木彫りの可能性を追求し続け、だんじりから世界に舞台を広げる木彫り職人

株式会社木彫前田工房 / 代表取締役 前田暁彦 氏

                                                                

堺市出身で祭り好き、だんじり好きが高じてだんじり職人になった株式会社木彫前田工房代表取締役 前田暁彦氏。10年にわたる木彫り修行を経て2008年に独立。精緻を極めた木彫りの美しさと魅力をより多くの人に知ってもらおうとさまざまな木彫り彫刻に取り組んできたが、拠点を岸和田から大阪市北区の大阪天満宮前に移して、その世界は一気に広がった。一時のだんじりブームが去った中、伝統工芸を守らなければならないと考える人たちとのつながりが広がり、木彫りを活かす新しい仕事を次々に開拓していったのだ。そして今、視線は海外に向けられている。「木彫りの可能性は無限なり」を社訓とする前田氏は、ヨーロッパやアメリカをステージに、木彫りの可能性の拡大に向けて、新たなチャレンジを続ける。

木彫りの可能性を追求し続け、だんじりから世界に舞台を広げる木彫り職人


だんじり職人の夢があきらめきれず、大卒で入門


前田氏が岸和田で第一人者の親方に師事したのは21歳の時。実は、高校卒業時にだんじり職人になろうと考えたが、両親に反対されて大学へ進学。卒業を前に商社の営業に内定し、社員研修に行った。転勤なし、まつりの時は休めるという約束のうえでの内定だったが、研修2日目に、やはり自分のやりたいこととは違うと思ってやめた。今度は両親も反対せず、大学時代に入っていた地元のだんじりの新調委員会の委員長だった会社社長の紹介で、親方の門をたたいた。

弟子入りを頼みに行ったとき、「いつから来られる?」と聞かれ、「明日から」と答えたのが決め手だったようです。このとき「来月」とか「卒業後」と答えていたら、今の自分はなかったと思います。紹介してくれた社長さんと親方の間では「3年間」という約束があったそうです。それで知って、3年で結果を出さないとクビになると、必死で修行に打ち込みました。勤務時間は朝8時から18時まででしたが、いつも20時までは残業。その後、23時半まで自主的にノミを握り、帰りはいつも終電という生活を続けました。

木彫りの可能性を追求し続け、だんじりから世界に舞台を広げる木彫り職人


求められるデッサン力。下絵を描いた時点で完成した姿が分かる


意外なことだが、彫り師にとっては絵が大事だという。初めに板の上に絵を描いて彫っていくが、彫り進めると絵が消える。そこにまた絵を描いて彫っていくため、デッサン力がないと形が狂ってくるのだ。親方からは「絵の勉強をしろ」と最初に言われ、1年余、デッサンを習いに通った。

木彫りの可能性を追求し続け、だんじりから世界に舞台を広げる木彫り職人

10年修行していれば彫る力は付きます。今では下絵を描いた時に完成した姿が分かります。彫り師が一通りのことができるようになるのに4年かかり、独立までだと10年はかかります。親方はスピードを大事にするんですね。言葉は悪いですが、手が抜ける所は抜いてもいいというのが親方の考え方で、徹底して親方の真似をしました。もちろん、外から見える部分はしっかり時間をかけて仕上げます。また、だんじりは何年もたつうちにその部材が折れることがあり、修繕も大事な仕事になります。その際、絵を変えざるを得ないのですが、違和感なく仕上げるテクニックも身に付けていきました。


だんじりブームの終焉。伝統技術を残すため、新たな仕事の発掘に力注ぐ


独立後も岸和田を拠点に、親方の仕事を手伝う一方、余った時間で独自の彫り物を作って営業に駆け回った。というのも、だんじりの新調が相次いだ絶頂期が終わりを迎えようとしていたからだ。独立したころは最後のだんじりブームと呼べる時期。当時はまだ10年後の仕事も入っていたが、早晩だんじりの仕事は減っていくことが目に見えていた。独立に踏み切ったのも、1日でも早く独立したいと思っていたことに加え、まだだんじりの仕事が残っている今しかないと判断したからだ。

木彫りの可能性を追求し続け、だんじりから世界に舞台を広げる木彫り職人

予測していた通り、現在では2年先までの仕事しかありません。今後は、修理を除いてだんじりの仕事はなくなるでしょう。その一つの理由に、日本の伝統工芸のはずが、海外で安くできるようになったこともあります。
だんじりの技術は後世に残さなくてはいけないと思っていますし、そのためには若い彫り師も育てなければなりません。しかし、今は昔と違ってだんじりだけでは食っていけない時代になってしまいました。ですから、だんじりの技術を生かした新たな仕事を作り出すことに力を注ぎました。その思いは、大阪に拠点を移してから格段に強まりました。岸和田では彫り師は職人だという考えしかなかったのですが、自分が彫った作品に対しての今までとは違う周りの反応・評価から、彫りは特殊能力だということに気づかされたのです。
 


伝統技術を守るため、精緻を極めただんじりの技術をだんじり以外のシーンに生かす


大阪府内を中心に多くのだんじりややぐら、太鼓台などの新調に彫物責任者などとして携わってきた前田氏に、新しいジャンルの仕事が舞い込んだ一つのきっかけは、2021年日光東照宮分霊三日月神輿(みこし)新調に彫刻担当として参加したことだった。

