仲良し三兄弟で営む、大阪で一番売れている「大阪産(もん) 黄さんのキムチ」!

有限会社 高麗食品/ 代表取締役社長 黄鍾守(ファン ヂョンス)氏

                                                                

大阪の鶴橋と並ぶコリアタウン生野は、まるで現地にいるかのような、フォトジェニックな韓国グルメを販売する店舗が立ち並び、一大観光地になっている。その生野で創業し、大阪産(もん)名品(※1)にも認定され、大阪で一番売れているキムチを製造販売しているのが「黄(ファン)さんの手造りキムチ」でお馴染みの有限会社高麗食品である。代表取締役社長 黄鍾守氏の祖母が生野でキムチの販売を始めたのは1970年、大阪で日本万国博覧会が開催された年だ。今やすっかり日本の食卓にはかかせなくなったキムチであるが、この頃、日本でキムチはまだ浸透していなかった。大阪でキムチ屋をはじめて約50年、キムチの味は祖母から娘へそして孫へと受け継がれてきた。現在、生野にある「黄さんの手造りキムチ高麗食品 中川本店」をはじめ、鶴橋店、森ノ宮店など店舗は7店舗、量販店でも販売されている。黄さんの手造りキムチが創業から現在の人気店になるまでの道のりは、まるで日本のキムチの歴史をみているようだった。

※1大阪産(もん)名品:大阪産(もん)名品とは、大阪を代表する土産物等であり、製造開始から50年以上が経過しているなど、時代を超えて愛され続ける加工食品又はこれに準じる商品です。

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祖母のキムチが高麗食品のルーツ



生野の商店街はまるでミョンドン(※2)みたいでしょ。昔はもっと庶民的な商店街で、今とはまるで違います。うちは、元々韓国生まれの祖母が家の軒先でキムチを漬けて、台車に載せて行商を始めたのが最初です。祖母のキムチは好評で、その後、小さな店を始めました。母も祖母からキムチを分けて貰って1976年に生野区で店を構えました。そのときは「大洋商店」という名前でした。どんどん人気になったんで、母も祖母に習ってキムチを造り始めました。その頃は、キムチはあまり日本では浸透していなかったので、日本人が買いに来ることは少なかったです。

※2ミョンドン: ミョンドン(明洞)はソウル最大の繁華街で日本語が通じやすく、観光客に人気NO.1の観光地。コスメやファッション専門店などのショップだけでなく、エステやレストラン・ホテルまで充実!夕方になるとメインストリートに屋台も登場し、ソウル初心者からリピーターまで楽しめます。

仲良し三兄弟で営む、大阪で一番売れている「大阪産(もん) 黄さんのキムチ」!

当時の生野区の人口は約15万人、そのうち在日韓国・朝鮮人が4分の1の約3~4万人住んでいた。日本人が買いに来なくても充分成り立つ市場だった。そこで生まれた「黄さんの手造りキムチ」は、昆布とカツオの出汁が入った独自の製法である。
その頃から出汁を加えた作り方だったのですか?

そうです。白菜が日本のものと韓国のものとでは水分量が違うんです。韓国のキムチ造りは、白菜を塩漬けしてミルフィーユ風に唐辛子・アミ(※3)・ニンニク・塩辛などを挟んで漬けていきますが、日本の白菜は水分が多いため、韓国の漬け方をしてもうまく漬かりにくいんです。そこで祖母は日本では唐辛子を昆布やカツオの出汁(だし)で溶いて漬けていました。

※3アミ:節足動物門甲殻綱アミ目に属する水生小動物(甲殻類)の総称。イサザあるいはコマセとよぶ地方もある。体長は深海種のなかには10センチメートル以上に達するものもあるが、一般には1センチメートル内外である。

黄家の食卓にはいつもキムチがあったという。今でこそキムチはメジャーな食べ物になったが、当時はまだ馴染みが薄かった。日本でキムチが広まるきっかけになったは、1984年のロサンゼルスオリンピックの頃からだという。1988年開催のオリンピックをソウルへ招致したことで、「ソウルってどんなところ?」、「キムチってどんな食べ物?」と話題になり始めた。そこから日本でのキムチの消費量も増加し、日本の漬物店でもキムチを販売するようになりました。

父親の町工場が廃業、借金返済のためにキムチ屋を継ぐ



私は母親の店を手伝いはしていましたが、後を継ぎたいとは思っていませんでした。当時、キムチ屋の社会的評価が低かったこともあり、大学で勉強して違う進路を考えていました。

そんな黄氏に転機が訪れたのは、父親が営んでいたヘップサンダル(※4)の町工場の閉鎖だった。突如として多額の借金返済をしなければならなくなった。当時はキムチ屋を10年すれば家が一軒建つと言われていた時代で、とにかく借金の返済のためには、他に選択肢がみつからなかったのである。
※4ヘップサンダル:かかと部分にベルトがなく、甲の部分で履くサンダル。ヘップサンダルという言葉も生野から生まれた言葉である。(オードリー・ヘップバーンが映画ではいていたサンダルにちなんで名付けられた)

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長男ですし、まだ下の弟が小学生だったので、自分が働いて借金を返していかなければと、とりあえずキムチ屋をする事にしました。借金を返済する目途がついたら、そのあとに希望する進路に進めば良いやと思っていたんです。でもキムチ屋をやっているうちにどんどん忙しくなって市場で働いていた次男に声を掛けました。その後、小学生だった下の弟も大学を卒業して、兄弟3人が一緒にやるようになりました。


