2022年05月20日 09:30
ベトナム戦争終結後に国外に逃れた「ボートピープル」と呼ばれるベトナム人が一時滞在する雇用促進住宅が八尾市にあった関係で、ベトナム人が多く住んでいました。会社が忙しかった時期に募集をかけたら、そんなベトナム人の一人が応募してきたのです。彼は小学生の時から日本に住んでいましたが、日本語は十分ではありませんでした。でもすごく真面目で一生懸命仕事を覚えながら、十分に戦力として育ってくれました。またベトナム人コミュニティーには独自のネットワークがあり、彼のつながりなどから、その後もベトナム人が相次いで入社してきてくれたのです。
父は後継者不足や人手不足、技術継承の遅れなどから、このままでは日本のものづくりはダメになると強い危機感を持っていました。ベトナムは国民性が日本人に合っているうえ日本へのあこがれも強く、現地に工場をつくれば人が来てくれて、日本では廃れていった技術も継承していけるのではないかと考えたようです。実際、進出したころは日本より30年は遅れていると感じたベトナムの技術力やサプライチェーンは、その後急速に伸びました。協力会社は100社を数えるまでになり、当初は入手が難しかった材料が容易に手に入るようになるなど、現在では日本とそん色のない製品をつくり出すことができています。今は約20人のベトナム人が働いていますが、日本人は一人もいません。
ベトナムで製造するメリットとして、納期を短くできること、型代のコストが抑えられることなどが挙げられます。さらに、やはりまだ日本に追いつこうという段階ですので、日本にはもうなくなってしまった古い機械を必要とする製品や人手不足で製造が難しくなった製品などもベトナムなら可能だというケースが増えています。そんなニーズから検査のほか最終の加工を日本で行うなどして「海外製造・日本品質」の製品を、ご希望の納期で納めさせていただいています。
小さい頃は町工場に劣等感を抱いていて、友達にも家が町工場だということが言えなかったほどです。きつい・汚い・危険の3Kのうえ、家電とかと違い産業機械に関係する仕事ですので、自分たちが作った製品が見えにくいということもあったのでしょう。1年間の海外留学を経験したあと、外国語大学に進みました。私はなんにでもハマりやすいタイプで、最初は宝塚歌劇。バイトと宝塚に明け暮れていましたが、友達と四季の舞台を見に行って、今度はこちらにハマりこみました。みんなで一体となって何かをやるのが好きでしたので、役者ではなく関西公演本部というところでチケットセールスや会員向けイベント、コマーシャルなど公演運営全般を担当し、「いかに劇場に足を運んでもらうか」を考え続けていましたね。
入社してからは、父のカバン持ちみたいな形で取引先について回りながら、お客さんとの距離が少しずつ近くなっていきました。そして取締役として主要取引先の島津製作所さんが始めた協力工場を巻き込んだ改善活動の会議にも参加するようになった10年目、諏訪貴子さんの講演を聞いたんです。それはものづくりってめっちゃ楽しいし、町工場にこんなにも輝く人がいるんだ。と気付かしてくれました。これがきっかけでタカヨシジャパンの社長になろうと決めました。※①諏訪貴子:1971年東京都生まれ。成蹊大学工学部卒業後、ユニシアジェックス(現・日立オートモティブシステムズ)に入社。98年、当時社長であった父に請われ、ダイヤ精機に入社し出産と同時に退社。32歳(2004年)で父の逝去に伴いダイヤ精機社長に就任、経営再建に着手。さまざまな改革を実施。新しい社風を構築する女性経営者として活躍中。日経BP社より『町工場の娘 ~主婦から社長になった2代目の10年戦争~』を出版。
もともと料理が好きで、女性の自立を支援したいという気もありました。ベトナムのパンを使ったサンドイッチ、バインミーを広めたいですし、とにかくベトナム色を出していきたいと考えています。また、みせるばやおでは、ものづくりの現場を体感してもらう※③ファクトリズムという催しを行っています。そこで合同企業説明会を開催したり、オープンファクトリーに大学生の参加を呼び掛けたりしていこうと考えています。一人でも多くの方にモノづくりの魅力を知ってもらい、人手不足に悩む中小企業に人が訪ねて来るようになることを願っています。さらに、地元のみんなで「モノづくりのまち八尾」を盛り上げたいというのが私の基本にありますので、採用人数が少ない中小企業の新入社員を集めて合同研修を開ければ、職場が違う同期が生まれて、いろんな情報交流の場が出来ると思っています。そのためにもこのカフェを交流の場にしたいんです。
ベトナムの人は素朴で純粋です。ベトナムの子が入社してきたらベトナムのご両親にあいさつに行くなど、親代わりのつもりで接しています。残念なことに、今やベトナムでは日本は人気がありません。労働力としてしか見ていないからです。ですから日本に来るのはお金を稼ぎたい子だけという状態になっています。残念すぎます。一人一人は価値があり、かけがえのない存在です。それを示すためには、従業員を仲間として迎えつながりを強めることが大切です。私自身は、あの人のところに行けば楽しくて元気になれると言ってもらえるような「エナジースポット」になれればと思っており、これからもみんなが輝ける会社になれるように、頑張っていきたいですね。