日本の祭りを彩るちょうちんを作り続けて100年!老舗ちょうちん屋の描く未来とは

有限会社 秋村泰平堂 / 代表取締役 秋村敬三 氏

日本の夏の風物詩といえば、夏祭り、お祭りと言えば、浴衣に屋台、そして神社の境内を灯すちょうちんの光景を思い描く人が多いのではないでしょうか。

日本のちょうちんは、大きく分けると祭りちょうちん盆ちょうちんの2種類があります。自立しており先祖供養に用いられるのが盆ちょうちん、そして上から吊り下げて飾るかたちが多く近年では飲食店の看板などとしてもよく使われているのが祭りちょうちんです。

そんな室町時代から続くちょうちん文化を受け継ぎ、手仕事による祭りちょうちんの製造・加工、そして卸までを担う有限会社秋村泰平堂は大阪の中心地で100年にわたる商いを続けてきました。「大阪でちょうちんといえば秋村泰平堂」と言われる4代目社長 秋村敬三氏は次のように語ります。

「『ちょうちん持ち』という言葉があまりよいイメージを持たないように、ちょうちん屋という仕事はどこか低く見られがちな仕事かもしれません。ですが自分は古くから愛されてきた日本文化を受け継ぐこの『伝統産業』をたいへん誇りに思っているんです」

新型コロナの影響を受けた昨今、祭りの多くは中止を余儀なくされ、私たちがちょうちんを見かける機会は残念ながら激減してしまいました。そんな中で、今年100周年を迎えた老舗ちょうちん屋の代表である秋村氏に、家業を継ぐまでの経緯やこれから描くちょうちん作りの未来について伺いしました。
日本の祭りを彩るちょうちんを作り続けて100年!老舗ちょうちん屋の描く未来とは

家業であるちょうちん屋の事業継承と新たな時代への対応


秋村氏は幼い頃から秋村氏は幼い頃からちょうちんを作る作業やお客様の対応で忙しくしている父と母の姿を見て育った。ただ次男ということで、家業を継ぐという意識はあまり持っていなかったという。
転機は、20代半ばのこと。当時ある印刷機械のメーカーのエンジニアとして東京で勤務していた秋村氏のもとに母親から一本の電話が入る。
「いきなり『戻ってこうへんか?』と電話がかかってきたので、思わず『なんでなん?』と聞き返しましたね。ただ今思うと、これから先の時代をいち早く察知した母からのSOSだったのだと思います」

当時はパソコンやプリンタがどんどん普及していった頃。ちょうちんの注文にしても、お客様からデジタルデータをもとにした要望がちらほらと、当時3代目社長であった父親では対応が難しい複雑な問合せが増え始めていました。
また先代社長(父)と長兄はそりが合わなかったということもあって、次男である秋村氏に「家業を継がないか」と声がかかりました。ただ秋村氏は実家に戻るにしても、せっかく当時の仕事が面白くなってきたところで、あと数年は東京で働きたいという思いが正直ありました。
「ただ『あんたがやりたいと思った頃にはうちの会社はもう潰れてるかもしれん』と言われ、それは困ると事の重大さがわかり、大阪に戻って家業を継ぐことを決めました」

日本の祭りを彩るちょうちんを作り続けて100年!老舗ちょうちん屋の描く未来とは

日本の祭りちょうちんは一つ一つ木型から手作り。現在では和紙以外にもビニール製のちょうちんも増えているが、書き込む文字には手書きならではの味があり、ひとつひとつに細かなズレが生じる。デジタルで均質な商品があふれている世の中だからこそ、機械でなく手作りしか出来ないちょうちんの魅力をもっとみなさんに伝えていきたいと秋村氏は言う。
「中小企業診断士の人が2014年に調べたデータによると、ちょうちんの製造・加工というのは市場規模が大体89億円なんだそうです。これから急激な成長が見込める産業ではありませんし、職人さんたちの高齢化も進んでいます。課題はたくさんありますが、これから日本のちょうちん文化を守るために様々なチャレンジをしていきたいんです」

コロナ禍を越えて、100周年の秋村泰平堂が描く「これから」


元々ちょうちん屋の需要は季節による変動が激しく、夏祭りの時期に注文が急増する独特な業界。そのため、従来は冬の間に無地のちょうちんを大量に作っておいて、夏の出荷前に職人たちがまとめて文字を書き加えていくのが普通でした。
「秋村泰平堂のメンバーは30代~70代まで幅広い年齢層なんですが、外注の職人さんたちは高齢の方がほとんど。また新型コロナの影響で仕事が激減、職人さん達も元気がなくなってきています。このままその職人さん達に頼りきるのは誠に忍びないんです。だからその高い技術や経験を継承し、働きやすい環境を整え新たな人材を育てていく必要を強く感じています」

日本の祭りを彩るちょうちんを作り続けて100年!老舗ちょうちん屋の描く未来とは

秋村氏は、ちょうちん文化を守り継いでいくために様々なチャレンジを試みてきた。
たとえば、過去にはBEAMS JAPAN(ビームス ジャパン)の店舗ちょうちんを作ったり、
アートアクアリウムの舞台装置としてちょうちんを提供し、
和の文化に興味を持つデザイナーとのコラボです。

日本の祭りを彩るちょうちんを作り続けて100年!老舗ちょうちん屋の描く未来とは

ただ、秋村氏はちょうちんをアート作品にしたいとは考えておられません。飾って楽しむ「伝統工芸」ではなく、日常使いをして頂く中、心躍るハレの日を感じてもらうための「さりげない日常のちょうちん」。それが秋村泰平堂の考えるちょうちん文化の目指すところなんです。
「海外展開なども勧めて頂くことも多いのですが、やはりちょうちん文化は日本の風景に根付いているものだと思うんです。中国から入ってきた篭型のちょうちんが折り畳めるように工夫され、室町後期に広まっていったのが日本のちょうちんの由来。だからこそ、まずは国内でちょうちんの新たな価値を示したいと考えています」

日本の祭りを彩るちょうちんを作り続けて100年!老舗ちょうちん屋の描く未来とは

コロナ禍の影響を受けて、お祭りの舞台となる神社も厳しい情勢が続いています。昔ながらの催しができなくなり、無人の社も増えていく一方。だからこそ、秋村氏は今自分たちがちょうちん作りをやめてしまったら日本の昔ながらのお祭りの景色が消えていくという危機感を強く持っている。
「コロナ禍の今は種まきの時期と考えています。実は先日地方の神社の方々にちょうちん関連の案内DMを送ると、宛先不明で戻ってくる神社がとても多かったんです。それでもコロナが収束し『そろそろ祭りを再開しようか』というとき「確か大阪にちょうちんを作っている秋村・・というところがあったなあ」って思い出して頂けたらと思ってやっています」

秋村泰平堂は今年100周年を迎えられます。先行きに不安を感じながらも、未来の子どもたちにちょうちん文化を引き継ぐために、とにかくチャレンジを続けていきたいと秋村氏は言う。
「現在お取引をいただいてます96歳の文字書き職人さんに以前お話を伺ったことがあるのですが、生活必需品ではないちょうちんの文字書きでは昔はとても生活できなかったとおっしゃるんですね。そう考えると今自分達がちょうちん屋として食べていけるてこと自体、とてもありがたいなあと感謝してるんです」

まずは目の前のお客様を大切にし小さな工夫を日々コツコツ重ねながら、次の100年に向けて老舗ちょうちん屋秋村泰平堂の挑戦はこれからも続いていきます。


有限会社 秋村泰平堂
本社:〒542-0064 大阪市中央区上汐1-1-11
オフィシャルサイト:https://chochin.net/


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