やりたくて始めたわけではなかったが、祖母から受け継いだ味を守りながら、日本人の味覚に受け入れられる「あっさりした辛さの中に旨味がある」味を模索し続けた。風味の良い唐辛子・昆布と鰹出汁の旨味を組み合わせることでキムチの辛みをまろやかにした。いつしか在日韓国人だけでなく、徐々に遠方から買いに来る日本人のお客さんも増え、味にうるさい大阪で不動の人気を築き上げていくこととなったのである。

1989年に社名を現在の「高麗食品」に変更し、1994年に有限会社高麗食品として法人化するのに併せて、黄鍾守氏が代表取締役に就任した。現在次男の仁守氏は取締役専務として営業部を統括し、全国の量販店に営業をして販路を開拓している。三男の成守氏は、工場長として韓国の味を日本人でも食べやすいようにと日々、商品づくりに奮闘、SNSを使いキムチを世に発信し続けている。高麗食品のトピック情報を毎月発信する「黄(ファン)倶楽部」もその一つだ。

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大阪偕星学園高校キムチ部の活躍



大阪市生野区にある大阪偕星学園高校に去年、キムチをつくる全国でも珍しい部活動『キムチ部』が誕生した。漬物の創作レシピで競う「漬物グランプリ(※5)」の学生部門に応募をし、初出場ながら2023年に学生の部グランプリに輝いた。

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※5漬物グランプリ:全日本漬物協同組合連合会が主催する「漬物グランプリ」は、日本人の食卓にかかせない漬物のレシピを募集し、漬物文化の魅力・価値を正しく伝え、健康促進にもつながる四季の味として優れた作品を表彰、日本の伝統的な食文化「TSUKEMONO」を通じて国内・世界の和食市場を活性化し広く訴求をするものです。
対象は、法人、個人、学生の3部門に分かれています。

漬物グランプリ

実は、このキムチ部にアドバイスをしたのが工場長である成守氏。高校生から工場長にアタックがあったそうだ。また実のところ高麗食品も「漬物グランプリ」の法人部門に応募をし、苦汁をなめた経験があり、その厳しさを充分知っていた。「最初、生徒さんは変わったものを作りたいようで、サラダとかデザートとかのキムチを作ってたんですよ。私はコンテストで勝負をするなら王道のご飯に合うキムチをつくった方がいいとアドバイスしました」。それを受け、低カロリーの大豆ミートを使用したキムチをつくることになった。「調味エキスで大豆ミートを煮込むと臭みが出ないんですよ」と、成守氏は言います。いろいろコツを伝授し、キムチ部学生の部グランプリの一役を買った。

お昼は兄弟三人集合して、母親手造りのキムチ・チゲ



兄弟で一緒に会社を運営することに難しさはないのだろうか。
三人とも性格も得意分野も違うせいか、もめないです。それぞれに役割も違いますし、お昼は、実家に集合して兄弟で母親のつくるキムチ・チゲを食べています。今は、三人で会社をやっていけて幸せやなあって思ています。


仲良し三兄弟で営む、大阪で一番売れている「大阪産(もん) 黄さんのキムチ」!

母親が作るキムチ・チゲの話になると、鍾守氏の顔がより一層ほころんだ。

キムチの種類は約50種 大阪で一番売れているキムチ屋


実は、キムチってブランドスイッチ(※7)が起こりにくい業種なんです。

※7ブランドスイッチ:自社製品・サービスを利用していた顧客が、何かをきっかけに競合の製品・サービスに乗り換えてしまうこと。

確かに鍾守氏のいうように、自分好みのキムチに出会うとまた買いたくなる。キムチのリピート率は高い。「黄さんの手造りキムチシリーズ」は、関西圏のほぼ全ての大手量販店で販売しており、月間販売個数約40万パック売れるヒット商品となり、常に大手メーカーが作るキムチと上位を争っている。当初、一部小売り店舗での販売しかしていなかったキムチも、徐々に販路・生産量を上げ、現在の販売は直売1割、スーパー等の量販店が6割~7割、飲食等への卸が2~3割だという。

仲良し三兄弟で営む、大阪で一番売れている「大阪産(もん) 黄さんのキムチ」!

その人気のキムチの種類は約50種類もあり、その中で一番人気は白菜のキムチであるが、スルメのキムチ、チャンジャ(鱈(タラ)の内臓をキムチ的に漬け込んだもの)も人気が上がってきている。
色んなお客さんにうちのキムチを食べてもらい、喜んでもらえることが、正直一番の励みになっています。そしてキムチをきっかけに、いろんな出会いが有り、この仕事をやってきて良かったと感じています。また僕自身、食べる事が好きなので、キムチを通じて食に関わる仕事が出来て、とてもやりがいがあります。これからも色々な事が有ると思いますが、「人間万事塞翁が馬(※8)」と言う故事を胸に置き、その時その時を一生懸命に頑張っていきたい思っています。

※8人間万事塞翁が馬:幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえです。 また、人生において、何がよくて何が悪いのか、後になってみないとわからない。 という意味もあります。

日本のお漬物の中で新参者だったキムチも、今では一番人気のあるお漬物となっている。家庭では料理にも使うようになり、すっかり日本の食卓に定着した。「もっと手軽に、毎日の食卓に美味しいキムチを!」を合言葉とする高麗食品の歴史は日本におけるキムチの歴史ともいえる。

有限会社高麗食品
本社:大阪市平野区加美東2-8-25
オフィシャルサイト:https://kimchi.jp/






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