「日本とベトナムのものづくりの架け橋」を実践する町工場社長

オオサカジン運営事務局

2022年05月20日 09:30

株式会社タカヨシジャパン / 代表取締役 髙島小百合 氏

                                                            

初めてベトナム人を雇い入れてから40年余。ベトナムに工場まで作った精密部品加工メーカー、高由金属株式会社(八尾市)の子会社、株式会社タカヨシジャパン(八尾市)は2018年、「日本とベトナムのものづくりの懸け橋に」と設立された。日進月歩で成長するベトナムのものづくりの力を最大限に活用し、日本では調達困難になってきた鋳物製品・溶接製品などの製造を現地工場に回して、日本と変わらない品質・納期で顧客の要望に応えている。代表取締役髙島小百合氏は「ベトナムと日本の良さをともに取り入れ、発展させて、町工場から技術力の誇れる企業に成長していきたい」と意気込む。




八尾に根差したコミュニティーから応募してきた一人のベトナム人従業員が始まり



タカヨシジャパンの話の前に、高由金属について触れておかなければならない。高由金属は1980年、髙島小百合氏の祖父 由雄氏が設立。島津製作所を主な取引先に、シャフト加工やフライス加工などで、中小企業の強みを生かした多品種少量生産を得意としている。初めてベトナム人従業員を雇い入れて以来、工場からベトナム人の姿が途絶えたことはなかった。
なぜベトナム人だったのか――。



ベトナム戦争終結後に国外に逃れた「ボートピープル」と呼ばれるベトナム人が一時滞在する雇用促進住宅が八尾市にあった関係で、ベトナム人が多く住んでいました。会社が忙しかった時期に募集をかけたら、そんなベトナム人の一人が応募してきたのです。彼は小学生の時から日本に住んでいましたが、日本語は十分ではありませんでした。でもすごく真面目で一生懸命仕事を覚えながら、十分に戦力として育ってくれました。またベトナム人コミュニティーには独自のネットワークがあり、彼のつながりなどから、その後もベトナム人が相次いで入社してきてくれたのです。


急速に進展したベトナムの技術力、サプライチェーンで現地工場も成長



2012年、ホーチミン市から50キロ離れた工業団地に現地法人「タカヨシベトナム」を設立。5人のベトナム人従業員と元専務の近藤泰重氏の6人体制でのスタートだった。すでに日本の製造業は安い労働力を求めて工場の中国移転に舵を切っていたが、2000年代に入ると急速にその動きが進んだ。進出先は次第に、タイやベトナムなどの東南アジアに及んでいき、タカヨシベトナムの設立もその流れに乗ったようにも思えるが、ベトナム進出には章氏が抱いていた強い懸念があった。


父は後継者不足や人手不足、技術継承の遅れなどから、このままでは日本のものづくりはダメになると強い危機感を持っていました。ベトナムは国民性が日本人に合っているうえ日本へのあこがれも強く、現地に工場をつくれば人が来てくれて、日本では廃れていった技術も継承していけるのではないかと考えたようです。実際、進出したころは日本より30年は遅れていると感じたベトナムの技術力やサプライチェーンは、その後急速に伸びました。協力会社は100社を数えるまでになり、当初は入手が難しかった材料が容易に手に入るようになるなど、現在では日本とそん色のない製品をつくり出すことができています。今は約20人のベトナム人が働いていますが、日本人は一人もいません。


品質にそん色なし。短い納期、コストダウンにメリット



そのタカヨシベトナムと高由金属をつないでいるのがタカヨシジャパンだ。高由金属で受けた仕事のうちベトナムでできそうな仕事、ベトナムだからできる仕事を回してもらい、ベトナム工場との橋渡しをしている。日本では現場の過酷さから担い手がおらず工場が激減し、入手が困難になってきている鋳物を材料とする部品や溶接製品の製造が多いという。


ベトナムで製造するメリットとして、納期を短くできること、型代のコストが抑えられることなどが挙げられます。さらに、やはりまだ日本に追いつこうという段階ですので、日本にはもうなくなってしまった古い機械を必要とする製品や人手不足で製造が難しくなった製品などもベトナムなら可能だというケースが増えています。そんなニーズから検査のほか最終の加工を日本で行うなどして「海外製造・日本品質」の製品を、ご希望の納期で納めさせていただいています。


ハマりやすい性格が選んだ最初の就職先は「劇団四季」



高由金属の取締役をしながらタカヨシジャパンを率いる小百合氏だが、子どものころは町工場の社長になるなど夢にも思っていなかった。大学を卒業して就職したのは劇団四季だったというから、その変転には驚く。

小さい頃は町工場に劣等感を抱いていて、友達にも家が町工場だということが言えなかったほどです。きつい・汚い・危険の3Kのうえ、家電とかと違い産業機械に関係する仕事ですので、自分たちが作った製品が見えにくいということもあったのでしょう。1年間の海外留学を経験したあと、外国語大学に進みました。私はなんにでもハマりやすいタイプで、最初は宝塚歌劇。バイトと宝塚に明け暮れていましたが、友達と四季の舞台を見に行って、今度はこちらにハマりこみました。みんなで一体となって何かをやるのが好きでしたので、役者ではなく関西公演本部というところでチケットセールスや会員向けイベント、コマーシャルなど公演運営全般を担当し、「いかに劇場に足を運んでもらうか」を考え続けていましたね。


