サクサク香ばしいしょうゆ味。昔ながらの製法で作られている大阪名物「満月ポン」

株式会社松岡製菓 代表取締役 松岡清徳氏


ここは住之江区の北加賀屋。昭和の香り漂う民家が立ち並ぶ住宅地に大阪名物「満月ポン」でお馴染みの株式会社松岡製菓の本社工場がある。
オフィスには製造の様子が一目でわかるモニターが設置されており、工場で人手がいると分かると、すぐさま事務作業をしていたスタッフがオフィスの裏手にある工場に向かう。
昔も今も人の手で「満月ポン」は生まれている。

戦後の食糧難の時代に少しの材料で満腹感が得られる駄菓子として誕生し、ポンせんべい、ポンセンとか塩せんべいと呼ばれていた
小麦粉の生地に圧力をかけて焼き、焼き上がりにポンと膨らむことで、サクサクの食感が生まれる。駄菓子屋を中心に売られていたポンせんべいは関西では古くから親しまれてきた。
生地は小麦粉と塩とわずかな水だけで作られており、味付けは醤油味だ。
時代は変わっても人々に愛され続けている「満月ポン」の製造販売をしている株式会社松岡製菓 代表取締役 松岡清徳氏に話を伺った。


サクサク香ばしいしょうゆ味。昔ながらの製法で作られている大阪名物「満月ポン」

よく油を使っているのと聞かれるんですが、油はまったく使っていません。
生地は昔から小麦粉と塩と水だけで、せんべいの味は醤油と砂糖と調味料のみです。


松岡製菓は、松岡氏で三代目になる。
昭和29年に清水亀次郎氏が清水製菓を立ち上げ、松岡氏の祖父にあたる松岡力王丸氏と共に飴の製造を始めたのが始まりだった。全国各地に駄菓子屋があった時代である。

当時、近くに紡績工場があって、飴はよく売れたようです。工場で働いている方が飴をなめながら仕事していたそうです。


「満月ポン」の原型となるポンせんべいは、いつ頃から製造し始めたのでしょうか?
うちが製造を始めたのは1958年(昭和33年)頃です。紡績工場が別の場所に移転して飴があまり売れなくなったので、代わりのものを探していたとき、駄菓子屋でポンせんべいがよく売れているという話を耳にしたそうです。それで、作り方を教えてもらって始めたと聞いています。


焼いても焼いても売れたポンせんべい


ポンせんべいの機械を考案したのは、神奈川県の工業大学の学生だったそうだ。最初は、1枚ずつ焼く機械だったという。分厚い丸い鉄板に生地の材料となる塩と水を加えた小麦粉を入れ、圧力をかけるとあ~ら不思議、ポンと膨らみサクサクの生地ができる。出来立てのポンせんべいを一斗缶(18リットル)に入れ、配達用の自転車に積んで運んでいたそうだ。焼いても焼いても、よく売れた。
1枚ずつ焼く手焼きではなかなか大量生産ができないので、機械屋さんにポンせんの製造機を制作してもらい、4枚ずつ焼けるようになりました。


サクサク香ばしいしょうゆ味。昔ながらの製法で作られている大阪名物「満月ポン」写真は松岡力王丸 会長


ポンせんべいから満月ポンという名前になったのはいつからですか?
スーパーで袋入りで販売することになったときです。パッケージに名前が要るということで、袋のデザインを考えているときにつけました。名付けたのは初代です。満月ポンの名前になったのは、アポロ宇宙船が月面着陸したとき、1969年頃です。
満月みたいなぽんせんやからと名付けました。


松岡氏は、中学時代からよく工場を手伝ったそうだが、高校卒業後は進学し、ロボットを作ってみたいと思っていたが、高校を卒業する年に先代に頼まれたことがきっかけで後を継ぐことになる。
父1年間だけ手伝うことにしたんです。1年間手伝った後に大学に入ればいいというくらいの軽い気持ちだったんですが、そのままずっと働くことになりました。


1982年に清水亀治郎氏から父・松岡力王丸氏が製造販売を受け継ぎ、社名を清水製菓を松岡製菓と改めた。もっと量産できるようにと、1986年には一度に20枚焼くことができる機械に改良した。
2011年に松岡氏が三代目となり会社を引き継ぎ、松岡力王丸氏は会長になったのだが、80歳を過ぎた今も現役だ。
会長は朝の4時に出勤して昼の1時か2時くらいまで工場に入って満月ポンを焼いています。今も工場にいますよ(笑)。


会長は早起きだ。周囲の心配をよそに毎日休まず出社している。
1枚ずつ焼いていた満月ポンは、4枚ずつになり、8枚ずつになり20枚ずつ焼けるように改良された。醤油を付けるのも手作業でやっていたが、今は噴霧器を使用している。
焼けたものを取り出すのと粉の供給は手作業です。1日に約40万枚焼いています。


