新商品開発とともにコンペイトウの魅力を発信し続ける「フロイスしおり」社長
大阪糖菓株式会社 / 代表取締役社長 野村 しおり 氏
球体からいくつもの角(つの)が飛び出したかわいい形状で根強い人気の砂糖菓子、
コンペイトウ。製造技術を伝え続ける一方、室町時代にポルトガルから伝わったというその歴史やロマンの伝承にも力を入れる大阪糖菓株式会社(八尾市)の代表取締役社長野村しおり氏は、取材に南蛮衣装で現れた。少しでもコンペイトウに親しみをもってもらいたいという狙いだが、
他社にはないユニークな新商品の開発を進めるとともに
コロナ禍でのPR活動にも知恵を絞り、
コンペイトウの魅力の発信に力を入れておられます。
南蛮衣装は今や〝礼服〟。その言葉に込められたコンペイトウ愛は父譲り
南蛮衣装は、父で先代社長の卓氏(現会長)が実践していたのを引き継いだ。卓氏は筋金入りのコンペイトウマニア。会社を「
コンペイトウ王国」と称し、本社八尾市、堺市と福岡市にコンペイトウミュージアムをつくって 多くの来場者にコンペイトウの魅力を伝えてきた。さらに、織田信長にコンペイトウを献上したとされるポルトガル人宣教師、
ルイス・フロイス(※①)にちなんで「
フロイス野村」を自称し、南蛮衣装だけでなく、時には王様のコスチュームを身に着けて、子どもたちに
コンペイトウの魅力を説き続けた。コンペイトウに注ぐ情熱は「
南蛮文化の伝道師」として
「コンペイトウ浪漫紀行」なる書籍を出版したほどだ。
※①ルイス・フロイス:ポルトガルのカトリック司祭、宣教師。イエズス会士として戦国時代の日本で宣教し、織田信長や豊臣秀吉らと会見。戦国時代研究の貴重な資料となる『日本史』を記したことで有名。
父は、スーツ姿でコンペイトウの話をしても、子どもたちにコンペイトウのおいしさや楽しみが伝わらないと考え、コスプレするようになりました。宣教師の格好をしたときは泣き出した子どももいたそうですが…。私もイベント時や受賞時にはこの衣装を着ており、今や、南蛮衣装は私にとって〝礼服〟です。
コンペイトウミュージアムも目的は同じ。「少子化でお菓子はじり貧になる、頭を使うべし」という考えから、コンペイトウの製造工程や歴史・文化を伝えて、本当の価値を感じていただきたいという狙いがあります。「見て・聞いて・作れる体験型空間」をキャッチコピーに、2003年、鉄砲や貿易を通じてポルトガルと縁のあった堺市に初めて開館しました。コロナ前までは、団体客を中心に3館で有料の体験に年間2万5千人も来ていただくようになりました。
角(つの)のあるコンペイトウは、日本で独自に進化したもの
そこまでコンペイトウに愛情を注いでいる会社なんですが、大阪糖菓がコンペイトウメーカーになったきっかけが面白い。同社は1940年に野村しおり氏の祖父が興した菓子卸問屋が原点。戦後、お得意さんからコンペイトウを製造するための釜を仕入れて欲しいとこしらえたものの、価格で折り合いがつかず、釜だけが手元に残ってしまった。それならと、自社でコンペイトウ作りに乗り出したのが始まり。
コンペイトウという名前は、ポルトガル語で砂糖菓子を意味する「コンフェイト」からきていますが、今のコンペイトウは日本で独自に進化したものです。信長が食べたコンペイトウはクルミの形をした2枚貝のようなものに入れ、糖蜜を炙って固めたもので、今のような角はなかったようです。ポルトガルではもちろん、今でもコンペイトウは作られていますが、角も透明感もありません。日本では江戸時代に、長崎の人が中華鍋を使ってコンペイトウの製造に成功したことが井原西鶴の「日本永代蔵」で紹介されています。それには角があったようです。現在のように直径2メートルもある専用の釜を回しながらバーナーで熱して作るようになったのは明治になってから。この機械を作ったのが大阪のメーカーだったため、大阪にはコンペイトウ製造会社が多く誕生しました。全国で9社に減った中でも、そのうち4社は大阪です。
ごぼうの香りやブドウ味、次々に新商品を開発して顧客を飽きさせない
コンペイトウの進化は現在も続いている。コンペイトウと言えば従来、ピンク・黄緑・黄・白の4色だったが、今ではさまざまな色のものが生まれている。色とりどりのコンペイトウをラッピングして
観光地などで人気の「花シリーズ」を最初に売り出したのは大阪糖菓。そのほかにも同社は多くの新商品を開発販売している。
コンペイトウはグラニュー糖を核にして蜜をかけて作りますが、和三盆だけを使ったものやコーヒー味、塩分補給のために赤穂産の塩を入れたもの、信長が食べたであろう450年前のコンフェイトを再現した「信長の金平糖」。さらには、直径1ミリの「世界一小っちゃなコンペイトウ」なども作ってきました。コロナで販売が落ちて時間と労力がたっぷりあった中で考えたのが、地元八尾市の特産「八尾の若ごぼう」や、柏原市産の「ブドウ」を使った地産地消の商品です。コーヒー味は大人でも苦いですが、若ごぼうはさわやかな香りが楽しめます。いろいろなことにチャレンジしているのですが、すべてはコンペイトウ文化を次世代に残していきたいという一心からです。
ゆるキャラや漫画でも「夢と希望が詰まったお菓子」の魅力を発信
野村しおり氏は卓会長の一人娘。子どものころは、チョコレートだったら良かったのになどと思っていたが、ハワイに留学したことなどでコンペイトウの魅力や面白さに目覚め、2014年に社長に就任してからも父の思いをしっかり受け継いでいる。父が書籍を出版したのに対し、野村しおり氏はイラストライターの方と「
お砂糖の妖精シュガラブちゃん」を生み出し、そのテーマソングなどを自分で歌って収録したアルバムを出した。また若者や海外のバイヤーに知ってもらうため、
オリジナル漫画「コンペイトウ王国物語」もミュージアムのホームページに掲載している。
父からは、常に時代の流れに目を向けることの大切さを教えられました。そこで健康志向が強い現代、健康や美容の観点から敬遠されがちな砂糖自体の良さをアピールすることに目を付けました。砂糖には保湿効果があり、シャボン玉に添加すると色がきれいで割れにくくなります。こうした特性を生かして、砂糖入りの石鹸やリップクリームを開発しましたし、コンペイトウを使ったアクセサリーも作りました。もちろんコンペイトウ自体にも無限の可能性があります。他のお菓子にはない形が魅力的で作り方の面白さや、なぜ角のあるこんな形になるんだろうという不思議さもあります。私はそんなコンペイトウを「夢と希望が詰まったお菓子」だと思っているんです。
若い職人希望者が次々入社したことに手ごたえ、海外への販路拡大も計画
コンペイトウは歴史が長いだけに、大人にとって懐かしいお菓子と言うイメージが持たれやすいが、発信の仕方によっては若い人にも受け入れられると考えている。それを証明するのが、
若い職人が立て続けに入ってきてくれたことだ。現在、20代の職人3人が大きな釜を相手にコンペイトウ作りの技術習得に励んでいる。そもそもコンペイトウは、熱い釜で蜜をかけ続けても1日に1ミリしか成長しない。商品として売れるようになるには2週間はかかるうえ、角の数も狙ったようには作れないという難物。15年の経験を持つ職人でさえ「修行中」というほどだ。そんな世界に若い人が飛び込んできてくれたことが、何よりうれしい。
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