腰掛けのつもりが、ものづくりの世界の楽しさ、やりがいにのめり込む



結婚を機に劇団四季を退職し、職業訓練校を経て30歳で高由金属に入社。両親が築いてきたものを見て、「役に立ちたい」と考えたからだが、子どもを産むまでの腰掛のつもりでもあった。ところが、ものづくりの街、東京大田区出身でダイヤ精機社長を務める※①諏訪貴子さんの講演がものづくりへの意欲をかき立てることとなる。



入社してからは、父のカバン持ちみたいな形で取引先について回りながら、お客さんとの距離が少しずつ近くなっていきました。そして取締役として主要取引先の島津製作所さんが始めた協力工場を巻き込んだ改善活動の会議にも参加するようになった10年目、諏訪貴子さんの講演を聞いたんです。それはものづくりってめっちゃ楽しいし、町工場にこんなにも輝く人がいるんだ。と気付かしてくれました。これがきっかけでタカヨシジャパンの社長になろうと決めました。
※①諏訪貴子:1971年東京都生まれ。成蹊大学工学部卒業後、ユニシアジェックス(現・日立オートモティブシステムズ)に入社。98年、当時社長であった父に請われ、ダイヤ精機に入社し出産と同時に退社。32歳(2004年)で父の逝去に伴いダイヤ精機社長に就任、経営再建に着手。さまざまな改革を実施。新しい社風を構築する女性経営者として活躍中。日経BP社より『町工場の娘 ~主婦から社長になった2代目の10年戦争~』を出版。


カフェでベトナムの魅力を発信、交流の場としての仕掛けも



ハマりこむ性格は、直接の仕事以外にも発揮されつつある。その一つが、「※②みせるばやお」に開いたカフェ「架け橋 BRIDGEWORKS」。みせるばやおは、八尾に根付くものづくりの魂を次世代に引き継ぎ、市内企業の魅力をワークショップなどを通じて伝えるべく、市と市内企業で近鉄八尾駅前に設立した魅力あふれる場所だ。

※②みせるばやお:八尾市の企業が様々なワークショップを開催し、
子供から大人まで おっ! と驚くワクワク体験やあなたの知らないものづくりのスゴさ、おもしろさに触れることのできるものづくりエンターテイメント。オシゴト・ものづくり体験・体感施設です。
http://miseruba-yao.jp/



 
もともと料理が好きで、女性の自立を支援したいという気もありました。ベトナムのパンを使ったサンドイッチ、バインミーを広めたいですし、とにかくベトナム色を出していきたいと考えています。また、みせるばやおでは、ものづくりの現場を体感してもらう※③ファクトリズムという催しを行っています。そこで合同企業説明会を開催したり、オープンファクトリーに大学生の参加を呼び掛けたりしていこうと考えています。一人でも多くの方にモノづくりの魅力を知ってもらい、人手不足に悩む中小企業に人が訪ねて来るようになることを願っています。さらに、地元のみんなで「モノづくりのまち八尾」を盛り上げたいというのが私の基本にありますので、採用人数が少ない中小企業の新入社員を集めて合同研修を開ければ、職場が違う同期が生まれて、いろんな情報交流の場が出来ると思っています。そのためにもこのカフェを交流の場にしたいんです。

※③ファクトリズム:「FactorISM(ファクトリズム)」は、大阪府八尾市を中心とした、町工場でのものづくりの現場を体験・体感してもらうイベントです。
https://factorism.jp/



地元の仲間を大切にみんなが輝ける会社・社会を目指すエナジースポットに



「みんなで」の思いは本業においても、もちろん強い。理想の会社は「自分が大好きな『家族』のような会社」という小百合氏だけに、タカヨシジャパンだけでなく日本とベトナムの間で、より深い関係を築いていくことにも思いをはせる。



ベトナムの人は素朴で純粋です。ベトナムの子が入社してきたらベトナムのご両親にあいさつに行くなど、親代わりのつもりで接しています。残念なことに、今やベトナムでは日本は人気がありません。労働力としてしか見ていないからです。ですから日本に来るのはお金を稼ぎたい子だけという状態になっています。残念すぎます。一人一人は価値があり、かけがえのない存在です。それを示すためには、従業員を仲間として迎えつながりを強めることが大切です。私自身は、あの人のところに行けば楽しくて元気になれると言ってもらえるような「エナジースポット」になれればと思っており、これからもみんなが輝ける会社になれるように、頑張っていきたいですね。


そう語る小百合氏は今までベトナムとのかかわりで築き上げたタカヨシジャパンを、これから地元八尾の中小企業の新たな架け橋に創生するに違いありません。

株式会社タカヨシジャパン
本社:〒581-0844 大阪府八尾市福栄町1丁目19-1
オフィシャルサイト:http://takayoshi-japan.co.jp/


関連記事