サクサク香ばしいしょうゆ味。昔ながらの製法で作られている大阪名物「満月ポン」


やしきたかじんがラジオで取り上げ、飛躍的に急成長


飛躍的に知名度が上がったのは昭和も終わろうとしていた1989年のことである。満月ポンの大ファンだったやしきたかじんさんがラジオで満月ポンを取り上げたことがきっかけで、売れに売れた。たかじんさんが「もっと醤油塗ってぇ~」とリクエストし、「濃い~味!」の満月ポンも誕生した。
やしきたかじんさんのおかげで売上が3倍になりました。あのときは、私も父も夜中の12時過ぎまで焼いていましたね。


サクサク香ばしいしょうゆ味。昔ながらの製法で作られている大阪名物「満月ポン」


満月ポンを関西から全国へ


松岡氏が会社を引き継いだのは2011年である。関西では有名になった満月ポンではあるが、まだまだ関東の認知度は低い。素朴な材料と昔ながらの製法は守りながらも「満月ポン」の価値を高めたいと考えている。
「満月ポン」の味の決め手となる醤油を今までは1種類だったのを6種類をブレンドにグレードアップした。小麦粉も産地やメーカーによって異なるのため5種類の小麦粉をブレンドしている。インターネットでの販売にも力を入れており、売り上げは年々増加している。

海外への販売も視野に入れているのでしょうか?
以前、アメリカに住む日本人の方に満月ポンを送ってほしいと頼まれたことがありました。運賃はかなりかかりましたがそれでも食べたいとおっしゃったんで送らせてもらいました。
このときに海外でもいけるんじゃないかと思うようになりました。業者経由で今は、アメリカの西海岸、香港、台湾、マレーシアの伊勢丹店で販売しています。


知名度をもっと上げるために今までの量産品に加えて付加価値のあるものを考えていきたいと日々、試行錯誤しているそうだ。
手焼きであるがゆえに、不揃いもある。それが逆に商品化にもつながっている。
満月ポンは、凹凸のある焼き型でぎゅっと圧力をかけて膨らませる。時には焼き型からプッシューと はみ出てしまったり、薄っぺらいくなったり、ぐにゃんと曲がる。いわゆる規格外商品から生まれたのが、「ぷっしゅん満月ポン」だ。
お客さんの要望で誕生した。
同様に割れてしまったものが欲しいという声もあり、満月ポンのカケラの寄せ集めたこなごな「粉もん満月ポン」も商品化した。

これからは、高付加価値のついた商品も考えています。満月ポンはムスリムフレンドリー(※1)食品で、ビーガン(※2)対応食品なんです。漢方系だったり、体にいい満月ポンを考案できたらいいですね。
そのためにも工場を増設して売上を伸ばしていきたいです。
(※1)ムスリムフレンドリー:製品やサービスがムスリムの信仰上の規範に配慮していることを意味する言葉。
(※2)ビーガン:完全菜食主義者のこと。ビーガンは牛肉をはじめ、豚肉、鶏肉、魚介類だけでなく卵や乳製品、はちみつ、ゼラチンなど動物性食品をいっさい口にしない人のことを言う。



大阪名物、大阪育ちの満月ポンにはまだまだ可能性が数多く残されていそうだ。
どんな満月ポンが「ポン」と飛び出してくるのか楽しみである。

サクサク香ばしいしょうゆ味。昔ながらの製法で作られている大阪名物「満月ポン」


株式会社松岡製菓
大阪本社:大阪市住之江区東加賀屋2丁目13-22
オフィシャルサイト:https://www.mangetupon.co.jp/


<著者後記> 
和歌山県田辺市で、ポンせんべいを焼いているちょっとダンディーなおじさんがいました。細い路地の長屋の軒先がポンせんの作業場でした。我が家の2階の真下がおじさんの作業場だったので窓を開けるといつもええ香りが入ってきました。黒光りした長い柄のついた丸い鉄板に、小さじ山盛り1杯の小麦粉を入れ、薄く延ばして上からプシューと圧力をかけて10数秒くらいで焼きあがるのが、不思議で不思議でならなかったもんです。「なんか秘密の膨らますやつが入っているのかな」とずっと思っていました。一枚一枚焼いては乾かし、刷毛で醤油をぬってから乾燥。出来立てのぽんセンはおばちゃんが一斗缶に入れて駄菓子屋に運んでいました。ごくごくたまに、おじさんが気が向いたときだけ売ってくれる水あめを挟んだポンせんは、デリシャスでした。駄菓子屋にも売っていません。お店でだけ買える秘密のものでした。割りばしに水あめをくるくるっと巻いて2枚のポンせんで挟んで「はい」と手渡ししてもらい、路地で水あめを落とさないように慎重に食べないといけません。醤油味のポンせんと水あめの甘さがなんともいいバランスでした。確か1960年~1970年代後半くらいまでずっと営業していました。丁寧に時間をかけて焼くポンせんは、確か2枚で10円くらいだったと記憶しています。背筋をピンと伸ばして黙々と焼いている姿は今でも目に焼き付いています。

「おっちゃん、ポンせん売ってぇ!」
「まだ乾いてへんから後でおいで!」
「また、くるわ!」


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