スポンサーになったのが、千葉県を拠点にホテルやゴルフ場などを展開するホテル三日月(※1)の社長でした。社長も日本の伝統工芸を守っていかないといけないという考え方の持ち主で、運営するホテルの装飾を依頼されました。また星野リゾート(※2)にはそれ以前に自らメールを送り、浪速区に2022年4月にオープン予定だった「OMO7大阪(※3)」で自分の彫り物を使ってくれないかともちかけました。だんじりをそのまま持ち込む企画は、すでにホテルの設計が決まっていた後だったのでサイズが大きく、かないませんでしたが、オープンに向けた企画メンバーに誘っていただき、オープン時に木彫りの実演を行ったほか、木製コースターなどを納入しています。

木彫りの可能性を追求し続け、だんじりから世界に舞台を広げる木彫り職人
このほか、大阪市北区長からの依頼で、万博記念公園の「太陽の塔」を高さ80センチの木製で再現しましたし、モンスターハンターの実物大の刀も作りました。彫り師は木を彫っていないとその技術は衰えていきます。伝統は時代に合わせて変わっていくものだと考えています。だんじりでなくてもだんじりの木彫りの技術を違うものに転化させたらいいのであって、いろいろなところとコラボして新しいものを作っていきたいと考えています。

木彫りの可能性を追求し続け、だんじりから世界に舞台を広げる木彫り職人

木彫りの可能性を追求し続け、だんじりから世界に舞台を広げる木彫り職人

(※1)株式会社ホテル三日月は、千葉県木更津市に「龍宮城スパホテル三日月」、栃木県日光市に「日光きぬ川スパホテル三日月」とともに、ベトナム国ダナン市のヴィラを含む5ホテル1113室を所有するホテル運営会社。
(※2)株式会社星野リゾートとは、本社を長野県北佐久郡軽井沢町におく総合リゾート運営会社。
(※3)「OMO7大阪(おもせぶんおおさか)株式会社星野リゾートが
2022年4月22日 オープンしたなにわラグジュアリーを体感できるホテル。新世界・通天閣から徒歩5分で大阪観光に最適な立地。



舞台はオランダへ、ロスへ。木彫りの新たな可能性の広がりにワクワク


そのコラボの対象が、世界に広がった。「家業イノベーション・ラボ(※4)」が「JAPAN BRAND FESTIVAL(※5)」とタイアップして行った「欧州進出支援プログラム(※6)」で、応募者の中から前田氏がオランダ人デザイナーとの協業権を獲得したのだ。さらに、米国ロサンゼルスでは茶室を飾る彫刻の仕事も予定されている。

木彫りの可能性を追求し続け、だんじりから世界に舞台を広げる木彫り職人

(※4)家業イノベーション・ラボは家業を持ち、その家業を成長させるためにイノベーションを起こそうとする次世代の挑戦者たちを応援する活動です。彼らが家業の伝統を守りつつも、時代に合わせた自分らしいイノベーションを実現するための伴走支援を行います。
(※5)JAPAN BRAND FESTIVAL(ジャパンブランドフェスティバル)は、組織や立場を超えて人をつなぎ、それぞれのチャレンジを発展させるためのプラットフォームです。オン・オフラインでのイベントや展示会、商談会、Webサイトを通して、日本発のプロダクトやサービスの活動を支援します。
(※6)欧州進出支援プログラムは海外デザイナーや現地生活者の視点を介して海外展開における立脚点となる自社の提供価値を“再発明”(=再定義)し、コンセプトのアップデートや商品・サービスのアイデア立案を支援しながら、海外展開の第一歩を踏み出す機会を提供します。

オランダ人のデザイナーは「前田さんの木彫りはアートだ。美術館で作品展をしてみてもいいかも」と言うんです。欧米の人にとっては、職人かアーチストかといった分類は無用で、いいものはすぐに評価されるんです。オランダは日本文化への関心も高く、新たな道を見出せるのではないかと期待をしています。これまで作品展や公募展などを通じて、アラブ首長国連邦やクロアチア・スペイン・フランス・ベトナムとつながりがありましたが、今後はまずオランダを起点にヨーロッパで広く活動していきます。どんな仕事ができるかほんと楽しみです。


若手の育成とともに、さまざまな伝統工芸の復活に取り組んでいきたい


若手の育成にも力を入れている。仕事の拡大に打ち込むのはその一環であり、その狙いもあって、大阪市内へ移るとともに会社を法人化した。

木彫りの可能性を追求し続け、だんじりから世界に舞台を広げる木彫り職人

僕は仕事にプラスαをつけることを意識してきました。それは驚きを与えることです。時には遊び心も交えて。素人がイメージできない仕事がするのがプロ。お客様の喜ぶ顔が次につながります。だんじりブームが下火になるにつれ木彫り職人になりたいという若い子は減っていますが、仕事のやりようによっては自分なりの楽しみを見つけられますし、手に職をもつことは自信につながります。僕は将来、伝統工芸のコンサルタントになって、疲弊している伝統の復活を進めたいと考えています。伝統工芸の職人は、頭は固いですが、職人目線のアドバイスが出来るのでは、私自身職人であることが、強みになると思いますし、いろんな経験を積んでさまざまなジャンルの人とつながりを持つことで、それぞれの伝統文化の可能性を引き上げられたらいいなと思っています。

そう話す前田氏は将来への道筋を、しっかりと彫り刻んでいる。

株式会社木彫前田工房
本社:大阪市北区天神橋一丁目14-5丸宮ビル303
オフィシャルサイト:https://kiborimaedakoubou.com/






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