコですよ(笑)。私は中学から大学まで、ずっと体操競技をやっていました。10年も同じことを続けていくと、やっぱり形になるんです。進学ごとに部活を変えていたら、それは得られなかったと思うんですけど、10年も同じことを続けられる人はそんなに多くはないだろうと考えると、自信にもなりました。それを思うと、社長になってから3年ということは、中学が終わったころ。私は競技者として、高校の3年間でがむしゃらにやって成長できました。社長としてもここからの3年は、いろんな専門の人の意見を聞いたり、手法を学んだりしながら、私と会社がどこまで伸びるかチャレンジしていきます
そう語る岩崎氏は、わずかなことでも、継続して行えば、成果があらわれる。そして小さな努力を続けてやれば必ず成功に結び付くということを伝え続けるに違いない。
大阪工管株式会社
本社:大阪府大東市諸福3丁目10-7
オフィシャルサイト:https://www.osakakoukan.com/
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