ハレの日を彩る堺のステーキハウス、二代目社長が次代につなぐ100周年のバトン







株式会社南海グリル / 代表取締役 西浦結香 氏



ハレの日を彩る堺のステーキハウス、二代目社長が次代につなぐ100周年のバトン

記念日やお祝い、なにかいいことがあった日。そんなハレの日に食事をする場所として、南海グリルは地元である堺エリアの人々を中心に、幅広く愛されている。その創業は、1952(昭和27)年。現代表取締役である西浦結香氏の父・博章氏が、洋食店として堺市に開業した。

コックさんを何人か雇いまして、父がお店を始めました。当時の周りは工業地帯で大手の企業さんもあり、そこにお弁当を配達していたりもしましたね。そうしながらも父は、もっとお客様に喜んでもらえることがないかと、ずっと考えていたんです。そのころミナミに鉄板焼きのお店が1軒ありまして、そこに行って『これや!』と。お客様の前で会話しながら調理するのは、いい演出になる。それで鉄板焼きの専門店に業態を変更したんです。洋食店の開業から、5~6年が経ったころですね


ハレの日を彩る堺のステーキハウス、二代目社長が次代につなぐ100周年のバトン

創業者は料理の腕一本で店を開いたのかと思えば、そうではないそうだ。

父は包丁すら、使えない人でした。調理人ではなく、真の経営者。マネジメントする力、先を読む力がありました。それにお客様に心から喜んでもらいたい、自分が損をしても『お客様にとっていいことなら、それでエエやん』という人だったんです。そういう相手を気遣う心を持っていたから、長くやってこられたんだと思います

先代は多才な人物で店舗経営のマネジメントだけではなく、店の建物の設計や内装も自分で考えたのだという。
建物を作るのがすごく好きで、円形の鉄板をどのように作って配置するかとか、いろいろと考えていましたね。椅子の幅も普通は70cmですが、優雅な気分を味わっていただけるよう90cmに。また、お客様が店内をどういう動線で動くのか。コックが厨房に入ったら、どういうふうに動くのかといったことまで考えて作っていました。ただおいしい料理を食べていただくだけではなく、建物も料理のひとつだと捉え、食べる空間も含めて演出するもの、という考え方でした

ハレの日を彩る堺のステーキハウス、二代目社長が次代につなぐ100周年のバトン

南海グリルは、複数の店舗を構える。そのなかで中核となる中店は、飛騨高山から商家を移築した三角屋根の合掌造り風の外観に、内観はドイツのテイストを取り入れたヨーロッパ調に。周辺にある店舗も、どれひとつとして同じ外観、内観のものはない。


継ぐつもりがなかった家業に自ら入社
待っていたのは、父との激しい衝突



父が作った店内で感慨深く話す西浦氏だが、もともとは家業を継ぐ考えはなく、獣医を目指していた。先代は妹とのふたり姉妹のうち、どちらかの婿が会社に入ってくれればと漠然と考えていたそうだ。それがなぜ、ステーキハウスの二代目へと道を切り替えたのか。

獣医になるつもりで学校を出て、何年かはインターンをやっていました。修業に行った動物病院は、動物は言葉を話さないから、飼い主さんへの問診をしっかりとやりなさいという方針だったんです。それに従って飼い主さんの話をよく聞いているうちに、これはサービス業ではないか。父がやってきたことと、同じだと思うようになったんです。それが、きっかけですね。私には、父と同じ血が流れてるんやって。格好良く言えば、ですけど(笑)。それで自分から進んで、会社に入らせてくださいと言いました

そこからは決して、すんなりとは行かなかった。一代で築き上げた創業者と、跡継ぎとはいえまったくの新人。衝突は日常茶飯事で、親子であるがゆえ、ぶつかり合っても遠慮がない。

父は自分がなにか言えば、私は『はい』と言って聞くものだと思っていたのでしょうね。だけどそのころの私はすごく未熟でしたし、頭でっかちでつねに噛み付いていました。私は反抗することが自分の仕事みたいに、誤解していたんですよ。父が言うことに『それは古い』などと思っていましたが、今思うと父がいちばん社員のことを考えていたし、お客様のことも考えていたと思います。今でも私は、まったく及ばないです。喧嘩しているときは全然、そんなふうに思えませんでしたけど(笑)

父との衝突が、10年以上も続いたある日。社員のひと言で、西浦氏の心を覆っていた固い壁が崩れ始めた。

その当時、父は会長で私は社長になっていました。父と喧嘩すると、私の機嫌が悪くなるじゃないですか。それで社員のひとりが、こう言ってきてくれたんです。『みんな社長の顔を見て、雰囲気を見て仕事してますよ』って。もう、ハッとなりました。みんなに、そんな思いをさせていたのかと。それからは自分からみんなに積極的に挨拶をするようになっていきましたし、だれの話もまずは聞こうという姿勢になりました。父との対応の仕方も時間はかかりましたけが、まずはやってみようとなって、少しずつ変わっていきましたね

