地域を愛し愛される 革新的な和菓子店

株式会社菓匠庵白穂 / 代表取締役 新澤貴之(しんざわたかゆき) 氏

平日の朝というのにひっきりなしにお客さんがやってくる和菓子店がある。東大阪市若江岩田商店街の一角にある「菓匠庵白穂」だ。店の前には「あんどーなつ」の幟がたなびいている。年間約50万個は売れるという人気商品。和菓子の枠にとらわれず、伝統の技法に新しい感性を取り入れ、飛躍を続けている注目の会社、それが株式会社菓匠庵白穂である。代表取締役 新澤貴之氏が二代目になったのは奇しくも19歳の夏だった。

地域を愛し愛される 革新的な和菓子店

高校を卒業して5年契約で千葉の和菓子店に修行に出ていたのですが、19歳の夏に父が急死し、実家に戻りました。父が20年近く商いをしてきた店なんで、母と相談、店は継続させようと決めました。決断を早くしないと店の家賃もあることなので、ほどなく再オープンしました。といいましても和菓子修行もそこそこで戻ったので、作ることができる田舎饅頭や羽二重餅とかシンプルな和菓子だけ作って並べました。当時は和菓子業界の慣わしも知らなかったので怖さもなく、また自分が無知だということも気付かなかったからできたんだと思います。

当時和菓子修行を開始して2年も経たない時である。それでも二代目の再オープンを喜んでくれた地元のお客さんが行列を作ってくれた。

すごく嬉しかったです。その時初めて父のやっていたことを体感することができ、それからはこの店は潰せないという強い思いで、毎日夜遅くまで和菓子の勉強を始めました。和菓子を食べておいしければ、原材料表示を見て材料屋さんに電話したり、和菓子の勉強に行きたいといえば、母は「行っといで、好きなようにしたらいい」と背中を押してくれました。

地域を愛し愛される 革新的な和菓子店

父親は何冊もレシピのようなノートを残していたが、文字が消えていたり、材料の数字がはっきりしていなかったりと役には立たなかったという。つまり結局は自分自身で学ぶ以外方法はなかったのだ。ただそれが功を奏しておいしいものを作りたいという思いと熱意で学んでいった新澤氏の技術は確実に向上していくこととなる。ところが・・・・
当時は回りの和菓子屋ではあまりやっていなかった自家製の餡をすでに炊いていましたし、確実においしいものが作れるようになってきて品数も増ました。でも何故か売り上げは下がりました。実は自分の経営方法が間違っていたんです。


おいしいものだけ作ればいいのではなく、客さんの目線に立つ経営へ



いくらおいしいものを作ることができても売れなければ商売が立ち行かない。24歳で結婚、守るべき家族もでき、責任も増えた。それまでは「おいしいものだけ作ればいい」とがむしゃらに和菓子の勉強をしてきた新澤氏だったが、売り上げが上がらない理由は、経営的な視線で店の運営をせず、つまりはお客さんの目線に立っていないことだと気づく。それからは今までは気にしていなかったパッケージの見直しを始め、プライスカード・POP・しおり作りと、和菓子を分かりやすくお客さんに伝えるための工夫をし、徹底的に今までのやり方を見直すことにした。

やっと、自分自身が何もわかってなかったとに気が付いたんです。父の代から仕入れていた砂糖も変えました。メーカーに行って納得するまで話を聞き、サンプルをもらったり、現地の畑にも出向きもしました。材料を仕入れるところは今では10社ほどあります。2~3社が一般的なんですけど、、、


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新澤氏は、知らないことを知るのが面白かったという。和菓子の種類に応じて小豆(あずき)の仕入れ先も変えている。例えば、こしあんの小豆は北海道から、粒あんは丹波からである。丹波の場合は、当初仕入れていた畑を見に行ったときにあまりの煩雑さに、きちんと育てている畑を探して、現在取引の兵庫県丹波市春日の大納言小豆の畑を見つけ出した。品質を保持するためには小豆のDNA鑑定まで行う徹底ぶりだ。一口にあんこといっても和菓子の種類によって硬さも糖度も異なる。白穂では「こしあん」だけでも6種類。「黄味あん」「抹茶あん」等の加工餡を含めると約30種類ものあんになる。そして父親が残してくれた店をいつか大きくしたい。30歳までにはこんなことをしたいという目標を書いたカレンダーを作っていた新澤氏は、29歳の時に大きな転機を迎える。

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新店を移転オープンで一気に売り上げを伸ばす



2008年に若江岩田本店を現在の場所に移転し、一気に売り上げが伸びた。29歳の時のことだ。新店舗には常時30種類から40種類の和菓子を並べた。看板商品は父親の代からの「若江城もなか」(サクサクの皮に自慢の自家製あんを食べる直前に合わせて頂く手作り「もなか」)だ。しかし、自分自身が考案した名物がまだ店にはなかった。そこで試行錯誤の末に誕生したのが商品名に店名をつけた「白穂焼き」である。