先代は5年前に他界。大きな存在を失い、経営への考え方や取り組み方に変化はあったかと訊ねた。

ハレの日を彩る堺のステーキハウス、二代目社長が次代につなぐ100周年のバトン

基本的なことは、変わらないですね。お客様のために社員のために、社員のためにお客様のために。その行ったり来たりをやっているのは、ずっと同じです。それとは別に、私は鉄板焼きステーキは世界に誇る日本料理だと思っていますから、その文化を伝えることは自分の役割だと思っています


70余年の歴史の上に成り立っているがゆえ
変えずに守っていくべきものがある



70余年の歴史があるゆえ当然、変えずに守っていくべきものがある。ひとつは先代が築き上げた、「お客様のために」の精神。

初めて来られたお客様でも、お馴染みさんみたいに、どこか懐かしくて安心する。そういう、お店であり続けないといけない。これほどの歴史があるだけに、余計にそう思います。子どものころに親に連れてこられた子が、自分の子どもを連れて来られることもよくあります。4世代にわたって来ていただいてる、お客様もいらっしゃいますからね。そういう意味でも、南海グリルの根本にあるお客様を大事にする精神は、変わらずに守り続けないといけないと思っています


ハレの日を彩る堺のステーキハウス、二代目社長が次代につなぐ100周年のバトン

もうひとつは提供する牛肉に、宮崎牛を使用すること。今からおよそ40年前に、宮崎牛のブランド化を目指していた当時の松形宮崎県知事から直々の依頼が先代に届いた。その味に納得したのはもちろん、知事の熱い姿勢に共鳴し、南海グリルは宮崎牛を使用することに決めた。

ハレの日を彩る堺のステーキハウス、二代目社長が次代につなぐ100周年のバトン

宮崎牛は松坂とか神戸、近江なんかの元牛なんですよ。仔牛が宮崎で作られていて、それが競りにかかり、それぞれの産地で育てられるんです。松形知事は宮崎牛というブランドを持つことにすごく熱心で、父は自分も熱い人だから、そういう人が好きなんですね。味にも人にも惚れて、南海グリルは宮崎牛で行くと決めたんです。世界に羽ばたく宮崎牛と謳っていて、世界的にも非常に評価が高いんですよ。肉質はきめ細やかで、味ももちろんいい。ハレの日に食べるなら宮崎牛と、自信を持ってお勧めできます

その縁もあって中店、東店と同じ敷地内に、2011年に宮崎県のアンテナショップ「堺みやざき館『KONNE』」をオープン。宮崎牛を始め、南海グリルオリジナルのローストビーフや手作りハンバーグを販売するほか、季節の野菜や果物なども豊富に取り扱う。日常の買い物から進物用の全国配送まで、幅広く利用できる。

ハレの日を彩る堺のステーキハウス、二代目社長が次代につなぐ100周年のバトン


三代目に次のバトンを渡すために
今の自らがやるべきは人材育成



そんな南海グリルは堺の地で歴史を積み重ねてきて、100年というところも視界に入ってきた。西浦氏の娘が後継者となるべく、すでに入社している。順調に行けば彼女の代で、創業100周年を迎えることだろう。

娘は自分からやりたいと言って入社してきてくれたので、上手く継承していきたいと考えています。やり方は時代によって変わってもいいと思いますが、心というか、南海グリルの精神は変えてはいけない。お客様を大切にする。そして、社員を大切にする。このふたつは、絶対に変えてはいけないことです

父から受け継いだバトンを娘に渡すまでのあいだに、やっておくべきは人材育成だと西浦氏。それは自身の使命であると捉えている。

人が成長するために大事なのは、素直であること。私は、そう思っています。素直を間違って受け止めると、指示待ちになりかねません。そうではなく、自分がどうやれるか。それは、なんのためにやるのかを考えることが必要。失敗してもいいんです。なのにみんな、失敗しませんから。失敗するなら、やらないほうがいいと思っているのかもしれません。でもそれって、本当に面白いのかと思うんです

なにごとにも一生懸命に取り組み、チャレンジしていくこと。それが成長につながると力を込めて語る。その言葉が帯びた熱こそが、西浦氏の社員への思いを表している。

やってみてアカンかったら助けを求めたらいいし、一生懸命にやっていたら必ず、だれかが助けてくれるんですよ。だからとにかく、一生懸命やってみること。それはなんのためかと言えば、お客様のためだし、それから社員のため。ひいては、自分のためなんですよ。なにごとにもチャレンジしていくのは、本当に自分の成長につながる。そのうえで私はみんなに『後悔はせずに、反省はしていこう』と言っています。振り返る必要は、あると思うんですよ。そこで間違いや失敗に気付いたら、次に活かせる。でも立ち止まって後悔していたら、前には進めません。失敗したりアカンことをしたら、すぐに謝って、次に進んだらエエんです(笑)


ハレの日を彩る堺のステーキハウス、二代目社長が次代につなぐ100周年のバトン

社員を守り、そのなかで人を育てる。そうして成長した彼ら、彼女たちが、店を訪れる客に特別な時間と空間を提供する一員になる。それを連綿と受け継いでいく。100年を迎えても南海グリルはきっと、人々がハレの日に訪れるステーキハウスであり続けることだろう。


株式会社南海グリル
本社:堺市堺区車之町西2-1-30 南海グリルCOREビル3F
オフィシャルサイト:https://www.nankai-grill.co.jp/



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