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薄焼きのどら焼き皮で、粒あんとこしあんの二種類にしました。こしあんに合う皮にするために食感をソフトにしました。店の名前「白穂」をなかなか覚えてもらっていないので、店名を商品にも入れて「白穂焼き」と名付けました。

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店名を看板商品に入れたのも新澤氏のブランディング戦略のひとつだ。新店にはカフェスペースも設置。それは地元の方にくつろいで和菓子を楽しんでもらうため。また今までの数多くの受賞歴や高い工芸技術が評価され、38歳の時に大阪では大変名誉ななにわの名工(※1)を受賞、これはなんと和生菓子製造技術者では史上最年少で選出となる。
またこれからは成長速度を加速させるためにギフト用の看板商品だけではなく、毎日食べたくなるお菓子の目玉商品がさらに必要だと気付いたんです。それには、誰もが馴染みがあるものがいい。模索がを始めました。

(※1) なにわの名工(大阪府優秀技能者表彰):極めて優秀な技能を有し、その技能が府内において第一人者と認められる35歳以上の技能者を表彰する。

和菓子屋で油で揚げたものはない?毎日のおやつになる「あんどーなつ」の誕生



毎日食べたくなるお菓子は、誰もが馴染みのある知っている商品であるべき、新澤氏の模索は続いた。
いろいろ考えました。豆大福はどうだろう、夏場は食べにくいし、1日1000個も作ることができそうにない。かりんとう饅頭も考えたんですが、固い。関西はやわらかい物が好きなんです。和菓子屋には油で揚げたものはない。それなら和菓子屋が作る「あんどーなつ」をやってみようと決め、材料・味・パッケージと商品化するまで徹底的に吟味をしました。


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こうして誕生した「あんどーなつ」は、毎日売り切れる大ヒット商品になった。生地には沖縄・波照間島産の黒糖を使用しており、コクのある甘さであるが、餡にはてんさい糖を使っており「さすが和菓子屋さんのあん」と、いいたくなるワンランク上のあんである。糖度が抑えられているので、1個食べた後に、また1個食べたくなる。そして「あんどーなつ」の専門店が芦屋にOPENした。これは、全く異業種のアパレル会社から「あんどーなつ」のお店をやらせてほしいとの相談が入り、菓匠庵「白穂」新澤氏プロデュースの日本初和菓子屋のあんどーなつ専門店が誕生した。FC(フランチャイズチェーン)店の第一号「あんどーなつ専門店 あんでぃ(AN●D)」(※2)である。

(※2)あんどーなつ専門店 AN●D あんでぃ:菓匠庵「白穂」新澤店主プロデュース【日本初和菓子屋のあんどーなつ専門店】

食べログ あんどーなつ専門店 あんでぃ


これから新たにやりたいのは和菓子業界の未来への橋渡し



現在菓匠庵白穂では、年間100種類以上のお菓子を作っている。店内はお客様が1個からいろんな種類のものを購入できるようになっており、店内を見渡しながら自由に選べるのが楽しい空間。まるで和菓子のワンダーランドのようだ。次々に革新的な展開をしている新澤氏に今後の展望を聞いた。

菓匠庵白穂は、東大阪からは出ないと決めています。それは東大阪ブランドとして、この地域でスタッフを守りながら、毎年地道に成長する会社にして行きたいからです。そして今まで自分が経験してきたことや知識を伝えることで、誰かの役に立てればと考えています。これから新しくやりたいのは、例えば異業種の方と手を組んでビジネスをすること。和菓子のマーケットを拡げたいですし、和菓子職人の仕事をもっと多くの人に知ってもらい「和菓子職人はカッコいい」と思ってもらいたいんです。

地域を愛し愛される 革新的な和菓子店

菓匠庵白穂の経営理念は「和菓子で繋ぐ未来の笑顔」。そこには地域に貢献し、関わる人が少しでも幸せになってほしいという願いが込められている。新澤氏は和菓子の業界に入ったことで自分の人生が楽しくなり、和菓子を作ることで人との出会いがあり、誰かの役に立てることがとても嬉しいという。コンサルタントとしての仕事が増えてきたこともあり、2022年4月には和菓子ソリューション事業として新会社「株式会社SHIRAHO PLUS」を立ち上げた。
それは新澤氏が持っている知識・技術・経験を世の中に広め、和菓子職人になることがとてもかっこよく、みんなが憧れるものにしてゆく、つまりはそれが「和菓子で繋ぐ未来の笑顔」を目指し続ける姿なのだ。


株式会社 菓匠庵白穂
本社:東大阪市若江本町1-4-21
オフィシャルサイト:https://www.shiraho.biz/

社長インタビューとは?

社長インタビューは、大阪で活躍する企業の経営者の思いやビジョン・成功の秘訣などを掘り下げる人気コンテンツです。 商品誕生および事業開始秘話から現在までの道標や、経営で特に意識をされているところ、これからの成長において求める人材… 様々な視点から、企業様の魅力を発信致します。現在、大阪府下の中小企業様を120社以上の取材を通じ、「大阪 社長」「大阪 社長インタビュー」といったビッグワードで検索上位表示の実績があります。取材のお申し込みについては、下記よりお問合せください。


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